葬儀、7日の法事とすべてが終わりました。今日も約100名近い人のお参りがありました。ともさんのお父さんは、老人保健施設に入所中です。脳梗塞によって、足が不自由ですが、言葉は少ないものの、頭はしっかりしてしています。いよいよとなってきた時、お父さんの葬儀への参列が一つの課題でした。17日に泌尿器科の受診のため、外出する際に家によって、ともさんとあって、手を握ってもらいました。施設に帰る道中で「今日はありがとう」と言われたそうです。
ともさんがなくなったことは、24日にお姉さん、妹さんでお父さんに伝えに行ってもらました。施設のヘルパ-さん、主治医と相談したところ、「長時間、多数の人が集まる葬儀は、無理とのことでした。」葬儀が25日13時からだったこともあり、控え室にあるともさんとお父さんの対面をすることとししました。帰りは、妹さんがつきそい、しばらく一緒にいてもらうことにしました。
もともと、私の実家では、喪主は、泣くもんじゃない、しっかりと葬儀をしきるべきと言われ続けてきました。ですから、今回の私の課題は、一連の式の間にいかにして泣かないかでした。また、遠方から来る仕事関係の仲間やともさんの友人に
きちんと挨拶するか、また、ともさんのこの3年間が闘病生活で悲しいだけでなく、きちんと若奥さんしたこと、いろんな想い出をつくることができたことを伝えること、そして、私たち二人を支えてくれたいろんな人たちに感謝の気持ちを伝えることでした。
まず、泣かないこと、これはなんとかできました。しかし、何人かの仲間の前では、泣いてしまいました。ともさんの友人にも8割方知らせて、あいさつすることもできました。私の仕事の関係では、おにぎり君をはじめとして、愛知・岐阜・石川からの参列者がいました。弔電も省略しませんかと聞かれるぐらいたくさんいただきました。ともさんとの旅行でとりためたものでDVDをつくり、式の前に上映することができました。本当は、ともさんが好きだったさだまさしの「道化師のソネット」を流したかったですが、ダウンロ-ドできず断念しました。
そもそも、ともさんは、私の家に嫁いだ格好になっているので、本来なら、私の
家のお墓に入るはずですが、ともさんがお寺が好きで、お寺の手伝いもしていたことなどから、お坊さんもおはかもともさんの実家の宗派にしてもらい、ともさんの実家のお墓に入れてもらうことにしました。「○○家葬儀案内」という看板もともさんの実家(2人が暮らしていた家)の前に私の実家の名前で案内が出るというチヨット異例なものでした。しかし、今回の通夜、葬儀におふくろが全面的にパックアップしてくれました。葬儀のお供物も同様のことがありましたが、とにかくできることをやろうという確認が二人の母や義姉さんとの間でできていたので、なんとか無事終えることができました。出棺の際の車の運転手さんからも「おくりびとの影響で幻想をいだく人がいるが、送る側がどういう式にしたいかを具体的にはっきりと統一しておくことが必要」と言われました。
ともさんの遺影は、私とはじめて、奈良・東大寺に行ったときのものとなりました。当時、頭痛に悩む彼女が「東大寺の大仏の下にあるくぐる所をくぐって、元気になりたい」ということで行った旅行で、私とならんでにこやかに笑うともさんの顔を引き延ばしたものでした。
興奮状態がさめず、なかなか寝付けないでいます。とりあえず、今日はここまで。
ともさんがなくなったことは、24日にお姉さん、妹さんでお父さんに伝えに行ってもらました。施設のヘルパ-さん、主治医と相談したところ、「長時間、多数の人が集まる葬儀は、無理とのことでした。」葬儀が25日13時からだったこともあり、控え室にあるともさんとお父さんの対面をすることとししました。帰りは、妹さんがつきそい、しばらく一緒にいてもらうことにしました。
もともと、私の実家では、喪主は、泣くもんじゃない、しっかりと葬儀をしきるべきと言われ続けてきました。ですから、今回の私の課題は、一連の式の間にいかにして泣かないかでした。また、遠方から来る仕事関係の仲間やともさんの友人に
きちんと挨拶するか、また、ともさんのこの3年間が闘病生活で悲しいだけでなく、きちんと若奥さんしたこと、いろんな想い出をつくることができたことを伝えること、そして、私たち二人を支えてくれたいろんな人たちに感謝の気持ちを伝えることでした。
まず、泣かないこと、これはなんとかできました。しかし、何人かの仲間の前では、泣いてしまいました。ともさんの友人にも8割方知らせて、あいさつすることもできました。私の仕事の関係では、おにぎり君をはじめとして、愛知・岐阜・石川からの参列者がいました。弔電も省略しませんかと聞かれるぐらいたくさんいただきました。ともさんとの旅行でとりためたものでDVDをつくり、式の前に上映することができました。本当は、ともさんが好きだったさだまさしの「道化師のソネット」を流したかったですが、ダウンロ-ドできず断念しました。
そもそも、ともさんは、私の家に嫁いだ格好になっているので、本来なら、私の
家のお墓に入るはずですが、ともさんがお寺が好きで、お寺の手伝いもしていたことなどから、お坊さんもおはかもともさんの実家の宗派にしてもらい、ともさんの実家のお墓に入れてもらうことにしました。「○○家葬儀案内」という看板もともさんの実家(2人が暮らしていた家)の前に私の実家の名前で案内が出るというチヨット異例なものでした。しかし、今回の通夜、葬儀におふくろが全面的にパックアップしてくれました。葬儀のお供物も同様のことがありましたが、とにかくできることをやろうという確認が二人の母や義姉さんとの間でできていたので、なんとか無事終えることができました。出棺の際の車の運転手さんからも「おくりびとの影響で幻想をいだく人がいるが、送る側がどういう式にしたいかを具体的にはっきりと統一しておくことが必要」と言われました。
ともさんの遺影は、私とはじめて、奈良・東大寺に行ったときのものとなりました。当時、頭痛に悩む彼女が「東大寺の大仏の下にあるくぐる所をくぐって、元気になりたい」ということで行った旅行で、私とならんでにこやかに笑うともさんの顔を引き延ばしたものでした。
興奮状態がさめず、なかなか寝付けないでいます。とりあえず、今日はここまで。