忙しい毎日からちょっと離れたい、心を落ち着かせたい、自分を引き締めたい、そんな思いから京都の寺へプチ修行へ出かけた。初坐禅。短時間ではなくある程度長い回数できるところを選んだつもりだったが、まさに正解で、かなり本格的で厳しいものであった。
夕方、名古屋駅から高速バスで京都へ。駅近くのゲストハウスへチェックイン。お気に入りの「第一旭」でラーメンを食べ、銭湯へ行って、初日は明日に備えて早々と就寝。
翌朝、バスで南禅寺禅センター・光雲寺へ向う。ここは臨済宗南禅寺派のお寺だ。
坐禅会は朝8時半より始まる。
まずは作務という境内の掃除からで、庭園の池の周りの草取りを30分くらいかけて行う。蒸し暑い。汗が吹き出る。常連の方々は既に汗びっしょりになりながら作業を行っていた。
作務を終えると、休憩の後、お堂へ移動して坐禅の仕方や流れ、作法など一通りの指導・説明を受ける。お堂へ入るときにも出るときにもきちんと作法がある。
目は半眼。座布団の上に両膝尻の三点で大地に座るつもりで。そして腹式呼吸。息を整え深く吸って深く長く吐く。無になること。まわりと空気が一体化して自分とまわりが同化する。呼吸に集中し、数を数える。いーちー、にーい・・・。雑念があらわれたらまた1から数えなおす。とにかく呼吸に集中すること・・・。
10時から約30分×2回の午前の坐禅が始まる。鐘の合図で開始。線香が燃え尽きるまでのおよそ30分間。身動きせずひたすら集中する。静寂の中、蝉の鳴き声だけが聞こえる。時折り吹き抜ける風が心地いい。
坐禅中は呼吸に集中するも次々に雑念が現れる。無になることの難しさ。しかも足が痺れて痛くなってくる。耐える。とにかく我慢・・・。鐘の合図で終了。すかさず足をほぐし次の坐禅の準備をする。線香がたかれ鐘の合図で2回目が開始される。
坐禅が終ると今度は斎座といって昼食(釜揚げうどん)。ここにも厳しい作法がある。
とにかく無駄がない。そして会話もない。和やかな雰囲気など一切ない。ずるずるとうどんをそそる音だけが響き渡る。ピーンと張り詰めた空気の中、早々と一斉に昼食を終える。今回の体験で一番驚かされたのはこの昼食だった。
しばしの休憩の後、またまたお堂へ。
次はお経をあげ、提唱という法話を住職から聞く。勿論坐禅の姿勢で。
その前に初心者は早めに集合。お経の本と書のコピーが配られ、指導・説明を受ける。
12時前、提唱開始。坐禅を組みながら該当個所を皆に合わせて読み上げる。凄い迫力・・・。
30~40分くらいだったか、提唱が終ると、続いて午後の坐禅に入る。約1時間。午前の坐禅と比べると、いくぶん足も慣れた感じでひどく痛くなることはなかったが、それでもじっと身動きもせず集中することはかなり大変なこと。後半は、警策で心身を正してもらった。板で肩をたたいてもらうアレ。志願制で、たたいてもらう前には合掌を行う。片方2回ずつ。快音が堂内に響き渡る。引き締まる。。
それでも午後の坐禅は午前に比べるとあっという間に終る感覚だったから、不思議。しかしながら雑念は次から次へと現れる。呼吸に集中するも結局今回の坐禅では10までも数えられなかった。なんと難しいこと。
小休止の間は、お堂を出て足をストレッチする。常連の方いわく、休憩中は、足のためになるべく歩き回るといいという。確かに坐禅は慣れないと足にかなり負担がかかる。
坐禅が終ると、今度はお堂から出て、茶礼。
庭園が見える広間へ移動し、抹茶とお菓子をいただきながら住職のお話を聞く。
その後、場所を変えて初心者は順番に一対一での住職との対話がある。
こんな感じで坐禅会は終了。
長いようで短いようで、意外と時間が経つのは早いもの。
有意義な時間が過ごせたと思う。
今回の坐禅会は、朝8時半から午後2時半頃まで寺の中で過ごすというもの。
坐禅だけでなく法話や掃除の作務や食事などを行い、修行の一部を体験できる。
時間をかけて禅を体験させてもらえる非常に内容の濃いもの。
とにかく予想以上に厳しいもので、張り詰めた空気の中、緊張の連続だったが、終えてみるとなんだかとてもすがすがしい気分に。非日常の体験。貴重な体験ができたと思う。
禅の修行は厳しい。でもまた体験してみたいと思うのであった。