2011年の今頃は、てくてくてくと新青梅街道を歩いてました。
いや、街道沿いのマックでご飯食べて
エネルギーチャージしてたかな、
パンプス履いてた妹に履き替えるように
ドンキでスニーカーの買い物してたかな…
とにかく、新宿から街道沿いにある都下の我が家へ向かい
せっせと歩いてました。
恵比寿で働いていた妹と新宿で合流し
会えたこと自体が奇跡だったような気がする
彼女が来るまで待っていたから、
出発が6時過ぎてたんですよね。
外は真っ暗、歩いているうちに体も温まるさ、と
一斉に同じ方向へ歩く人の集団の一員となっていたのですが
いや、すんごい人の数でした、
全然人が減らず、途切れなかった。
みんな足も速かったなあ。
外はからりと晴れた月夜で
時間が遅くなるにつれてどんどん寒く、ひたすら寒く、
体が冷えていって参りました。
新青梅街道沿いのお茶やさんがお茶を振る舞ってくれて
とても暖かくて。
一般家庭の方も「トイレどうぞ」と家の前で、
寒い中を立って声がけしている人に何人も会いました。
JRや私鉄各線は全線運休していたけれど、
幸か不幸か、最寄り駅まで運んでくれる、
S武S線(伏せ字にするまでもないけど)が動いていると
街道沿いの警察でおまわりさんから情報をもらい、
せっせせっせと駅へ向かって道を取り、
いつ来るかわからない電車を駅で待ってました。
同じドアから、なんと同じ会社の人複数と乗り合わせ、
間近にいたのにお互いに気づかず、
車内でドアが閉まった瞬間に「あ!」と指さし合ったこととか
少しずつ記憶はこぼれおちて行ってはいますけど
多分、忘れないものの方が多いんだろうな。
今日、F街道の信号待ちをしていた時、
不思議と2011年の深夜、同じ場所で信号待ちして、
夜中だったのにまるで夕方みたいに車が混み合っていたなと
あの日のことを思い出すんです。
やっとのことで帰った自宅、
まずしいちゃんが無事か
家具でつぶされてないかすごく心配で
ドア開けるまで生きた心地がせず、
いつもならドア向こうでにゃかにゃか鳴いて待ってるのに
その様子がなくて、
もしかしたら!!! と大慌てで鍵を開けたら
真っ暗な部屋の向こうから、へっぴり腰で
びくびくしながら出てきた彼女に笑っちゃったけど
安心したこととか…
きっと怖かったんだろうなあ…
そんな3月11日。
今年は2015年、けれど未だに見れてないビデオがあります。
それは2011年3月11日当夜
私が道をせっせと歩いていた頃に録画されていたものです。
この日、私は録画予約はしておらず、
何かの拍子で録画ボタンが押されでもしなければ
記録されるはずもないのですが、
通電してないビデオデッキでリモコンなり本体のボタンを
誰が押すというのだろう。
一人暮らしなんですから。
しいちゃんがぽちりと押した?
いやいや、それはないだろう。
もしまちがって録画ボタンを押したのだとしたら、
HDデッキですから誰かが止めるまで容量いっぱいまで
録画されてると思われるのに、それもなく、
デッキにはまだ余裕があったんです。
チャンネルはNHKでした。
おそらく震災直後の中継画像がこれでもか、これでもかと入ってる。
NHKを録画する趣味もないからなおさら不思議、
朝は民放を見てますから、そのチャンネルではなく
NHKが録画されてたのも不思議。
この録画は、震災直後に録画の事実があったことだけ確認し、
未だに再生できていません。
見るのが怖いような、気持ちの整理がつかないような、
過去と向き合った方がいい?
うーん、別にそこまで深く考えることもない?
などといろいろと考えてしまい。
変な気分になる気がしてならないからなんですが、
このままデッキが壊れるにまかせて放置でもいいかな、と
今では思っています。
いや、街道沿いのマックでご飯食べて
エネルギーチャージしてたかな、
パンプス履いてた妹に履き替えるように
ドンキでスニーカーの買い物してたかな…
とにかく、新宿から街道沿いにある都下の我が家へ向かい
せっせと歩いてました。
恵比寿で働いていた妹と新宿で合流し
会えたこと自体が奇跡だったような気がする
彼女が来るまで待っていたから、
出発が6時過ぎてたんですよね。
外は真っ暗、歩いているうちに体も温まるさ、と
一斉に同じ方向へ歩く人の集団の一員となっていたのですが
いや、すんごい人の数でした、
全然人が減らず、途切れなかった。
みんな足も速かったなあ。
外はからりと晴れた月夜で
時間が遅くなるにつれてどんどん寒く、ひたすら寒く、
体が冷えていって参りました。
新青梅街道沿いのお茶やさんがお茶を振る舞ってくれて
とても暖かくて。
一般家庭の方も「トイレどうぞ」と家の前で、
寒い中を立って声がけしている人に何人も会いました。
JRや私鉄各線は全線運休していたけれど、
幸か不幸か、最寄り駅まで運んでくれる、
S武S線(伏せ字にするまでもないけど)が動いていると
街道沿いの警察でおまわりさんから情報をもらい、
せっせせっせと駅へ向かって道を取り、
いつ来るかわからない電車を駅で待ってました。
同じドアから、なんと同じ会社の人複数と乗り合わせ、
間近にいたのにお互いに気づかず、
車内でドアが閉まった瞬間に「あ!」と指さし合ったこととか
少しずつ記憶はこぼれおちて行ってはいますけど
多分、忘れないものの方が多いんだろうな。
今日、F街道の信号待ちをしていた時、
不思議と2011年の深夜、同じ場所で信号待ちして、
夜中だったのにまるで夕方みたいに車が混み合っていたなと
あの日のことを思い出すんです。
やっとのことで帰った自宅、
まずしいちゃんが無事か
家具でつぶされてないかすごく心配で
ドア開けるまで生きた心地がせず、
いつもならドア向こうでにゃかにゃか鳴いて待ってるのに
その様子がなくて、
もしかしたら!!! と大慌てで鍵を開けたら
真っ暗な部屋の向こうから、へっぴり腰で
びくびくしながら出てきた彼女に笑っちゃったけど
安心したこととか…
きっと怖かったんだろうなあ…
そんな3月11日。
今年は2015年、けれど未だに見れてないビデオがあります。
それは2011年3月11日当夜
私が道をせっせと歩いていた頃に録画されていたものです。
この日、私は録画予約はしておらず、
何かの拍子で録画ボタンが押されでもしなければ
記録されるはずもないのですが、
通電してないビデオデッキでリモコンなり本体のボタンを
誰が押すというのだろう。
一人暮らしなんですから。
しいちゃんがぽちりと押した?
いやいや、それはないだろう。
もしまちがって録画ボタンを押したのだとしたら、
HDデッキですから誰かが止めるまで容量いっぱいまで
録画されてると思われるのに、それもなく、
デッキにはまだ余裕があったんです。
チャンネルはNHKでした。
おそらく震災直後の中継画像がこれでもか、これでもかと入ってる。
NHKを録画する趣味もないからなおさら不思議、
朝は民放を見てますから、そのチャンネルではなく
NHKが録画されてたのも不思議。
この録画は、震災直後に録画の事実があったことだけ確認し、
未だに再生できていません。
見るのが怖いような、気持ちの整理がつかないような、
過去と向き合った方がいい?
うーん、別にそこまで深く考えることもない?
などといろいろと考えてしまい。
変な気分になる気がしてならないからなんですが、
このままデッキが壊れるにまかせて放置でもいいかな、と
今では思っています。