Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

柴田淳20th Anniversary Favorites: As Selected By Her Fans (初回限定盤) [3SHM-CD + 書籍],の本

2022年12月14日 22時55分12秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 
 柴田淳さんのベスト盤に付いて来た、赤い本、「プレゼント」と題された本、を今日、遅ればせながら、一気に読んだ。
 かなりの、彼女なりの、情熱を感じた。それに仕事熱心。ファンの事を心底大事にするその心構え。素晴らしい。
 柴田さんも、昔は、詰まらない事でいじめに遭ったと言う。皆、うちの母も、継母にいじめられ、独特の感性、ひらめき、感情を持つ人は特有の現象だと思う。
 こうして、二十周年を迎えられたのは、本当にご本人さんと、周りの支えのお陰か。
 正に、「音楽の職人」だな、という思いがしきりと読んでて思った。
 良い読後感だった。

 以上。よしなに。wainai

最近買った、電子書籍。

2022年12月14日 18時46分53秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
私は最近、電子書籍を買った。アマゾンでである。アマゾンは、実際の実売価格の、紙の書籍よりも、格安で購入できる。
紀藤正樹弁護士による、「マインド・コントロール、決定版」と言う、現在、元統一教会等々へ向けて書かれた御著書。これが、邪宗教教団対策に非常に役に立つ。マインドコントロールとは果たして何か、それに騙されないと思って居る、あなたが、私が、一番危ない、という本書の問いかけは、かなり、先進国でも日本の、カルト教団の跋扈を許している現状を問題視し、語り掛ける。
けれど、この電子書籍は、千五十何円と、少し高い。
渡辺淳一著「鈍感力」。この本が、我が家には確かにあった筈なんだが、どこかへ行ってしまった。それで、古本で調べると、古書よりも、ダウンロードのが早く、安い事に気付き、早速実践。何と33円!!素晴らしい破格の価格、プライスであった。この本は、既読書、既に読んだ本である。いい事が書いてある本なのである。だから、手元にどうしても、残しておきたかった。
これは、もう、五年前位に買った、志茂田景樹の「折伏鬼」と言う本。創価学会の第二代会長戸田城聖先生がモデルとなって、執筆されている。
とにかく、昭和の二十年代、三十年代の、創価学会の源流、そこはかとなく漂う空気感、生活感、この著者なりの体感が書かれていて、面白い。この本も、もうとっくに読んでしまった。当時の価格、五、六百円位か。

以上。よしなに。wainai

私の高校休学期間の、神奈川県川崎市への旅

2022年12月14日 10時22分44秒 | 学校・教育への提言特集、注文・恩師への感謝・学生生徒時代の想い出
 私は、福島県立安積高校、高2の、学校を休み始める前の、八月ごろに、実は、一人旅行、神奈川県川崎市中原区にある、渋谷から横浜、当時は桜木町までを結ぶ、東急東横線で、「元住吉駅」に降り、其の地元界隈を旅した。
 あの頃と、それ程変わった程ではない気もしたが、今の元住吉は、それはそれはオシャレに生まれ変わり、東西、線路を挟んで、両商店街がひしめき合う、そんな街に変わり果ててしまい、一抹の寂しさも感ずる。
 しかし、その時は、その前を通るだけだったが、自分が通った長寿保育園に行ったり、自分の通った小学校、川崎市立下小田中小学校に行ったりした。
 そして、その小学校から三分と経たない位の所に、我が家の暮らしたアパートがあったはずだったが、そこは、もう駐車場になって居た。
 そして、近所のお友達、「磯部わたる君」の家の前まで差し掛かった。私は、その時、戸をどうしても、叩けなかった。叩けば、あの、ワンパク同士で一緒に遊んだ、楽しかった日々を思い出し、彼、磯部君にも会えたかもしれない。その時は、互いに、夏休み期間でもあったのだから。
 しかし、私は、その、本格的に学校を休みだす、冬になるまでも、実際は、夏の学校主催の夏休み期間中の夏期講習会、学校の文化祭等々に、立て続けに休みを取り、この夏は、余り、安積高校には通っていなかった。
 それらの負い目があり、若しも、磯部君が、「○○君(私の事)、今、どうしてるの?」と聞かれる事が、何にも増して、カッコ悪く、コワかった、あの頃は。
 だから、その門口と、玄関を、手でノックする格好は取ったものの、それを止めて、その手を納めて、何事もなかったように、大人しく家路に向かった。
 この他、当時の小学校の大の親友で、「山手義人君」と言う人が居て、私とは、暫く、葉書で小学三年生くらいまでやり取りしていたのだが、それも音信不通、と言うか、私は新しい、福島での環境に慣れすぎ、むしろ、こちらの生活が楽しく忙しく、そんな親友旧友には無頓着になり、構わず、これは、かなり、山手君にとっても、冷たい対応だったのではないかと、反省している。葉書は、逆に、母が代書していた位だ。頭のいい山手君なら、そんな小細工、見逃すわけがない。
 そして、お互い、何の音沙汰もなくなった。そうしていた矢先の、川崎訪問だったが、私は、土地勘が余りなく、結局辺りをうろつくのみで、山手君の家は全く判らなかった。
 しょうがないから、当時、私と父とで、カブトムシ取りをしていた、小さな小高い山の方、川崎市と横浜市の境辺りにある山に、行ってみる事にした。
 そこの自然は、まだ当時健在だった。そこで実際には、私は帰りの邪魔になるので、カブトムシは取っては来なかったが、多分、居そうな感じはした。
 そして、丘を登り、頂上の、広大な開けた場所に出ると、そこは、何か、児童養護施設か、障碍者施設か、何か福祉関係の、施設のような建物群があるのだった。
 ここで、辺りを見回すと、車に、ワゴン車位の比較的大きな車に、子供用のおもちゃ、ぬいぐるみ、等々が満載の、それがそうと外からはっきりわかる程の、子供の玩具等を満載の車が私の脇を通り抜け、施設に入って行った。
 きっと、そこの、不幸と言っては可哀想で失礼だが、その、施設の子どもたちへの、喜びの時間、プレゼントの為の、それらが贈り物のグッズである事は、容易に想像できた。
 私は、尚も、今度は郡山への帰宅の家路を急ぎ、東急東横線元住吉駅にて切符を買い、大宮駅までゆき、そこから、新幹線で、東北地方は、福島県の、郡山駅まで、一路、日帰りにて、帰り、帰宅した。
 家に着いたのは、もう、夜の帳(とばり)が下り始めていた、晩夏の候であった。
 東北の夏は暑いが、余りに短い。神奈川のあの暑さに比べると、何か物悲しい、何か物足らない。
 涼しい秋の寂しい季節の到来を告げる、その時、私自身にとり、東北にとり、これから一段と寒い冬がやって来るんだとの、予感、予期させる何ものかが、夏の終わりではあったのだが、その時、確実にあった。

 以上。よしなに。wainai

モーツアルトのピアノソナタは優美で、やさしく、明るく、楽しい

2022年12月12日 13時00分28秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 
 今までモーツアルトのCDは、ピアノ協奏曲全集、交響曲、他、器楽曲等々、あと、宗教音楽レクイエムがあった位で、あんまり、モーツアルトって、楽しくないな、明るくないな、といった印象しか私の中ではなかった。
 交響曲も協奏曲も、明暗がはっきりし過ぎて、明るいのはより明るく、暗いのは悲惨な位、暗いとこちらが辟易して、感ずる程。
 その後、先日の、中古CD・古本屋にて、モーツアルトの、ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプによる、「トルコ行進曲付きのピアノソナタ選集」。同じくモーツアルトの、フリードリヒ・グルダ演奏による「ピアノソナタ全集」。いずれも、モーツアルトの、最高傑作と呼ばれるに相応しい、素晴らしい芸術性・音楽性・演奏であり、私は大感動を頂いている。
 これ程の、立派な音楽家・芸術家だとは、正直、モーツアルトを私は私の人生上、バカにしている所が多々あり、これは、一生治らないかとも思ったが、さにあらず。この音楽家、大天才の、モーツアルト氏を、尊敬しだしている自分がいる。本当に感動し、素晴らしいの一言なのだ。これ程、モーツアルトとは、快活で、自由で、闊達だったのかと。
 ピアノソナタだと、モーツアルトの真価を発揮するみたいだ。
 これも、オーストリア・ウィーンの、ドイツ語圏の作曲家、モーツアルトの、素晴らしい作品群に、今、改めて、感服し、見直して、感動を大きく頂いている最中である。

 以上。よしなに。wainai

織田裕二「脱線者」という本に対する、超・大反論。生命の尊さ、尊厳について。私の福島県立安積高校からの転校の経緯。或る担任教師への憎悪、恨みつらみについて。こんな学校、居られっか、ッつうの?!

2022年12月12日 03時27分04秒 | 学校・教育への提言特集、注文・恩師への感謝・学生生徒時代の想い出
 織田裕二著「脱線者」という本を読んでいたら、こんな表現が出て来た。
 子供には、死の教育が大事だ。だから、生き物を、実際に、虫でも何でも、実際にぶっつぶしてでも、目の前で殺して見せて、それで、命の授業をやれ、というものだった。

 これは、精神的に弱い者たち、いわゆるPTSD、心的外傷後ストレス障害、になって、その、生物を痛めつけたものを見たショックで、ショック死せんばかりの、その、トラウマ、生命の精神の危機については、何一つこの本では書かれては居らず、これはまやかし本、気取った、自分の内面と外面とを、ただ飾り立てた、カッコつけ人間の本だとすぐ判り、断定し、即刻、読むのを止めた。

 うちの母は、子供の時、東京に家族六人親子で住んでいて、うちで飼っていた、チャボだか、名古屋コーチンだかの、ニワトリが居て、一緒に庭で佇み、遊ぶというか、慣れ合ったりしていた。が、ある日突然、そのニワトリが、屠殺されて、食卓に上がって来た。

 もう、戦中戦後の事であり、食糧難の時代にあり、そういった、肉、このニワトリの肉は、当時は貴重なタンパク源ではあったのであろう。

 しかし、頑固な母は、おそらく、両親に対して、可哀想だ、とか、殺すなんて酷い、とかの、今から考えると、子供なりに、何て理不尽な、生き物を殺す、しかも、今まで友達のように、庭先でコッコ、コッコ、と鳴いていたニワトリを無碍に殺す親たちの無惨な所業を、いつまでも、呪うようにその場に佇んでいたのであろう母。生命軽視に対する憎悪、自己の命の感性への危機。

 そして、その食卓では、姉二人、弟一人、親夫婦二人の、計五人の家族は、その凄惨な食卓を、満足にそのニワトリの肉を難なく食べ、平らげた。余り、気分のいいものでもなかったとも思うが。

 けれども、母一人だけは違った。母は、最後まで、泣きながら、自分は絶対に食べない、と皆の前で宣言主張し、実際、その日は、そのニワトリの肉には全く手を付けなかった。絶対に、殺生を、自分の目の前、自分がましてや、飼っていた、愛着の或る動物、この場合、鳥の、ニワトリには、そんな目に遭わせたくはなかった、と言う、母の、絶対の動物愛護精神、命の守護者としての、祈りの様なものが、その時きっとあったんだろう。

 そういう、物事に対して、潔癖症の人、万物の生命愛護の気持ちを持つ人は、稀ではあるが、この世には居るものなのである。

 それらが、後の、神奈川県川崎市から福島県郡山市に我が家が越してきて、その時、小鳥屋・ペット屋を始める。その時の、動物への慈しみ、慈悲、かわいがることが出来なければ、あれだけの動物、鳥たちを、世話し、もてなし、売り出す事なんて出来ない。

 母は、死にそうになった小鳥などには、鳥小屋から直接、我が家に持ち帰り、一日中、夜も寝る寸暇をも惜しんで、夜も徹夜で、小鳥に付きっ切りで、小鳥たちのエサやり、看病をして、皆、生き返らせ、又、一軍で、小鳥屋のプレハブに並ぶ為に旅立っていった。

 うちに来ているヘルパーさんで、その旦那さんで、やはり、ニワトリの屠殺を子供の頃見てしまい、もう二度と、鶏肉は食べない、と決めて、金輪際、ニワトリを食べない人も居る。

 私は、母に、全面的に賛成する。同意し、味方をする。それが、親孝行、親子の孝養、義理人情、仁義の確立の端緒である。

 私もそうした母の血を受け継いでか、こんな事があった。福島県立安積高校第一学年最後の、春三月、春休み前の、皆が楽しみにしていた、大視聴覚室での、ビデオ映写会があった。

 この時、私はそいつら、成績だけは、常に百番以内であり、クラス委員長の、K村委員長が、男性学級担任教師、K井両者二人の会話を、私は聞き逃さなかった。一生、私は、恨みに思う。

 K村「先生、僕、コワいビデオがいいから、その、怖い、恐怖映画をレンタルして来ます」というと、担任K井「そうか、そうか、よし、いいぞ、頑張ってやれ、お前の好きなようにしていいぞ!!どんどんやれ!!」と言ってはっぱをかけ、二人だけの密約みたいな会話だった。

 そして、その日、何日後、見せられたビデオ映画映像は、動物虐待シーン満載の、残虐ホラー映画。実際に生き物を、これでもか、これでもか、といたぶり、虐め、虐殺する、非常に残酷極まる、映画であった。

 私など、気が弱く、うちでは、当時からペット屋を営んでいた関係から、そういった、動物虐待映画は、極めて、見たくもなく、身の毛もよだつ、大嫌いな映画の部類である。

 要するに、このK井は、頭の良い、成績のいい生徒には、何を言っても、頭が上がらない訳だ。だから、その頃、私が、社会科、国語科、保健体育科、美術科、理科のうちの生物他そういった教科は抜群に人よりも秀でていたが、それら以外の、英数などが、成績の低迷中の私などには、声も掛けぬ、一切が無視の、冷たい、冷酷無慙な教師が、この、元高校教師、人非人・K井の生態、実体、私などは、大分、この大バカ教師の、大被害、大損失、大悪業、大損害の、大弊害、大悪影響をいまだに、精神にも、この身全身で受け止め、悲惨な目に遭ってい続けているのである。正に、今の言葉で言う、大「トラウマ」だ。
 
 その他、嫌な事、私がこの、こやつ、K井から受けた酷い仕打ちは、筆舌に尽くしがたい程、山ほど、沢山ある。こいつを、K井を、私は、生涯、一生、許さず、必ず、仕返しし、仕留めて見せて、恨みを晴らす。必ず、自身で、裁き、天誅を下す。

 今の、この、私のそこいらじゅう病だらけの、このズタボロの、精神と心と体になってしまった、その根源が、即ち、全て、この男、大醜悪な大悪党、人間性の、正に、大仏敵、大疫病神、大怨敵、大仇敵、それが即ち、K井、この男に他ならない。

 だから、今でも、未だに、手ぐすね引いて、何とか、恨みを返せないか、と、非常に、私は危機感・危機意識を日々以て、この一、元教師の、こいつ、K井が、悲惨な非情な苦しみ狂った非業の最期を必ずや迎え遂げる事を望み、願って居る。死相も、最悪であって、最凶の、堕地獄の末路を辿ってもらいたい。お前は、死後、一生、地獄で居ろ、過ごしてろ!!!

 それが、今、私が元、安高生徒としての、悲願、大願、決意、一大決心なのである。

ーーーーー『このバカ者、無礼者めが、K井め、以前は私が高校弟子生徒、其方(そなた)が我が高等学校の教師師匠であったが、其方(そなた)の教育上の、成して来た所業の全て、無慈悲の極みに、こちらの精神は朽ち病み滅んだ、其方の全責任を、私が負ったこの現今の悲しみ怒り、憂い、苦しみ、悲嘆、絶望の全てを、今、この全魂の恨みつらみを、必ずや、天地万物天上天下に誓い、成らぬものは成らぬ、成るものは成る、それが必定の定理、条理、摂理、であり、我が、御祈念を必死で致し、この大願成就を見事、果たし、絶対に此方(こちら)はめげず、負けずに、必ずや勝つ、其方(そなた)に我が人生の上でも、大功力(くりき)の上でも、一切法、世間法上・仏法上も、必ずそなたに勝つ、御成敗を其方に必ずや成し遂げ、致さん!!!お前には、大堕地獄行で、あの世、来世・未来世でもって、存分・充分の苦しみ、大呻吟、大苦悩感を味わってもらう。それが、釈迦仏法・日蓮大仏法の奥義だ。首を洗って出直して待って居ろ、この鬼畜・極悪ゴミ屑芥(ちりあくた)誤魔化し貧窮下賤(びんぐげせん)人間めが!!!!!!!!!!仏法仏教上の「師弟不二」などは、あの頃の、高校教師くんだりのお前なんぞとは、そもそも、成り立ちなどはしなかったんだよ!!!!!学校生徒差別主義者の無頼派気取りの見下げた、糞だらしない、法を下げに下げた、お前なんかとはな!!!始めっから、俺とお前は、ちげえんだよ、格が違い過ぎんだよ、こちらのが上なんだよ、生まれも育ちも、この貧窮下賤の、タコめが』

 結局、この学校を、私の第一学年の担任が、そのまま第二学年になってもクラス替えがあったんだが、クラス担任が持ち上がり、同じままの、私の大嫌いな文学崩れのダラシナイ教師が私だけを新たなクラスに於いて担当するままの事態になり、またその、私一人が、大嫌いな教師K井が私の担任となってしまった。

 私はその学年の年の、京都・奈良・大阪の、関西方面の修学旅行には非常に楽しみにしていたので、ちゃっかり、ちゃんと付いて行って学年皆と旅行体験したが、それまでは真面目に毎日毎日登校したが、丁度冬の、それ以後以降は音無しで、休みがちとなり、その教師が大嫌いで恨み、心底から憎んだ関係で、その学校を途中でついに転校した。

 その教師を恨み根に持ち、憎んだ挙句の、行動だった。本当は、そいつを、自身、こうなっては成らぬ、こういう人間には気を付けようという、反面教師にして、自分に危害を加えられぬよう、立ち回った方が、この場合自分の人生上、実に本当は、得策、利口だった。それがまさしく、儒教・論語・孔子の言う、「大人、君子の対応」であったのだが。

 私も破天荒、大胆不敵、「一度決めたら、二度とは代えぬ」という、昭和の大スター、昭和歌謡演歌の、歌姫・美空ひばりの「人生一路」の、まるで歌の一節のまま、そのままの生き方である。

 母と同じく、私もかなりの頑固者である。すぐ意地を張り、意固地になる。それにより、人生失敗してしまったが。人生幾つでも取り返せる、と思いつつ、この年まで来てしまったが。

 もっと、柔軟性、臨機応変さ、フレキシブルに対応が、人生に於いて、理を悟り、利する、利を見抜く、どっちも、理論理屈も利益利便も、両者合わせ飲み、清濁併せ吞む、人を包み込む、度量の大きさ、それを「事実上の、リアルな、現実主義の体験性」に於いて、統合し、確立する、と言う人生観を持ちたい。もっと、豪放磊落、豪奢であり、豪華絢爛の人生、を、送りたい。それが、日蓮正宗で説く所の、「事の一念三千」、に他ならないのである。

 「花の色は移りにけりな、いたづらに、わが身世にふる、ながめせし間に」(歌人・小野小町・出典:古今・春下「百人一首」)、この歌が、今、一瞬、ふと思い、頭をよぎった。

 この歌は、小野小町が、人生の短さ、自分の容姿が、あれだけ立派な、世界三大美人にもなぞらえられる程の、美人であったものが、今の身の、現在、雨が降っている間に、桜の花の色は朽ち果て色あせ、恋にうつつを抜かしている内に、容色も衰え、老人と化した、自身の情けなさ、不甲斐なさを歌ったものだ。これを詠む度に、何か悲しくなる。人、人間の栄枯盛衰なんて、たかが知れていると。

 結局、仏教仏法の、無常観、窮めて虚しい、常ならざるもの、「無常」を感じざるを得ない。人の生き死に、生と死との間は、ほんの、一瞬の、紙一重の差にしか過ぎないのだと。

 結局、三年まで来てすぐ高卒資格を取れ、そのままいれば卒業できたのに、わざわざ青山学院高等部を三年生三学期の時、何故か中途退学して見せたシンガーソングライター「尾崎豊」とは少し違うが、傾向としては、同じような、私は回り道をやっている。



 私は学校には苦労をして、何とか高校は、卒業できたが。


 閑話休題。

 話は代わり、動物の話に戻す。これらの話は、幾ら畜生と言えども、動物にも心も体も魂も、すべてが具わり、オマケに、今日、我ら日蓮正宗信徒たちが毎日毎週の如くに、教わっているのは、十界互具、全てのもの、生きとし生けるもの全て、物から生き物、人間界だけじゃなくて、畜生界の動物類、それらこの二つの世界は、十界の中でも、目に見える世界の代表なんだが、それらのうちにも、必ず、「仏界」「仏性」が宿り、存する、という、これが絶対の、日蓮正宗の開祖、宗祖日蓮大聖人が言うんだから、これは間違いがない。全く、全然、間違いがない。

 これを、織田裕二の本では、バッタでも何でもいい、その虫、生き物を、握りつぶして、その時汁が出ようが何しようが、そういう、醜い姿が、「死」である事を、幼少の時から、良く子供らに教えておくべきだ、とか抜かしやがった。

 てめえはいいだろ。高みの見物でよお。殺される生き物の身にもなってみろや。そういうのを、余計な・ムダな死、と言う。

 そらあ、てめえも、生き物は再生、生まれ変わりなど出来ない、再生不可能を見せつけてあげて、等と言っていて、生まれ変わりも、死後の世界も、自分、織田は、信じない、信じはしないとのたまう。誤った人生観、死生観を持って居る、この男は!!

 馬鹿言ってんじゃないよ。どこの誰が、お前の様な体たらくの、それは、映画俳優、テレビ俳優で、名を知られ、名を売ったのは、実際、事実だろう。

 しかし、それだけ、その、俳優業で名を成したのが、私から言わせれば関の山で、それは、人生の一里塚に過ぎず、それが、まだ人生途中途上の、中途半端な危なっかしい男が、人生の教師役、何か高名な師匠のような振りをして、説教まがいの事をやっている。

 何にも、それは、自殺にてめえ自身の危機を乗り越えて、今日まで来たのは、理由のある事だとは、思える。

 しかし、その、この本を書いた時が、実際何歳かは知らねえが、どうも青臭さが残る。

 こんな、青二才の様な、その時の若造風の、このあんちゃん、どうみても、自身の成功に酔いしれて、この先も主役張って、頑張って、とか抜かして、その後は、さて、どうするか、とか、もう、どうにでもしろっていう話。

 そういう、生命論、命の話は、御本仏宗祖日蓮大聖人様が、鎌倉時代、弘安二年十月十二日に御建立為さった、日蓮正宗総本山富士大石寺に実際にある、三大秘法の戒壇の大御本尊様に日頃から御目通りしている、そこで実際に修行を何年も、十年単位で、子供の、所化小僧さんの時から、大人になるまで修行をする、『日蓮正宗』に任せなさい。

 生命、命の話ならば、私共、特に御僧侶方、御住職様がお相手し、御相談に承り、乗りますよ、と言っている。

 何も、そんな、自殺まがいの事を一回考え、ホントに実行したのかは判らない、その織田某などに、命の話を頼らなくっても、事足り、ホントに、うちは要らないですから、結構です、と言いたい位の本であり、途中で読まずに、打ち棄てた。

 この本は、元の値段が,今は無き、ブックオフ郡山新さくら通り店で五十円と、そんな値段、割安、安すぎるのは、どうやら理由のある事なんだな、とはっきりと判る風体の、代物、本と言うには安っぽい言説の、ものであった。読んで誠に損した。おしまい。

※追記

 死とは、別れの儀式である。別れ際は誰もが美しくありたい。

 その疑似体験をしたいならば、例えば、音楽の、別離の歌、別れの歌などを聴くだけでも、大分、別れの気持ち、死者への餞別の気持ちが起こり、その準備の練習にもなり、死者を思いやる気持ちが起こるであろう。

 何も、実際に、生き物を殺傷する、痛めつける、そんな気持ち悪く、生命の断絶を、悲鳴を、叫びを、自分や、その親兄弟友達他、親しい人々、ましてや自分の愛する子供には聴かせ,体験させたくは全く無いと人の親ならば必ずや思う筈だろう。教育上も非常に悪い。

 それが人の心、人情というものだ。我々は、心の中で、自然と、何が悪で、何が善かの、分別、峻別、道徳上のけじめが、自然とできるものである。命を殺生しちゃあ、いけないよ!と、自分のおばあちゃん等祖父母、親などに、習わなかっただろうか?

 それが判らないから、今、殺人事件、凶悪事件等々が、ひっきりなしに起こっているのである。全ての元凶は、この生命の尊厳への無視、命の尊さへの無理解。これは、大仏法仏教哲学を一度でも、勉強、修学、習得しなければ判らぬ。

 どうやって聴くか、只、聴くだけである。それも、『日蓮正宗』という、宗祖日蓮大聖人様の説く御教えでなけらば絶対にならぬ。

 それらのうちの、総本山富士大石寺か、その末寺の御住職様に、直接、指示を仰ぎ、ご質問等々も随時、受け付けて居るから、その為に、お寺に出向くなり、お電話等々を差し上げるなり、何なり、それは個人の自由な裁量に任されて居る。ご自分の悩みを、困りごとを、真っ先に、それら御宗門、各寺院に、ぶっつけ、聞いてみて、話し頂く事である。

 これだけは、口を酸っぱくして、語って置く。

 それ以外の宗教宗派は、外道宗教、爾前権教の既成仏教教団の類の、偽物の教えである。

 占いなんてのは以ての外、外道キリスト・イスラムなんてのに至ったならば、痛切にその過ち、間違い、下らなさ幼稚臭さに憐れみ、同情を致す他、以外ない。よーくそんな下衆な下等宗教、外道宗教、やってられんな、と!!!

 本当本来の、『御本仏宗祖日蓮大聖人様』の、伝統の、血脈相承、法水写瓶、法灯連綿たる、一大仏教教団、大仏法大仏教哲学は、この宗派の、「日蓮正宗総本山富士大石寺」にある、大聖人様御建立の、『三大秘法の本門戒壇の大御本尊様』を拝む以外、有り得ない。これが、根本、全てなんです。歓びへの、第一歩が、この『大御本尊様』なんです。これが、我らの、最大悲願、最大達成、大願成就への、一里塚です。

 これが判れば、十中八九の、悩みが解決し、問題の多くが、解決が図られる。そう、信じ、信じ切り、信じ抜く。

 頭が砕けんばかりに、その、御本尊様に勤行唱題、お題目を何時間でも唱え続けて、その後、自行が終わり、化他行、折伏弘教に励み、自分だけの喜びに留めずに、人様への勧め、喜びへの一助としての布教、人様への喜びへと繋げてゆき、自分が東奔西走して走りに走り、幸せになって頂く。

 これを、これこそが、『自行化他』『事の一念三千』の大仏教哲学、という。

 実際に、行って、人様の前に現れ、自分自身で行い、それを他の人々に、リアルに実感、見せつけねばならぬ。

 自分の生きかた、生そのものが、折伏弘教,事の一念三千の姿そのもので有らねば、誠にならぬ。

 これは、大聖人様も、自身がお手本となって居り、散々ぱら、御書の中でも御説き遊ばされ、特に、鎌倉時代、鎌倉市中に於ける、鎌倉、ひいては、日本全国民に向け、語った、大聖人様独自で編み出し、考え抜かれた末での日本人向けの布教方法手法。

 当時の、街道、通りの、道の片隅に立ち、御本仏、当時御僧侶の御立場から、大きな声で真実の声を仏法の極理・極説を一般民衆、当時の鎌倉の民衆に向け解りやすい嚙み砕いた御言葉で御諭(さと)しし、優しく語りかける、『辻説法』などは、その典型である。

 『自行化他』が、幸せになる、鉄則、極理、極説、極上の、料理で言う所の、スパイス、御馳走、である。

 これに血眼になって取り組めば、そこらそんじょの病気、経済苦、困難困苦、罰が出た、うつ病、ガン、他、難病、他、それこそ多数の悩み苦しみを、この信心で乗り越えて行った来た者、大多数に上る。この宗派『日蓮正宗』にはこれらそれらが多数、居る。

 これは、この宗教宗門法門の、大御利益、大功徳に外ならず、皆、この宗教教団に属し、信ずる者たちは、毎日この恩恵に浴し、日々、安楽安泰安寧安全安心に過ごす事が、約束されたようなものである。毎日が、只、幸せ、の一言に尽きるのである。

 それが、皆さんの極めて身近な、この大日本国の、駿河の国、東海地方の静岡県富士宮市上条の、富士山の麓、駿河湾を望む、絶景かなの霊地景勝地にあるんだから、行かないでどうすんだ、と言う話。

 同じ日本人として、それが、全く目を背け、日蓮正宗総本山にも末寺にも、全く行きもしない、知らないだか何だか、無知の極みが為せる業(わざ)か。

 仮に、知ってても、無視し続けている。そう言う、そんな寺が、或るんだなあ、程度。

 正に、不信謗法。信じないのも、知らなかったのも、罪、同罪、謗法と言う、怖ろしい罪作りなんですよ、日本国中の皆様。それから、世界広布も、これからの時代、睨まなければならぬ。世界からも、押し寄せて来ているんですよ。その方々に比べたら、如何に我々が、いい地位にあり、いいロケーションにあり、極めて恵まれて居るか、あなた方には、判らないのですか???!!!!

 そんな事をして、何故に、何で、どうして、勿体無くはないのかと、これは個人的な疑問・感想・感慨である。

 又又、脱線してしまった。

 話しを、子供らの心の話に戻すが、それでは、感性の豊か過ぎる子供は、パニックを起こし、将来の精神、心に禍根を残し、PTSDに一生苛(さいな)まれる事も充分有り得る。

 この織田某が、今は妻帯者で、子どもが居るのかは、私は全然知らず、こぶつき、子供も居るのかも、全く知らない。

 恐らく、居たとしても、自分よがりの、恐らくこれも、DVドメスティックバイオレンスだらけの、ろくな教育しか行っていない事は、火を見るより明らかであろう。

 自業自得の人生、この芸能界で成功を遂げ、勢いに任せて来たが、人生の挫折・辛酸にも、もう二度も三度も押し寄せ、経験体験し、そこから果たして又もや立ち直れるのかどうか。

 今は、その時は、若さ、青臭さで乗り切ってたみたいだが?

 人生、にっちもさっちもいかなくなって、又、最期は、自殺?

 それ相応の人生しか、この男、織田裕二某には残り、待ってないんではないのか?後生畏(おそ)るべし!そう断罪するより、他には全く無い。

 実に情けない、自身を飾り立て、カッコ付けただけの、正に腐った本としかいいようのない本であった。時間のムダ!!!!!!

※編集後記
こちらに、私のこれら、学生時代の嫌がらせ行為を、クラス担任に受けたとする、最初期の記事がありますので、良ければご参照ください。
 以上。よしなに。wainai

尚、後出しジャンケンとなるが、このブログ記事を書いた翌年、2023年三月のヤフーニュースの記事で、こんな記事があるので、転載する。

残虐動画、規制求める声も 「エスカレートした」と少年 教員切り付け、8日で1週間
3/8(水) 7:08配信
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男性教員が切り付けられる事件が発生した中学校の敷地内を歩く捜査員ら=1日、埼玉県戸田市

 埼玉県戸田市の市立中学校に高校生の少年(17)が刃物を持って侵入し、男性教員を切り付けた事件から8日で1週間。 【図解】猫の死骸が見つかった場所  県警に殺人未遂容疑で逮捕された少年は、先月猫の死骸が相次いで見つかった事件への関与をほのめかしているほか、残虐な内容の動画を見ているうちにエスカレートしたとの趣旨の供述をしている。インターネット上では、動物虐待などの残虐な動画が後を絶たず、規制を求める声も上がっている。  動物虐待動画規制法の制定に向けてクラウドファンディングなどに取り組む井上貴弘さん(56)は、猫13匹を虐待して動画共有サイトに投稿していた税理士の男が逮捕された事件をきっかけに活動を始めた。「たかが動物虐待の動画だと考えられているが、社会に与える影響は大きい」と指摘する。  井上さんによると、悪意を持った人がSNSに投稿した虐待動画を意図せず見てしまい、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などになる人もいるという。「動画を規制する法律を作ることが、動物のみならず社会のためにもなる」と訴える。  東洋大の桐生正幸教授(犯罪心理学)は、動物への攻撃性が人間に向いてしまうケースはまれだとしつつ、「そうした人は幼少期に虐待を受けるなど精神的な苦痛を抱えており、ストレスを解消するために動物の虐待などゆがんだ方法を選択してしまう。そうした衝動が激しくなり、抑えきれなくなった結果、対象が人間に向かうのだろう」と分析する。  その上で、子どもが残虐な動画などに触れないよう、親が子どもに声を掛けてフォローする必要があると指摘。教職員や保護者による見回り活動などを通じて地域の防犯意識を高め、学校そのものの防犯対策も見直すべきだと話した。 

 (以上。引用、私により、終わる。2023年令和五年、三月八日水曜日のヤフー記事による。)

今日買った、CD、写真集

2022年12月10日 14時27分30秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

  

今日は、先程の記事にも合った通り、クリニックに行き、先生に会い、話す度毎に、何か、余計にストレス、心の負担が増し、その腹いせか、最初に、帰り道の途中で、中古古本屋、ブックマーケット郡山うねめ通り店に立ち寄った。
 そこで、最初は、ゲームソフト、私が所持している、「任天堂スウィッチ」のソフトを買おうかと思い、何か良いものがないかと、物色していても、皆、高い。
 良いのは、皆、一本、三千円、四千円、もっと高いのになると、五千、七千円なんてものまであった。この店が高すぎるのか、中古にしては、高いなあと思い、諦めた。
 そして、写真集コーナーに行った。そこの、男性写真集のコーナーにて、私は韓国ドラマの、「冬のソナタ」の、ペヨンジュン氏が今でも大好き、大ファンなので、無いかなあ、と思って探しても、やはりそこにはなかった。
 それで、ハ行から、マ行へ移ると、マ行に、「松山千春写真集・『激流』」とあった。これは!と思い、私は、値段を見た。
 三百円。安い、と単純に思った。これだけの体裁の本が、たったこれだけの値段。安すぎる。即決だった。 
 そして、今度は、CDのコーナーを物色した。まずはクラシック。ヴィルヘルム・ケンプのCDは、ベートーヴェンのピアノソナタ全集他がうちのPC、パソコンには入っているが、モーツアルトのピアノソナタは、数曲のみで、全くと言っていい程、無かった。ここに売っていたCDには、ピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」という、超有名作。あと、幻想曲二曲、ピアノソナタ第8番、等々この一枚に入っていて、五百円なので、これも即決。
 その後、又、クラシックコーナーを物色していると、ピアニスト、フリードリヒ・グルダの、これも、モーツアルト、ピアノソナタ集(おそらく全集か?)六枚入りの、輸入盤の超大作CDが、1,800円で売っている。モーツアルトのピアノソナタは、うちでは、うちのPC、パソコンの中では、モーツアルトのピアノ協奏曲全集は持って居たが、ピアノソナタは、一番手薄な作品群であり、ベートーヴェンならば、ピアノ協奏曲全集も、ピアノソナタ全集も三つも四つも五つも入っているが、モーツアルトは不覚にも、全くと言って良い程の、無きが如しであった。
 これもゲット。
 今日は、妙に、モーツアルトじみていて、モーツアルトに縁があり過ぎる。
 次に、軍歌大全集、というCDが、三百円で売っているので、これもゲット。
 今度は、ポップスコーナー、Jポップを見ていくと、「アリス」が、ベスト盤二枚が、あった。六百円。これもゲット。
 松田聖子のCDを見ていると、これも全曲ベスト盤があり、皆、モンスター級の、日本人なら、当時の昭和世代、平成でも、彼女を知る者ならば、誰もが口ずさめるような、全17曲。内一曲はカラオケの、大ベスト集が、これは高く、1,200円であったが、これも、ここにこれ一枚しかなく、あとの棚にあるのは、松田聖子の全く知らない、最近の楽曲、CDばかりが置かれていたのを見て、これ、このCDも、私が買う運命、宿命だ、と思い知り、ゲット。
 最後は、後ろ、背面の棚を物色中、フォークソングの、というか、ニューミュージックの、昭和時代の名作が聴きたくて物色中、「五輪真弓」が目に留まり、これも、ヒット曲集、ベスト盤で、六百円也。これもゲット。
 しめて、五千三百五円。皆内税、税込みであった。五円は、買い物袋代金。
 今の時代は、通信の、ダウンロードという、便利な機能があるが、それも、一曲二、三百円と、結構するものなのである。音楽を手に入れるならば、中古か、一番いいのは、やはり図書館等であるが、図書館はうちからは遠く、やはり、中古CDは、「やっと手に入れた!」との実感、欲しいモノが格安で手に入ったとの、嬉しさが実感できて、その喜びに満ち溢れるものだ。
 これを、今、パソコンに入れようとしている最中である。

 以上。よしなに。wainai

『文学崩れ』

2022年12月10日 13時57分19秒 | 学校・教育への提言特集、注文・恩師への感謝・学生生徒時代の想い出
 私が福島県立安積高校時代、高校の先生、担任は、男性の、国語教師で、この教師を、私は余り好きではなかった。
 何かだらしない。何か不熱心である。自分の、教育熱心さが全く無い。
 私にとり、欠点だらけの教師であり、私は、心底嫌った。大嫌いだった。
 このクラスは、このだらしない教師の影響を常に受け、学年最初当初の学年発足スタート時期は、成績では他のクラスよりも常に一位、二位の、上位をキープしていたが、この教師の受け持ちの期間は、特に後半などは、次第に成績が低迷しだし、最下位すれすれに大低迷した。実際に最下位の憂き目にも遭った。
 全ては、本当にだらしがない、この教師の、怠慢、驕慢、懈怠の教え方、考え方、指導の仕方の過ち間違い、生活の乱れたこの教師自身の性質、資質に負い、伴うものであった。トップが狂えば、末端までが狂う。今の池田大作率いる創価学会と同じ論理である。
 ある時、その教師は、自身が仙台市の、東北大学文学部国文科出身であり、その、仙台の街にて、その日は大いにはしゃぎ、飲み歩き、同じ学生連中と店から店へと梯子(はしご)して、大酒を飲み下し、仙台を大股で歩き、大袈裟に、えばったような事を言い、大威張りで、我らクラス生徒に誇らしげに語ってみせた。
 私は、その時、それに対して、無性に腹が立ち、家に帰り、その事を、あの先生は、どうもおかしい、不真面目だ、おかし過ぎると、真面目になって、うちの母に直訴し、訴えた。
 すると、うちの母は、母は大学へは進学はしなかったが、実際、東京の新宿区にある一大進学校、東京都立戸山高校生時代から、その卒業した後、その人達が大学へ行き、その後の人生も実によく知っているらしかった。
 その先生の、汚らしい程の、行状記、バンカラ、破廉恥(ハレンチ)振りを、私が母に語り、言うと、即答で、「そういうのは、そういう人を、大学文学部出身者の、『文学崩れ』と言う」と言い、そう、はっきりと言って、結果、母も私と同盟を結んだ形になり、その先生を親子二人で軽蔑し憎悪した。
 母は、文学者、この場合、その、生活が乱れた作家陣、無頼派と呼ばれた駄作・「人間失格」の太宰治、や、もっと前の、「布団」の、田山花袋など、そういった、乱れた生活を送りつつ、自分の執筆した作品、下卑た作品を提示・陳列し、目の前に見せ、迫って来る様を、非常に厄介であり、それら文学者、生活の乱れた文学者共を、大変に心底から軽蔑していた。これには、私も一理あるなあと、深く日頃から思い、感じていた。
 私は、その日は、家に帰っても、その変な先生の事が気になってしょうがなかったが、うちの母の「文学崩れ」の言葉を聞き、絶対に自分は、大学の文学部になんかは進学したくない、と思い始めた。そうして、妙に安心して、その日明日の予習をして、自分の床に安心して入れて、ぐっすり眠れたのを、昨晩の如くに、今も思い出している。

 以上。よしなに。wainai

ちゃんと道路交通法を守っている原付バイク

2022年12月10日 13時49分05秒 | 各交通機関、車、電車、交通マナー等々
 今日、クリニック通院の為、自転車にて、帰り道に、横断歩道に差し掛かった。
 そこへ、向こう側から、原付バイクが一台、通りかかった。
 私は、横断歩道で、自転車に乗り、自分が渡ろうとするのを待ち構えていたが、きっと、原付位の事だから、私を無視して、通り過ぎるだろう、という位にしか、思ってはいなかった。
 しかし、今日、この時の原付バイクは、私の存在にいち早く気付き、十メートル、五メートルと次第に減速してゆき、遂に、横断歩道の前にて、停まった。
 私は、その、彼の思いに応えて、深々と礼を返し、その横断歩道を自転車で渡り、その場を後にし、去った。
 今日は、何て、いい人に出会えたのだろうと、いう思いを深くしている。

 以上。よしなに。wainai

CASIO、電子辞書を買う!EX-word,XD-SX4800BU(ブルー・青)

2022年12月07日 15時49分44秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 カシオの、電子辞書を買った。EX-word,XD-SX4800BU、色はブルー、青である。ケースはオレンジ色にした。高校生タイプの辞書だが、これが、六教科、広辞苑第七版最新版も入っているし、他に国語辞書は、明鏡、新明解、古語辞典二冊、百科事典は2コンテンツ、社会科、理科、数学、英語辞書も、ジーニアス英和和英辞典、他、二種類の英和和英、英英辞典も二冊、ロングマン英英辞典、オックスフォード英英辞典、英語は、英検の勉強資料、ラジオ基礎英語、リトルチャロの、ラジオは音声、チャロは動画で楽しめる。他に、ことわざ辞典、類語辞典、反対語辞典、四字熟語辞典、アクセント語辞典、カタカナ語辞典、他、百人一首、野鳥の辞典(画像、解説、鳴き声の音声付き)、日本文学二千、世界文学二千、クラシック音楽集、等々の、素晴らしい、220のコンテンツが入っている。
 この辞書が、アマゾンで、この間のブラックフライデー販売キャンペーンで、本体が、アマゾン合同株式会社であり、アマゾンの取り扱い・純正製品である。
本体、一万八千円(¥18,798本体 +¥1,778ケース
  商品の小計:
¥20,576
         送料無料)
ちょっとで、正規のアマゾン販売で買えた。この他、同じアマゾン正規販売で、オレンジ色の(どうみてもピンク色にしか見えないが)カシオ純正ケースも千七百円台、どちらも両方で二万と五百円ちょっとで買えた。良い買い物をしたと思う。
 これで、昨日の夜は、大分調べ物をしていた。とても面白かった。こんなに、本来の紙の本みたいには、場所も全然取らないし、シンプルイズベスト、質素・簡明・簡略・簡素であり、これには夢中にならざるを得ない。これがこんな夢の機器が私の高校生時代に有ったらばなあ、との思いを深くする。
 パソコンのネット経由の調べものだと、何かと邪魔が入り、イライラするんだが、この、オフラインの、電子辞書の使い勝手は最高である。私は、素晴らしい、最高の買い物が出来たと、自負、自信、気負いを持って断言できる。
 これは、正に、良い買い物であった、と。勉強できるって、こんなに凄い事なんだと。

 以上。よしなに。wainai

Apple Gift Cardにて、千円分で、楽曲購入!

2022年12月06日 07時08分00秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 昨日、近所のローソンで、アップルギフトカード千円分を買い、うちに帰り、PCのiTunesに、お気に入りの楽曲を購入した。

 ①Pretender(Official髭男dism)
 ②Lemon(米津玄師)
 ③青い瞳のエリス(安全地帯)
 ④All By Myself(エリック・カルメン)

 一曲255円であり、以前の残りのアップルカードの残余金20円を加えて、しめて、1,020円、であった。

 これらに、尾崎豊と、浜田省吾の大好きな私所蔵の楽曲を加えて、iTunesのプレイリスト、勝手に昔のカセットテープの収録曲集め、のような事をやった。

 この中で、髭男と米津玄師は、当時当初最初は全くその良さが判らず、ボーと立ち尽くして見て、聴いているだけであったが、その内にその良さが、その流行った年の内に判って来た。
 これを、最近になり、買い求めた次第である。ちょっと流行に付いて行っているようで、数年の遅れがあるんだが。タイムラグ、と言う事で…。

 この音楽の趣味が、私の場合は一日でガラッと変わる時がある。正に「君子豹変す」である。

 その内に、今、NHK紅白歌合戦などで今、話題の「藤井風」とか、出るか出ないかは判らないが、韓国アーティスト「BTS」、等々も良い、最高!何て自分はいい出し兼ねず、自分の場合は確実に後出しジャンケン、ズルい方の人間であり、こればかりは、将来の自分に聞いてみないと全くわからず予想も出来ない。

 以上。よしなに。wainai

『短波ラジオの世界』世界中のラジオ放送を聴くという醍醐味。『拉致被害者問題』への提言。

2022年12月04日 07時56分05秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
 私にとって、短波ラジオのラジオ機器は、今尚、これ、中国製TECSUNを愛用して居る。

これで最近の短波放送、海外放送を聴く事は、今は読む本が大量にあったり、聴く音楽も大量にあり、その他、ゲーム機器・ソフトに没頭する中では、中々時間が取れず、何時でも聴ける機会は沢山あるんだが、その機会に中々恵まれない。

ラジオを聴く事は、私にとり、非常に大好きで、大好物である。私は、中学生の時、否、小学生から、ラジオを聴いて育った。
写真画像参照。この二つのラジオが、今の私のお気に入りであり、勿論短波ラジオである。

短波(SW)と言っても、勿論、AM(中波放送)、FM(周波数変調・超短波放送)、LW(長波)も聴ける。しかし、長波は、昔はモンゴルやロシアがやっていたのを昭和か平成初期?頃は聞けたらしいが、今は全くと言っていい程、やってない。

片方が、PL-380、今盛んに使っているのが、PL-310ETという、元々中国製、中華ラジオのメーカー、TECSUN社の製造で、凄い感度と、バッテリーが乾電池単三3本なんだが、これがエネループなどの、充電池にも立派に対応し、このラジオごとに、USB経由で充電が出来るという便利さ、利便性に優れている。

このラジオは、アマゾンジャパン株式会社で取り扱いがあり、今でも五千円前後で販売されている。何より格安と言っていい、その価格の良心的安さ、その安さに負けない機械の立派さ、堅牢さ、機能美溢れる、先程も言った感度の超絶な良さ、電池の持ちの良さ。

日本製、日本メーカーのラジオには、情けなくも、この中華ラジオの真似すら出来ずに、日本国はこれら中国の後塵を拝するしか能がなく、残念ながらこのような便利な機能が付いたラジオは今の所、皆無ではなかろうか?

日本の場合、内部電池式充電ラジオ、とかいうのが、充電池が取り外せずに、専用充電池が使えなくなればラジオごとお払い箱の、十年間も使えないラジオなら、そういうのが日本メーカーのやりそうな事だ。

この中華ラジオは、デジタル表示で、ダイアルを回してもアナログ式のように周波数を探れるし、ラジオ表面の、数字、テンキーにて、直接周波数をこちらで指示し、探し当てる事も出来る。

其の外、ETM(イージー・チューニング・モード)という、これは旅行先での、簡単な、地元局のリサーチ、探し出すのに、地元の強力な電波を探し出し拾う、という便利な機能もあるし、ボタンを押すたびに内部ライトが光り、夜でも安心な機能もあり、時計や温度計も付いていて、目覚まし時計がついたり、とにかく便利機能が満載なのである。

こちらの写真画像は、日本製、メイドインジャパン、Made in Japan、の正真正銘の、ソニー株式会社の、ICF-SW23という、これも短波ラジオで、世界中の放送が聴け、当時の値段で、一万八百円で、ヨドバシカメラ郡山駅前店で買った。

これは、アナログ式の、ダイアルで実際に放送局の存在を確かめつつ使うという、古い形式のラジオである。

この日本製は、古き良き日本の代表格のラジオの風格であり、小さくて、カセットテープのケース位の大きさしかない。

昭和平成の、バブル前後の時代の、「軽薄短小」の持てはやされた時代に、ソニーが世に問うた、正に時代の申し子、ソニー株式会社の、ラジオから元々出発した、そしてそれを世界中に売りまくった、ソニーの意気地、意地の様なものも感じさせる。

しかし、今現在のソニーは、完全に短波ラジオ業界からは撤退し、今のソニーは、AM・FMラジオしか作らなくなってしまった。これが私には非常に面白くもない。残念至極である。
こちらの写真画像は、ソニーの、ICF-SW7600GRという、かつて、ソニー株式会社の、ラジオ機器としては、旗艦・母艦・最高位機種として位置づけられた機種である。これも、短波、LW、中波、FMと聴ける。

いまだに使えるが、これは、ダイアル選局じゃなく、ボタン式による選局であり、私にとっては使い勝手が悪いので、今は、奥の棚に眠らせている。しかし、このラジオは、最高機種だけの価値はあると思っては居る。

当時、正規日本販売品は、四、五万円位したが、私は並行輸入品として、当時は円高ドル安の世の中で、海外からの輸入品が安かった、今から十年近くも前の買い物であり、二万円ほどで買えたのを覚えて居る。

日本正規販売品には、電気アダプターが付いてきて、日本語解説説明書も付くが、並行輸入品は、英語の説明書、簡易アンテナのみ付くが、電源アダプター、日本語説明書は付かない。其れだから、別売りでアダプターを(当時二千円前後位)買い、説明書は、インターネット経由でソニーホームページにてダウンロードして印刷した。

このラジオは、何故か、短波帯で、日本の無線放送、アマチュア無線を聴ける電波帯がこのラジオには有り、何度か聴いたが、何の話かは判らないが、とにかく聴くには聴いた。
そして、今では、日本のメーカーでは、三流メーカーと言ってよいのか、エルパ(朝日電器)と、オーム電機のような会社が、ラジオ、短波ラジオを、中国のメーカーに作らせているらしく、自社ブランドで、日本メーカー名として売っている限りとなってしまった。この、エルパとオーム他が、日本の最後の短波ラジオの根城である。だれがこんな日本のラジオ機器業界にしたのか、非常に頭にくる。
これは、ソニーが作っていた、ICR-S71という、AM単体のラジオ。しかし、その、AMラジオ機器だと侮るなかれ。このラジオは、単一電池2本で、数百時間も持つ優れモノなのだ。AM自体の感度も申し分なく、宜しい。昔は、灯台放送と言って、日本各地の灯台の名称を暗唱する事を繰り返す、特殊な放送が行われていた。その周波数帯、1700kHzまで聴けるのが売りだったのだが、数年前位に発売が停止された。このソニー・ラジオ機器の、惜しむファンの数は非常に多かった。
この写真画像は、ソニーが一九九〇年代、FMで始まった文字多重放送、「FM文字放送ラジオ(見えるラジオ)」として、当時、三万円近くのお金を出して、私は当時、郡山市西部のプレス工場に勤務して居り、早速お給料が出たその足で、ヨドバシカメラへ直行し、買い付けに行った。その当時の私の喜びようったらなかった。「これで私も”見えるラジオ″が買えた!」と。

しかし、この見えるラジオも、今から十年、二十年前位にその役目を終え、その文字放送のサービス終了となった。その時代には、もうとっくに、PC、パソコンの、「インターネット」のサービスが隆盛を極め、そんなラジオの文字放送などに、だーれも関心をいだく者などは居なくなった。
これが、時代の流れなんだと、私自身、実感した。
そして、これら写真画像の、五台のラジオの内、主なモノ、ラジオは、ソニーが四台で、あとはアイワaiwa、が一台である。これらは皆、AM・FM放送ラジオである。

こんなもんしか、今の日本のラジオ機器技術は生かされては居ない。

とにかく、中波・超短波の、AM・FM放送が日本国内向け放送。
短波放送、SWが国際放送。

世界中の電波が飛び交い、世界の、理論上、地球の裏の国々の放送まで、家の屋根の上などに立派なアンテナを張れば、南米、南アメリカの行っている日本語放送(アルゼンチン・RAE)なども聴ける。

今、簡単に聴ける短波国際放送は、中国(中華人民共和国・中国国際放送<北京放送>)、韓国(大韓民国・KBSワールドラジオ)、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮<チョソン>の声)、台湾(中華民国・台湾国際放送)、ベトナム(ベトナムの声)、タイ(ラジオタイランド)、モンゴル(モンゴルの声)、インドネシア(インドネシアの声)、ウズベキスタン(主の再臨に備えて)、大韓民国(FEBC/HLAZ、これは中波AM放送。済州島送信。日本制作。キリスト教放送)、グアム(KTWR)、オーストラリア(HCJB)、オーストラリア(いのちのみことば)等々。

この中で、簡単に聴けるとは書いたが、モンゴルは電波条件が良くないと滅多に聴けないし、タイの放送などは、私は一度も聴いた事が無い。インドネシアも同じ。オーストラリアも同じ。

この中で、中国、韓国、北朝鮮、台湾は良好に日本国内でも聴ける。比較的に雑音も多いが、ベトナム、グアム辺りは、私も聴いていた。

昔は、ロシアが、「ロシアの声」として、中波で放送したり、短波に移ったりしたが、国家の予算がつかなくなり、終わってしまった。

この他、昔は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、バチカン市国等々が、盛んに日本語放送を行っていたことがあり、その時が、正に、BCL( Broadcast Listening / Listeners )ブームの最盛期といえた。一九七〇年代八〇年代の頃である。

この時の、ソニー、松下電器(現パナソニック)、東芝、たしか三菱他も、皆が皆、BCLラジオ機器、遠距離受信・短波放送受信ラジオの高級機が華々しく大々的に生産され、製品としては各メーカー総合して何十種類も売り出され、それらを買い求める若者、子供から大人までの、ラジオファンたちが数多く居たのである。

この、これら外国による日本語放送の中で、もう、物凄く、プロパガンダ放送、そこの国の、独自の思想体系、国家思想で統一され、凄い自国礼賛賛美に終始した放送局であるのが、北朝鮮の、チョソンの声(朝鮮の声)である。

これは、一度聞くと、その、何とも香ばしい、日本の昔の軍歌調の、北朝鮮の国歌、金日成主席の歌、金正日書記長の歌、等々でこの放送が日本時間夕方四時から丁度始まり、もう、その後は、北朝鮮のやりたい放題の自分勝手な報道ニュース、安倍首相時代のチョソンの声は、安倍首相と言わずに「アベ」「アベ一味」と呼び付けにして言って、日本の一国の首相をそれはそれは、けちょんけちょんにバカにして差別して罵倒するのに終始していて、この、北朝鮮の独善性、二面性、その「チュチェ(主体)思想」による、洗脳の怖さ、金王朝三代続く、この独裁国家の行く末が、この、非常に偏った放送群を聴いている度に、ふと思いつく考えなのである。

その他、中国や韓国は、自国の無難な、文化発信に注力している。

台湾は、親日国家として、日本にある意味、観光やその国の音楽とくに流行歌、文化、政治状況、経済情勢、食文化、言語、中国語の発音、意味、使われ方等々を我々日本人、日本国にメッセージを送っている。

これと、忘れてはならないのが、日本国・政府が発信している、北朝鮮拉致被害者への救済策、短波ラジオ放送による、拉致被害者に向けた放送局が、二つほどある。「ふるさとの風」・「しおかぜ」。

このラジオは、三十分くらいの放送で、時々、北朝鮮と思われる妨害電波に遭い、聴けなくなる時間もある。

主に夜中やっているのだが、この、拉致被害者たちが聴いていたであろう、昭和の頃の昭和歌謡、昭和時代のアイドルの曲、音楽が良く流れている。これを聴いていると、何だか普段は普通にこれら音楽を楽し気に普通の感情で聴いていた私も、何だか、自分の気持ちが、同感、同情に包まれてさいなまれて涙が出てくるというか、実際その時、同苦同感して泣いてしまい、悲嘆にくれて、非常な悲しみに包まれて切なくなって聴いてしまう。

身につまされて、この拉致被害に対して、非常な怒り、困惑、悲しみを、我が、北に連れ去られて行ってしまった同胞たちへの同苦、同情、共感、同感を感じつつ、夜の闇の中の、我が家の私の寝室に於ける、寝床の布団の中で一人、短波ラジオを枕元に抱えて抱きしめつつ、北朝鮮への怒りを燃やして、私なりに、この問題が、何とか早くに解決できないものかと、涙を流して、いつも考え続けて居る。

今の岸田では、ダメだと思う。あの首相は、あの自民党の総理は、全く、北朝鮮との交渉力が全く無く、出来ず、その、やる気の無さ、関心の無さが非常に気になる。恐らく、ダメ首相の、歴代ワースト何位かの、悪の首相となるであろう。

あの、立派だった、小泉純一郎元・自由民主党首相・内閣総理大臣のような、立派な振る舞い、拉致被害者たちをあの時のように、飛行機に乗って行って、立派に連れ戻してくれた、立派な首相が二度と出ずに、その後、誰が、一体どの首相が、実際に北に行って行動してくれたであろうか?誰も、誰一人として、そんな行動など、起こし、とった政治家など、一人も居らず、いないではないか、誰一人も!

拉致被害者たちも、今は、日本政府もそうやすやすとは助けには来ては来てくれずに、今は、非常に、無念で、諦めに似た、絶望の日々、毎日を送っている、その非人道的行為、非人権的国家「北朝鮮」に於いて、自身の助かる見込みのないまま、無為に、下手をしたら、援(たす)けに来てすらくれない、日本国及びその政治屋を恨みに恨んでいる人々も居ると、容易に想像が出来る。

あの、安倍晋三元首相ですら、この、北朝鮮拉致被害者問題には、何となくではあるが、結局は及び腰だったではないのか?そう、疑問を呈し、判断をせざるを得ない感覚が私も、日本国民の間にも、実際ある。あの安倍さんですら、北を怖れ、コワくて二の足を踏んでいた。

その後に続いた、日本国自由民主党の、腰抜け首相共たちは、揃いも揃って、誰一人、この、拉致問題に取り組んだ実績など、皆無ではないのか、それについて、自身、恥ずかしいとは何一つ、思わないのか?

その後の民主党政権などは、腰抜けで、何も誰もそれについて一切、手を差し伸べずに、無能・無策・非情無情政権・反日国家極端左翼主義主張・ファッショ・ファシズム政権、何をかいわんや、言わずもがなである。

私は許せない。北朝鮮を!そして、それに、その問題にフタをして、何も考えをめぐらさず、この問題を解決に導こうともしない、はっきり言ってこれら事実、問題を無視し続けた日本の無策無能な政治家共を!

こいつらには、一切、日本国民、拉致被害者を守る、救出する技術、才能、技量、技能、底知れぬ力(パワー)、実行力、それらを議論の俎上に載せる卓見・感覚などは全く持ち合わせていないのだと。

結局、他人事なのだ。自分が一番かわいく、自分さえ良ければ、それで良いのだ。

自分の家族が、もしも、これら北朝鮮一派の、北工作員などに家族の一人でも、そいつら、小泉首相の以後の歴代首相たち、安倍元首相、福田元首相、麻生元首相、鳩山元首相、菅(かん)元首相、野田元総理、第二次安倍元首相、菅(すが)元首相、現在の岸田現内閣総理大臣、等々が、こいつら給料只取り政治家、否、政治屋共は、一切、ほっかむり、これら被害者を無視し続け、この、日本と伝統と文化を護持し、領海領空領土を守り続け、防衛分野を大事に考え、日本の在り方を、これら人々、方々は、何一つ、考え、想い、実行に決して移しはしなかった。

こんな非情、無情、情けの無い政権が、かつてあっただろうか。それは、自民党政権・民主党政権、問わずに、である。拉致被害問題に目を向けない政権は、自堕落政権、落ちぶれ政権、非情無情無策無能政権にしか過ぎない。

実際に、今現在、拉致被害者たちが、何十人何百人と、かの国、北朝鮮に囚われの人となり、人権も人格も何一つも保障もされ得ずに、日本に残った拉致被害者御家族の方々との分断の日々、生活を送っているというのに。今の岸田は、今、何をやっているんだ、このオンツァ政治家、政権が。(オンツァ、とは福島方言で、このジジイ、位の意味。)

自民・公明政権。
これらカルト集団・カルト教団、邪師池田大作第三代会長名誉会長・邪師現第六代会長原田稔・邪教の創価学会が支持母体の邪政治団体・公明党、と、邪師文鮮明教祖による、邪韓国発キリスト異端新興宗教・邪・統一教会(世界平和統一家庭連合 )による、カルトまみれ、カルトに染まった今の自民党に、何が出来るというのだ。

この時、今のこれら諸問題解決へのタイムリミットが迫った、有意義な非常時今時に、これらカルト集団・宗教団体等との関係断絶、関係拒絶、関係謝絶、関係根絶を目指さないで、一体、果たして、どうやって自由民主党の、その、冠たる「自由」と「民主」という輝かしい名前を、自身の目標を、自身の未来を、今後、いかにして目指せるというのか。

私は、次の政権も、勿論、自民党政権の存続継続を求めるものだが、その時に、必ずや、北に因る拉致被害者救済解決への公約を第一義に掲げない政権・政府・政党・政治家の政策、施策は、一切、応援はしたくもないし、しない積りだ。

結局、果たしてか否かかを、それに私自身は、自民党の真価、真実、実際、如何(いかん)、真っ当さ、誠実を自民党に賭けて居るが、これからの自民党が、本当の意味で、党是として、党の約束として、この、「北朝鮮による拉致被害者の救済」を公約としなくなった時点で、私はこの自身の自民党の支持を降り、終わらせて頂くことを、ここに誓い、ここに結論付ける!

そんな時が来たならば、日本も、早晩、終わってしまうだろう。反日政党・民主党の前・元職女性議員の「日本終わった」発言、じゃないけれども。

だから、今の自民党には矜持を持って、自身の、決して安易に、カルト集団教団等々には近づかず、それらとの関係性を必ず絶ち、根絶し、それら諸問題をまずは解決致す。

その後、否、もっとそれ以前から、同時並行的に、早急に、これら、拉致諸問題等々に果敢に挑み、取り組み、解決に行動力を持って動きに動く。

そんな政権を待ち望んでいる。

※ 話しがだいぶ、ラジオの話から逸れ、脱線してしまった事を、ここに謝し、謝りたいと思う。誠に済みませんでした。しかし、私自身、今の政治状況に、北による拉致問題等々、国内外の、カルト宗教支持者達による政治団体支配による被害、弊害、危機意識にも共に、私なりに、非常に心痛め、精神を蝕まれ苛まれて居るのであります。そこの所を、是非とも、読者の皆様方、私の心を最大限、汲み取り、汲み入れて下さい。

以上。よしなに。wainai

「世界のアソビ大全51」任天堂スウィッチのゲームソフト、届く

2022年12月02日 12時00分11秒 | 将棋・将棋論・ゲーム・アニメ・映像・映画系
 任天堂スウィッチのゲームソフト、「世界のアソビ大全51」が、とうとう我が家に届いた。これを楽しみに待ってはいた。
 けれども、これで今、暢気に遊んでいる訳にはゆかないのである。私は今朝から、私が副ブログとして主宰をして居る、言わば第二ブログ、「アメーバブログのwanai123753のブログ」というのがあり、そこでは、私の、独白体というか、告白体というか、そこでしか述べられない事どもを載せている。
 言わば、こちらが表ブログならば、そちらは裏ブログに当たるのである。
 そちらの、そこのアメーバブログで派手に、今日は文章を書き進めていたものだから、こちらのブログもご無沙汰であるし、何より、これから朝食、朝の日蓮正宗のお勤め、勤行も、この昼の十二時からやらねばならない。これは非常事態と言って良い。
 何でこうも、私は時間の使い方が下手なのかなあ、と自虐的にも考える。
 とにかく、ヒマは全くない。では、さらばじゃ。
 以上。よしなに。wainai