昨日から葬儀後の残夢処理がはじまっています。昨日は、ともさんの中学校の同級生が2人、お悔やみにこられました。近所から3人来られました。お参りいただいた方へのあいさつ、町内の人だけを義母とまわりました。
お金の計算、受付してもらった人へのお礼、お世話になったヘルパ-、ケアマネ、訪問入浴、診療所、訪問看護などへのお礼の額を決めたりして過ごしました。
また、借りっぱなしのDVDを返し、お酒も飲みました。
今日、お世話になったヘルパ-、ケアマネ、訪問入浴、診療所、訪問看護をまわってあいさつしました。ヘルパ-の事業所では、ヘルパ-さんとあえて、涙、涙でした。なぜだか、そういう場面では、泣きたくても泣けないのです。
誰が来ても、だんなさんの愛の力でと言われます。でも、私には、力を入れたものはありません。しいていえば、ともさんと付き合いだしてから、常に仕事の仲間や支えてくれる友人と相談しながらしてきたことです。だから、私ががんばったという実感は、ないのです。喪主あいさつでも言ったことですが、みんなに支えられてきたという感じしかありません。
弔電は、メ-ルできたものも含めて、62通というものでした。葬儀会社の担当者がこれみんな読みますかという数でした。私は、労働組合の専従として働いています。正直言って、少し自信をなくしていました。もう一度、復帰するという決意を込めて、あえて、全部読んでもらいました。
支離滅裂な文章です。今はたぶん、なかなか考えられないのだと思います。だって、当たり前ですが、どこに言っても、ともさんのことを思い出すのです。まず、部屋は、ともさんのベットがないので、ガランとしています。また、ともさんがいたから、その部屋の電気はずっとついていましたが、今は消えてます。トイレにいけば、ともさんを支えて浣腸したことなどを思い出します。すべてが万事そうなのです。まだ、アパ-トに帰っていませんが、アパ-トで一人で暮らすようになると、なお、そうだと思うのです。
そうそう、死亡した人の預金は凍結されます。下ろすのには、手続きが必要です。今日の更新は、ここまでです。
お金の計算、受付してもらった人へのお礼、お世話になったヘルパ-、ケアマネ、訪問入浴、診療所、訪問看護などへのお礼の額を決めたりして過ごしました。
また、借りっぱなしのDVDを返し、お酒も飲みました。
今日、お世話になったヘルパ-、ケアマネ、訪問入浴、診療所、訪問看護をまわってあいさつしました。ヘルパ-の事業所では、ヘルパ-さんとあえて、涙、涙でした。なぜだか、そういう場面では、泣きたくても泣けないのです。
誰が来ても、だんなさんの愛の力でと言われます。でも、私には、力を入れたものはありません。しいていえば、ともさんと付き合いだしてから、常に仕事の仲間や支えてくれる友人と相談しながらしてきたことです。だから、私ががんばったという実感は、ないのです。喪主あいさつでも言ったことですが、みんなに支えられてきたという感じしかありません。
弔電は、メ-ルできたものも含めて、62通というものでした。葬儀会社の担当者がこれみんな読みますかという数でした。私は、労働組合の専従として働いています。正直言って、少し自信をなくしていました。もう一度、復帰するという決意を込めて、あえて、全部読んでもらいました。
支離滅裂な文章です。今はたぶん、なかなか考えられないのだと思います。だって、当たり前ですが、どこに言っても、ともさんのことを思い出すのです。まず、部屋は、ともさんのベットがないので、ガランとしています。また、ともさんがいたから、その部屋の電気はずっとついていましたが、今は消えてます。トイレにいけば、ともさんを支えて浣腸したことなどを思い出します。すべてが万事そうなのです。まだ、アパ-トに帰っていませんが、アパ-トで一人で暮らすようになると、なお、そうだと思うのです。
そうそう、死亡した人の預金は凍結されます。下ろすのには、手続きが必要です。今日の更新は、ここまでです。
いなくなった部屋には、娘のものばかりがあります。大学生から社会人になってからずっと一人暮らしをしていました。病気になって、退院してこちらに連れて帰って、亡くなった時、娘のものがどこにどうあるのか、どう使っていたのかが何もわかりません。8か月たって、まだそのままです。今は娘の部屋に私が寝てます。娘が寝ていたレンタルの医療用のベッドから、普通のベッドを買ってそこに寝ているけれど、同じ場所に寝ていた娘を思い出します。
化粧品も本も洋服も何かもそのまま私が使っています。きっとこのままずっと使うのだろうと思います。
どこに行っても思い出す・・・・それは今でもそうです。7年間一人暮らしをしていて、一緒に暮らしていなかったので、今でもまだ一人暮らしをしていて、ゴールデンウィークになったら帰ってくるような気がします。
携帯の向こうには、まだいるような気がします。いないということをまだ認めたくない自分がいることに気がつきます。
娘の預金も凍結されたけれど、手続きは案外簡単でした。思ったほど時間もかからなかったように思います。
まだまだいろんな事が沢山あると思います。無理をしないで少しづつです。
何もかも捨てられなくて、彼が吸っていたタバコの吸殻やら飲んだ缶コーヒーの缶まで手元に置き・・・その香りが少しずつ薄らいでいくとともに、自分の気持ちも落ち着いていったような気がします。
私も主人と、同じ4月に同じ病気でさよならしました。しばらくは桜が嫌いでした。
4月24日の朝刊を見て亡くなられたことを知り、5年前に思わずフラッシュバックしました・・・。私と同年代だったんですね。
泣けるようになると楽になりますよ。