食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

テンサイと砂糖-近世ドイツの食の革命(3)

2021-09-02 23:29:52 | 第四章 近世の食の革命
テンサイと砂糖-近世ドイツの食の革命(3)
現在、世界で消費される砂糖の70%はサトウキビから精製されています。そして、残りの30%は「テンサイ(sugar beet)」と言う植物から取られています。

テンサイを漢字で書くと「甜菜」となります。字の通り、「甜菜」は「舌に甘い野菜」と言う意味です。なお、サトウキビから取った砂糖を「甘蔗糖(かんしょとう)」、テンサイから取った砂糖を「甜菜糖」と呼ぶことがあります。

砂糖はテンサイの根っこの部分に集まります。根っこはカブのような形をしていて、1㎏くらいまで成長します。このためテンサイは「サトウダイコン」と呼ばれることもあります。なお、1㎏のテンサイには、約180gの砂糖が含まれています。

サトウキビはイネ科の植物で、温暖な気候で育ちます。一方のテンサイはアカザ亜科の植物で、寒冷な気候を好みます。このため、テンサイは日本では主に北海道で栽培されています。

テンサイから砂糖を取れるのを見つけたのは近世のドイツの研究者たちでした。そこで今回は、甜菜糖の歴史について見て行こうと思います。


テンサイ(sugar beet)
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テンサイは「ビート(beet)」と言う食用植物の一品種だ。ビートには、根の部分を食べる品種と葉の部分を食べる品種がある。ヨーロッパでビートと言うと、赤カブのようなテーブルビートを指すことが多い。これはウクライナの伝統的な煮込み料理の「ボルシチ」の材料となる。一方、葉を食べるビートには、スピナッチビートスイスチャードと言う品種があり、ホウレンソウのような食べ方をする。


テーブルビート(Gyöngyi NagyによるPixabayからの画像)


スイスチャード

ビートの先祖は地中海沿岸が原産地と考えられており、炭化したテーブルビートが紀元前2000年代のエジプトの遺跡から見つかっている。また、古代ギリシアや古代ローマの記録からも、その当時にテーブルビートやスピナッチビートがよく食べられていたことが分かる。なお15世紀には、根の部分を飼料にする品種が開発されたが、これがテンサイの原種につながる。

テーブルビートに砂糖のようなものが含まれることに気づいたのはフランスの農学者オリヴィエ・ド・セールとされている。彼は1575年に「テンサイのしぼり汁を煮詰めると砂糖のシロップのようになるが、その色が朱色なので見ていて美しい」と記したが、人々に注目されることは無く、その後しばらくの間忘れ去られてしまう。

次にテンサイに含まれる砂糖について革新的な研究を行ったのが、ドイツの化学者マルクグラフ(1709~1782年)だ。彼はドイツ中部のハレで最先端の化学と医学を学び、1744年から様々な植物の抽出物について研究を行っていた。その中で、飼料用のビートから甘味物質を精製することに成功し、これがサトウキビから取れる砂糖と同じものであることを見つけたのである。彼はこの発見を1747年にベルリン科学アカデミーに報告した。

彼の弟子だったフランス移民のアシャール(1753~1821年)がテンサイから砂糖を精製する研究を引き継いだ。彼は1784年に「ホワイトシレジアン」という飼料用のビートからテンサイの原種となる株を選び出し、栽培を始めた。そして1801年にはプロイセン王のフリードリヒ・ウィリアム3世の庇護のもと、製糖工場を建設したのである。

なお、アシャールが見つけたテンサイの原種は約5~6%の砂糖を含んでいたが、その後に様々な品種改良が行われた結果、現代の品種には約18%もの砂糖が含まれようになった。

ここからは近代の話になってしまうが、テンサイから砂糖を精製する技術がヨーロッパに広まるきっかけを作ったのが、ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)である。彼はフランス革命期の軍人で、1804年に皇帝に即位してナポレオン1世(在位:1804~1815年)となる。

アシャールの研究を聞きつけたナポレオンは、科学者をプロシアに派遣してアシャールの工場を調査させた。科学者が帰国すると、ナポレオンはアシャールの工場を真似た2つの小さな工場をパリ近郊に建設させ精糖を行わせた。その頃はイギリスによるヨーロッパ封鎖によってサトウキビ糖(甘蔗糖)の輸入が不可能になっていたため、ナポレオンは甜菜糖で不足分を補おうとしたのだ。

その後ナポレオンは、砂糖学校を設立したり、農家にテンサイの栽培を義務づけたりすることで、テンサイの生産と砂糖製造を拡大させて行った。こうしてフランスの製糖産業は大成功をおさめるが、これを見た他のヨーロッパの国々も次々とテンサイ産業に参入して行くことになり、ヨーロッパに広く定着することになるのである。


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