この小さな本が頭から離れません。人類の存亡にかかわることが書かれている重い本でもあるからです。
タカ長など「無責任男」ですから、自分が死んでしまえば「後は野となれ山となれ」ですが、著者は心優しい研究者ですから、私たち人類の明日を心配されています。そのために生命誌を研究し、健全な地球を次の世代に残す努力をされているのです。その優しさは凄いと思います。
前回は生命40億年を見ました。長い目でモノを見る、これが一つの気づきです。
そしてもう一つは、広い視野でモノを見ることの大切さ。その一例です。
本の一部を引用します。
体を構成する物質である核酸、タンパク質、糖、脂質などはすべて炭酸化合物(有機化合物)です。最近よく「脱炭素社会」という言葉が使われますが、生き物が暮らす社会に脱炭酸はあり得ません。生き物の社会は、物質として見れば炭素化合物が動き回って構成しているのであり、脱炭酸ではありません。(大気中の二酸化炭素量を急激に増やさないことが重要なのは当然であり、そのための努力は重要ですが、脱炭酸と言うのは間違いです)。
今日、朝食のハムを通して取り込まれたタンパク質分子にあった炭素(C)は、いつかブタが食べた食事からきたものです。こうして炭素は、さまざまな生き物の中を巡っています。山奥にある森で何十年も前に落ちた葉っぱの中の炭素が、巡り巡って「私」の体をつくっているかもしれません。「私」はこうして空間だけでなく長い時間の中にあり、しかもそれは炭素の循環という形で具体的に見えてくるのです。
40億年前に生まれて命の一部が、5億年前に陸に上がり植物になりました。そして「奇跡」が生まれました。光合成をするバクテリアが生まれたのです。
そこらのことは分かっていないこともあって専門家でも説明が難しいようです。もちろん、タカ長にはそのメカニズムは説明できません。
でも、葉の緑がCO2と太陽の光エネルギーで酸素をつくっていることは学校で習いました。要するに炭素があるから酸素が生まれ、酸素があるから私たちが生きていると言うことです。脱炭酸だと私たちの存在はあり得ません。
この本はそのようにモノを「広い目で見る」ことを教えているようにタカ長には思えるのです。
タカ長ごときがゴタゴタ言っても仕方ないのですが、短絡的にモノを見ることは危険だと思います。
広い目でモノを見ると言っても、タカ長のような凡人には難しいのですが、これは為政者とか一部の人の問題ではなく、地球市民一人ひとりの問題だと思います。
地球上の命はこれからも永遠に続くのでしょうが、その中に私たち人類が含まれている保証はありません。これもまでも多くの生き物が絶滅しました。私たち人類がその中に加わらないことを願うだけです。