気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

牽牛花をお題にした母の句~朝顔

2020年08月18日 | 伊代の俳句

※青空とアサガオ https://www.pakutaso

明日を咲く蕾競ふや牽牛花

朝顔の蕾たちが、明日は私こそが綺麗に咲いてみせるぞ競っているようだ

季語は初秋

牽牛花(けんぎゅうか)とは朝顔の別名。

昔々。中国で、ある農夫が朝顔の種を服用して病気が治ったので、自分の水牛を連れて朝顔のある田んぼにお礼を言いに行ったことから、牽牛花と呼ばれるようになったとか(牽牛とは本来は牛を引くという意味)日本では奈良時代に伝わって以来、生薬や園芸植物として親しまれてきた。※日本科学未来館、科学コミュニケーターブログ
ちなみに万葉集などで朝顔と呼ばれているものはキキョウあるいはムクゲを指しているらしい。※Wikipedia

(明日咲く)でなく(明日咲く)とが入っているほうが咲くということに真剣さを感じる。

朝顔は朝開いて昼にはしぼんでしまう。

それ故に明日に向かって咲くということに対して真剣に競っているということなのだろうか。

※撮影JohnnyNayutaさん(写真AC)

      

やっと咲いた我が家の朝顔

今年は2本の朝顔を植えました。

どちらの色も綺麗です。

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Yokohama Bay Side Marina ~ナラ2歳(2001年)

2020年08月14日 | ナラ

 

もう19年も前になるけれど、ナラと行ったことのあるベイサイドマリーナが今年6月にリニューアルオープンしたらしい。

ここは犬 を連れていても入ることが出来るエリアでした。

【三井アウトレットパーク横浜ベイサイド】※出店ウォッチ

(コロナウイルス感染防止の観点から、当面の間は入り口の数を限定し人数が多い場合はに入場制限をしてのオープンらしいので、もう少し落ち着いてから行ってみたい)

懐かしいので、2001年にホームページに載せていたものを再現してみました。

HPはAOLからYahoo!ジオシティーズに、さらに忍者へと2度の引っ越しをしました。

HPではJavaScriptが使えたので絵や写真は同画面に1枚ずつ自動に表示されるように、また音楽♪も付けていたけれど、ジオシティーズから忍者へ引っ越しの際に外しました。

Yahoo!ジオシティーズは2019年3月にサービス終了です。

他にいろんなコンテンツが出てきているので個人向けHPは時代遅れ?になったのでしょうか?

絵はPC上での手書きで、今見ると(* ´艸`)クスクスです。

と言っても今も上達しているわけではありませんが。

          

と一緒もOKらしいというので「ベイサイドマリーナ」へ

レストランで食事 

お店の人がナラにもお水を持って来てくれました。

お母さんはアウトレットでお買い物 

マリーナでお父さんとポーズ

 超、甘えん坊のナラでした。

夜は遊び疲れてぐっすり。

一緒に寝ているのはお母さんです。

         

つい昨日のような気がしているのに、もう20年近くの月日が流れています。

本当に時の経つのは早いです。

そういえばお父さんの髪が、この時は全部ありますね。

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空蝉をお題にした母の句~源氏物語第3帖~一茶の句

2020年08月11日 | 伊代の俳句

空蝉(うつせみ)のひとつは供華にすがりおり

蝉の脱け殻のひとつが仏前に供える花に離れまいとして、しっかりつかまっている

季語は晩夏

空蝉(うつせみ)とは蝉の脱け殻のこと。

供華(くげ)とは仏前に供える花のこと。

※供花(きょうか)は葬儀に供える花でこれに由来する。

すがるとはしっかりつかまって離れまいとすること。

確かに脱け殻の手足は木や葉をしっかりとつかんでいるように見える。

空せ身にもかけて、空しいこの身、魂の脱け殻という意味にも用いられているようだけれど、この句に関してはどうだろうか?

脱け殻になってもしっかりとつかんでいる…とそこまでではないような気がする。

      

源氏物語の第3帖【空蝉】 光源氏17歳夏の話(あらすじ)※Wikipedia

決して美女ではないもののたしなみ深い空蝉をやはり魅力的だと心惹かれ、忍んで行った源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去り、源氏は女の抜け殻のような衣にことよせて空蝉へ歌を送り、空蝉も源氏の愛を受けられない己の境遇のつたなさを密かに嘆いた。

「空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな」

彼女(空蝉)のモデルに関しては、境遇や身分が似ているため、
作者紫式部自身がモデルではないかと言われている。

      

空蝉ではないけれど、蝉を詠った松尾芭蕉の有名な句 ※俳聖かるたより

今朝、お隣の木にとまっていて、iPhoneで写した蝉。

写真中央(あまり近づけないので小さいです)。

この御宅は私の親と同世代の方が施設に移ってから、緑に覆われてしまっています。

ここは市でも中心街に近い場所なのですが、見る限りでは山中の景色のようです。

でも蝉さんにとっては絶好の場所かもしれません。 

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母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/ ✉6

2020年08月07日 | 母への手紙

何故か今年はいっぱい実をつけたオリーブ

今朝、実家の夢を見ていて目が覚めました。

おとといから「そちらの家族は皆んな元気かい?施餓鬼も中止になったからお盆は来なくていいよ。神奈川〜東京〜埼玉なんて最悪のコースだから自粛して下さい」ってメールがきました。もう3回くらい「来るな」って言ってきた様な気がします。
 
昔っから上から目線のもの言いだけど、心配をしているのでしょうねーきっと。
教職を退いても残っているのかな、良い方へ導こうとする 上から目線。
私は姉なのだから、物事の判断はほとんど一緒だから、大丈夫ですよね母さん。
 
そのメールのせいで見たのかもしれないけれど、その夢なんだか変で、
私は家(それが子供の頃の家)で、洗濯物を干しているのだけれど、
「この家なんだかこの頃洗濯物が多くなっているね〜」って話ながら外を通って行く人達が、今住んでいる、ここのご近所さん達なんです。
そこで、えっ・・・洗濯?
そうだ、洗濯しなくっちゃ!と思ってバッと起き上がってしまったらまだ5時でした。
 
ああそうだ金曜日だけど私はもう仕事に行かなくていいのだから…と…二度寝しようって思ってまた寝たけれど、暑いし蝉は鳴いていて煩いし、結局起きてしまいました。
 
母さんの俳句に空蝉をお題にした句があって、今度のブログに書こうと思いながら寝たのでそれもあって実家の夢を見たのかもしれないですね。
 
 
空蝉*うつせみ*〜ってなんだかいいですね。
この間ちゃんも言ってました。言葉の響きがいいって。
茶色の蝉の脱け殻なのにね。
そういえば源氏物語に「空蝉」の話が確かにあったはずなので、
そのことも調べて書いてみようと思います。
 
長かった梅雨が開け、今日もここぞとばかり蝉が鳴いています。
お盆に行かれないと思うと逆に行きたくなりますね。
特に、仕事が無くなって毎日が夏休みの様になっている私にとっては…
 
毎年恒例だったものね。
父さんも母さんも居て、釣りをしたり花火をしたり、
子供たちを連れて行くのが楽しみだったあの頃がとても懐かしいです。
 
でも、今年は偉そうな~でも実は姉妹想いの言葉に従って自粛します…。
父さんや母さんへは、お仏壇へお線香か供物でも送ろうかなと思っています。
そして実家を守ってくれているにはでも・・・どうでしょうか。
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忘れられない J スター(ワークステーション)

2020年08月05日 | 仕事

今日、庭に咲いていた百日紅

あなたの職業はなんでしたか?と聞かれたとき、

「DTP のオペレーターです」と答えたい自分がいる。

50年近く働いた中でいちばん多かったのは一般事務職(主に総務、経理関係)だった。

その一般事務も、年月が経つうちに機械化の波に乗っていろいろと変わってきた。

計算手段ひとつ見ても、そろばん⇒電卓⇒パソコンへと移っていった。

私が、この流れにずっと乗り継いで働き続けることができたのが、

【Jスター】との出会いだったと思っている。(1987年、37歳)

Jスターとは富士ゼロックスのワークステーションで(1982年に発売)米国ゼロックスのStarというワークステーションの日本版。

Jスターを操作している時は、楽しい仕事ってあるんだと思った。

DTP(Desktop Publishingー机上編集機)との出会いのきっかけは夫からだった。

夫の勤務していた印刷会社で画期的な機械を導入したのだけれどオペレータがいないということで、その時ちょうど職を失って家に居た私にやってみないかという話があった。

画期的とは画面上で文字入力から編集までができ、その画面で表示されたままの状態で印刷できるという。

何故そんな面白そうな機械を操ってみようという人がいないのだろうと不思議だったが、

およそ30年前はワープロが主流で、その文字入力が出来高制になっていて、稼ぐ人はかなり稼いでいて、新機種を覚えている暇はなく、覚えた後も出来高での賃金計算は難しいとのことで時給制になるということがネックだったらしい。

私は「ワープロも出来ませんので」と一度断ったのだが、「ワープロとはまるっきり違います。むしろワープロを知らない方がよいくらいで、まずはマニュアルを読んで下さい」と、どさっと段ボール箱に入ったマニュアル本を渡された。

まあどうせプータロー(失業者)なのだからと、始めたところ、ハマってしまったのだった。

本当にワープロ(当時のワープロはいわば文字入力)とはまるっきり違う、ウインドウ、アイコン、マウスの世界。ドラッグ&ドロップすることができた。(今ではは当たり前のことだけれど)

隣室の版下作成作業ではページ数を一枚一枚に貼る作業をしているというのにページ割付けなどは100ページでも一瞬のうちしてしまう。

しかも字も絵も写真も取り込める。もちろん絵図も描ける。文字入力はワープロの達人に打ってもらいデーターとして取り込めばいい。

LANという考え方も既にあり、プリントは離れたところのプリンターからでも出力できる。

今ではみんな当たり前のようにできることが30数年前にできたのだ。

こんな機械が出回ったら印刷の世界に限らず他のドキュメント作成にも変革が起きると感じ、これからはこれだと思い一生懸命に覚えた。

自力で覚え、2年ほど経って、派遣会社に登録した。

いろいろな会社でいろいろなものが作成したかった。

依頼されたドキュメントだけれど、出来上がると達成感があった。

J スターオペレーターとしての10何年かで数社へ派遣され、働いた。

ただJスターは、

本体、ファイルサーバー、プリントサーバーも入れると少なくとも1000万はかかるといわれており高額で、設置に広いスペースも必要だったため、日本への適合性に欠けたのか?

Word、Excelなどの各々の役割を持ったソフトで動くMacintoshやWindowsのようなパーソナルコンピューター(PC)の台頭で徐々に職場から消えていった。

PCはコンパクトなうえ、個人でも購入できなくもない価格だったため、依頼者がドキュメントを自分で作成できるようになり、クライアントも減った。

でも、私はJ スターで得た知識のお陰で、ほとんど苦労なくPCの世界へ入りPCオペレーターとなることができた。

今の時点で比べても、まだPCより、上の機能は備えていたのではと思っている。

あの起動からログインまでの20分ほど待つ間(ちょっと不評でもあったが)のお茶は

美味しかった。

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