
箱根旧街道の脇にひっそりとある「お玉ヶ池」、元々は薺(なずな)ヶ池と呼ばれていたそうですが、なぜ「お玉ヶ池」と呼ぶようになっかたというと。
元禄年間の時代、伊豆大瀬村の娘“たま”は奉公先の江戸から国許へ帰る途中で通行手形を持っておらず、関所の柵を越えて捕まってしまいます。当時は関所破りは重罪、特に箱根の関所では出女を重点的に警戒していました。“たま”はこの池のほとりで獄門にされてしまいます。それから、この池を「お玉ヶ池」と呼ぶようになったそうです。
普通に国許へ帰るなら通行手形は持っているはずなので、奉公先を逃げてきたのかな?