おだやかな日々が続きますように。

脳腫瘍で結婚して3年間たたかった新婚カップルの日々

今までのこと6

2006年07月29日 | 今までのこと
 最初の電話をしてから、ともちゃんから手紙をもらいました。その手紙には、5月に出かけた帰りに1日中嘔吐したこと、手が食事をしているとしびれることが書いてありました。付き合いはじめてからは、動物園や公園などを1時間近く歩くこともあって、元気でした。ただ、「今、しびれた」いうことは、しばしばありました。5月に嘔吐して、県立の病院にいって、精査して、今、心療内科に通っているときいてたので、私はてっきり、県立病院の紹介で、心療内科に通院しているんだと思い込みました。だから、しびれの原因は、メンタルなものだと思ってました。実際、私の職場にメンタルヘルスで症状が出ている人が何人かいたので、そう思いました。
 ともちゃんの手は、いつも冷たく、手をあたためるのが私の仕事でした。また、ともちゃんがしめる車のドアは、いつも半ドアでした。11月には、奈良・京都にいって、奈良の大仏さんにあってきました。大仏のところでは、くぐると病気にならないといわれているところをともちゃんは、くぐりました。最後は、私がひっぱりました。
 12月になって、両方の親に会おうと言い出していたころ、また、嘔吐がはじまりました。12月3日土曜日の夕方に「気持ち悪い、はきそう、タクシ-で病院にいくにはどうしたらいいという」メ-ルが入りました。私は、用事をキャンセルしてね車でかけつけ、2次救急の日赤にいきました。このころは、まだ診察は、本人だけにまかせていました。結局、吐き気止めの点滴をされて、終わりでした。外来がいっぱいで点滴は、廊下ででした。その間、私は、ずっとそばにいました。看護師さんから「だんなさん、薬もらってきてください」といわれて、「だんなさんだってそう見えるのかな」とうれしがってました。
 その後も頭痛は、続きました。しかし、痛いヶ所が特定できず、不定愁訴だったこともあって、すべて、メンタルで片付けられていました。県立病院の紹介で心療内科に通院しているという勝手な私の思い込みでそういうことにしていました。お互い、年も年なので、<ベビブ-ムの羊年です。>結婚にむけてということや彼女は、新しいバイト先をみつけてきていました。そういうことに対する不安から来るものという理解をしていました。
 しかし、心療内科は、勝手に彼女が通っていたのです。嘔吐で入院した県立病院は、消化器系の精査や精神科の受診はしたけどね頭の写真はとらなかった。退院後、いつきてくださいというフォロ-もなかったそうです。
 あまりに続く頭痛にお母さんと彼女で日赤を受診しましたが、「眼の疲労」ではないかといわれ、結局、CTなどをとることはありませんでした。結局、12月24日に「あんた、顔まがっている。写真とらんと駄目だ」とMRIのある開業医に指摘されるまで、CTなどをとることはありませんでした。
 結果論ですが、5月に発症していたのが、一度もCTをとることなく、病状が進み、5センチのG4の腫瘍が発見されることになったのです。
 私は、事務系で現場にはいませんが、医療関係で働いています。詳しい病気のことはわからなくても外来の受診の仕方や病院側の事情などや看護師や医師にどう伝えたらいいかはわかります。だから、12月にどこか受診するときは一緒にいきましたし、その結果、自然と彼女のお母さんとも話をするようになりました。
 12月に「頭が痛いよ、脳梗塞とか脳腫瘍じゃないけ」と彼女がいうたびに、「歩けないわけじゃないし、元気だよ。動物園でもちゃんと歩いたじゃない」といつも否定してました。その頭の痛さをもっときちんとわかってあげればとしばしば思います。24日に入院となって、26日にともちゃんの家族から呼ばれて「脳腫瘍だったんです」ときかされたときは、なぜだかすんなりと受け入れられました。また、彼女の闘病を支えるために、神様が引き合わせたんだと思い決意を固めました。















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