和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

天誅組

2016-06-20 10:06:17 | 風景写真
天誅組の乱

文久3年(1863)8月13日、尊王攘夷の断行を祈願するための大和行幸が朝議で決まりました。

 当時、京都の政局は尊王攘夷派が握っており、一部にはこれを機に一挙に討幕をはかろうとする動きがありました。
この機を伺っていた討幕急進派の中山忠光、吉村寅太郎、藤本鉄石、松本奎堂らが皇軍の先鋒となるため、
翌14日京都を発ち、千早峠を越えて当時幕府の直轄地であった五條に入りました。
 8月17日、天誅組志士はいっせいに挙兵し、五條代官所を襲い代官鈴木源内を殺害、
櫻井寺を本陣として五條新政府を号し、討幕の旗をあげました。
ところが翌18日、朝議は一変して攘夷派が敗れ、大和行幸は中止。
ここで天誅組の義挙はその大義名分を失ってしまったのです。
 その後、天誅組は十津川郷士960人の来援を得て高取城に侵攻しましたが撃退されます。
さらに吉野各地で転戦しますが、1万人を超える追討軍や内部の対立、十津川郷士の離反などのため、
翌9月24日、東吉野村鷲家口において決死的斬り込みを敢行して終りを遂げました。
 天誅組の義挙は幕末における下級武士と豪農豪商とが一体となった最初の武装反乱で、
倒幕及び明治維新の魁とたたえられる歴史的なものです。
明治維新が実現するのは、このわずか5年後のことでした。「五條市HPより」


孝明天皇の「十八日以前の勅命は預かり知らぬ」、いわゆる「8月18日の政変」だったのですが、
一日違いで天誅組は蜂起しました。それで大義名分がなくなったのです。


天誅組の乱は歴史的に評価が低いようです。
いったん、逆賊のレッテルを貼られたためでしょう。
東吉野村では東吉野村天誅組顕彰会があります。
遺跡場所などは黄色の旗が立っていますので目印になっています。
(関係市町村には同様な保存会があります)

松本奎堂が刈谷藩だったことから、
東吉野村は刈谷市と「ゆかりのまち友好市町村盟約」を結んでいます。


コアジサイの撮影から天誅組まで来てしまった。
今、読んでいる大菩薩峠は時代が幕末。
主人公机龍之介は京都での新懲組(後の新撰組)に加担して失敗、
十津川に来て天誅組に組して失明する件がありますが、
彼は政治的無明であるのであるがままに生きます。


それで昨日は白屋岳に登った帰りに、
東吉野の足跡を回りました。

天誅組終焉の地


中村寅太郎の墓


菩提寺 宝泉寺


中村寅太郎辞世の句


傍らにホタルブクロが咲いていました。






















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白屋岳 1177m

2016-06-19 14:09:58 | 風景写真
今日は白屋岳に登ってきました。

標高はさほど高くはありませんが、
台高山脈の前衛の山として、
白髪岳と共に登山家の中では知られています。
コアジサイで知られる足ノ郷峠から登ります。
1時間ほどの行程ですが、運動不足がたたって息が上がるは
心臓パクパクするは、で大変でした。
稜線まで来るとブナが見られました。


展望はあまり良くありません。
大峯の北半分が見える程度です。

頂上付近はシャクナゲが多くありましたので、
花の当たり年でキリが流れればええなーと思いながら、
山を下りました。

途中で









三尾のコアジサイ

2016-06-17 20:05:27 | 風景写真
今日は6月17日です。
朝、新聞配達が終わる頃は雨が上がっていました。
上がるのが早すぎるかな?と思いながら
バイクは東吉野の三尾のコアジサイ林へ。
川上村の武木と東吉野村の三尾の境界にあります。
峠を境とするなら、
花の咲いている所は東吉野村の三尾になりますね。

コアジサイですがよく咲いていました。
少し色あせが見られましたが、土日まではいけそうです。
日曜日に雨が降る予報なのでもう一度行ってみようかな。

峠は足ノ郷越えといいます。
川上村と東吉野村を結ぶ物流山道でもありました。
幕末には天誅組が最後の力を振り絞って越えた道でもあります。

峠の看板に次のようにあります。
天誅組行軍の道
文久3年(1863)9月24日、
天誅組は東熊野街道を北上して武木(たきぎ)の庄屋大西家などで昼食を接待を受け、午後3時頃同地を出発した。
彼らは、戦闘に耐えうる元気な隊士を先陣に、傷病の隊士を後陣にして足ノ郷峠を越えて東吉野に入ってきた。
そぼ降る時雨に中、「五本桜」(現キリヤクボヘリポート付近)まで来ると、百姓二人が火を焚いて待っていた。
鷲家口の情勢を聞いたところ、前夜からここに来ていたので、その後の様子はわからないという。
一行は二人を木にしばりつけて鷲家口突破の軍議を開いた。
「本隊を二隊に分け、一隊は決死隊となって鷲家口に陣どる彦根勢を突破する。
もう一隊は戦闘に乗じて主将中山忠光卿を大阪の長州屋敷まで守護する」という作戦であった。
傷病の隊士の多くは丹生川上神社方面に下り木津(こつ)川・伊豆尾方面に向かった。
隊士のほとんどは雄途空しく若い命を散らしたが、5年後に明治維新が成し遂げられた。 東吉野村
(主将中山忠光 総裁は吉村寅太郎、松本奎堂 藤本鉄石の3人)

余談ですが吉村寅太郎が怪我をした時、敵味方関係なしに吉野口の女医榎本住さんが治療をした。
その子孫が今でも榎本医院を経営なさっています。(御所市戸毛)

コアジサイ















大菩薩峠

2016-06-16 08:02:52 | 風景写真
大菩薩峠、これは中里介山の長編小説のタイトルです。
二十歳過ぎの活字中毒にかかっていた頃に
日本一の長編小説ということだったので
とにかく読んでみようとの思いで読んだのがはじめ。
当時はすごい小説だなー、これを超える小説が出てくるのかなーなどと思ったりしたものです。
大河小説そのものでした。
それから48年経って
大体のあらすじは覚えていますが、
詳細までは忘れてしまっていたのです。
今回、図書館でこの小説を検索してもらいました。
ちくま文庫全10巻が棚に並んでいました。

今、読んでいます。

目が悪くなったので、多くは読めませんが
毎日少しずつ読んでいます。
場所が色々変わるので旅をしている感じがします。
大菩薩峠から鈴鹿、京都壬生、奈良三輪、十津川、竜神、伊勢、白根山、江戸へと
舞台は変わってきます。(3巻目)
48年の経過の中で自己の経験から小説の捉え方が変わってきているのか。
まったく変わっていないですね。
曼荼羅を紐解くような感じで読んでいます。
中ほどにお銀様が伊吹山のふもとで共同体国を作りますが
その辺が(私が)どう感じるか楽しみでもあります。

この小説に関しては再び中間に書きます。


今日、コアジサイを撮るために家を出ましたが、
雨がなかったので引き返しました。



大和路写真百景⑱⑲

山辺道の虹

虹は基本的に(昼に近い)朝か夕によく出ます。
突然出ますのであわてますね。
細かい雨が降っていることも多く、
レンズに水滴がかからぬように、
またPLフィルター装着時には回転軸によっては虹が消えることがあるので注意。
場所を選べないので、その時に最良のポイントを見つけ出すことが大切です。
この写真の集落は竹之内集落です。運がいいほうですね。


道端のアジサイ

ここは宇陀市の戒場です。
この分かれ道のアジサイは個人的に好きな場所です。
毎年行きます。
親子連れのイノシシに出くわしたのもここです。
子連れなので向かってくることもあるので三脚を握り締めました。
(イノシシが逃げました)
淡い霧が出ればいいのですが曇りの色合いもいいもんです。
人は暗い道から来て、明るい道を下るのでしょう。
50年前はここは杉の木もなく見事な棚田でした。
(実際見たわけではありません、跡が残っています)

大和路百景⑯⑰

2016-06-15 05:55:28 | 風景写真
某知事が窮地を迎えています。
飲み屋政治談議風に言えば
頭のいい知事だから勝算はあったのだろうが
あれだけボロクソに言われて同情したくなった。
“がんばれ!知事さん”
これって、
憎むべき犯人はわかっているのだが、気づいたら犯人を応援していたという推理小説的展開
あれですわ。

やはりケチが命取りになった。
そして、ウソをついたあの正月の会議。

会議の相手は出版社の社長と言っているけど
そんなもんはじめから存在しなかった。

ウソをついたことで命取りになった。

元検事の弁護士さん、名を貶めましたね。
あの態度
権力の座にいた連中はどうも好きになれない。

はじめから謝っておけばこんなことにならなかった。


暗転、

孤立無援の知事を応援しよう。

少し期待したのだから知事を応援するよ。

辞任して、再び知事選に出て。

知事負けるな、がんばれ!

辛うじて当選、知事おめでとう!

の、ところで目が覚めた。



大和路写真百景⑯⑰

室生湖と鳥見山

濡れ地蔵のところから鳥見山を見たところです。
放射霧と水中樹が定番になっていますが
反対の橋の上からはこのように見えます。
大和路写真百景を載せるにあたって
出来るだけ定番をはずして風景を選んでいます。


室生湖

通称第一釣り場からです。
ここからだと色々な構図で写真が撮れます。
どれを残そうかと思いましたが、
広範囲の写っているこの一枚。
中央が和尚命名“室生富士”です。
室生湖周辺は円錐型の小山が多いです。
これも室生火山群の特徴でしょうか。

コアジサイ

2016-06-14 16:54:07 | 風景写真
昨日は新聞休刊日です。
朝一の撮影が出来る月一の貴重な日です。
雨の降る予定。
朝4時の時点で雨は降っていません。
昨夜の雨でやっと道路が乾いた状態です。

宇陀の山間部に向かいます。
途中、雨が降り出したので
気分よく走りましたが
現場に着いてみると
雨だけは降っていますがガス(キリ)は出ていません。
花は少し遅い(へたり気味)ようなので
ずっと待つまでもなく、
1時間ほどで現場を後にしました。

コアジサイは東吉野の足ノ郷越えにステージが移るようです。



宇陀のコアジサイ













途中、つるアジサイが残っていました。





山を走っていると
白い花のように見えるのがマタタビの白化した葉です。

カメラの修理

2016-06-13 02:57:21 | 風景写真
5月14日の當麻寺“お練”撮影時に、
突如動かなくなったカメラを、
メーカーサービスステーションに持って行きました。
原因はわかりませんが、修理は最大で7万円ほどかかるとのこと。
詳細がわかるのは3日後。
その時に修理をするかどうか決めてください、ということだった。
交換レンズは異常なしというので、本体だけの問題になりそうです。
7万円に少し足せば新しいのが買えるので迷うところです。

同じ会社のフィルムカメラですが、
液晶が弱くなったのでどうにかならないかと相談。
生産も修理も終わっているのでどうにもならないとのこと。
機械部分なら何とかなりますが、液晶部分はまったくダメだとのこと。
こちらは諦めます。

久しぶりに孫と一緒に行ったので
孫の撮った写真をサービスします。

電車の中で




道路脇にあったモニュメント“地球の木”
孫が動き回って撮った一枚






大和路写真百景⑭⑮

三輪山

東側から三輪山を撮りました。
単純に紅葉と新雪が印象だったので・・・。



飛鳥川

明日香村を東から西に流れる飛鳥川は細い小さな川です。
稲淵の関大研究所横が狭くなっていて岩盤の上を流れるので、
唯一渓谷美が感じられるところです。
紅葉は遅く12月に入ってからが撮り頃になります。
この場所からだと新雪もいいです。
この滝の上部は流れや落ち葉の被写体ぶらしが楽しめます。

大和路写真百景⑭⑮

2016-06-12 06:11:08 | 風景写真
大和路写真百景⑭⑮

里山の雪景色

宇陀市柳
雪が積もったらバイクは不利です。
柳の線路下まで来ましたが、
ここからは歩きです。
S字カーブが印象的だったのと
大豆のハサ架けがあったので撮ってみました。





室生湖

新緑のころ、室生湖はどこでも写真になります。
水量が満水になり、
水面に浮き出た柳の類の枝が新緑に彩られて輝きます。
室生湖だけで写真展が出来るほどポイントが多いです。
早朝、朝、朝に近い昼、刻々と表情が変わりますので
いつまで居ても飽きが来ません。
ここは赤橋付近です。

リケジョ

2016-06-11 06:01:05 | 風景写真
昨日の日経新聞夕刊に
リケジョ採用の見出し。
リケジョ?
何のことかと少し拾い読みをすると
リケジョとは理系女子ということらしい。
つまり
大学の理科系学部の卒業女子の採用を増やすという記事でした。

リケジョ採用
理系女子採用
どちらがわかりやすいかね。

理系男子採用を
リケダン採用というのかね。

ハンバーガーショップのマクドナルドを
関東・東北・九州ではマック.
関西ではマクド.と縮めていうらしい。
マックと聞けばアップル社のパソコンが思い浮かびます。
かなりの間、マックハウスはパソコンの店だと思っていた。
実は違うらしい。
カジュアル衣料の小売店ということだ。


給与明細の中に地方税決定通知が入っていました。
今年も税金を払うことになった。ええことだ。



大和路写真百景⑫⑬

吉隠(よなばり)

桜井市吉隠
吉隠のこの棚田は自然のまま残っています。
田植えや獲り入れ時にカメラマンが増えます。
二軒の老地主さんが頑張っていますが、
田植え時は娘さん夫婦が手伝いに来ています。
美しい棚田風景からは近鉄電車がよく見えます。
この写真にも電車を写しています。
ここは稲淵棚田(明日香)と共にいつまでも残したい場所の一つです。


長谷寺

長谷寺の写真は氾濫するくらい見られますが、
変わったものがないかを探して見ました。
本坊前の小山にヤマブキが咲いていましたので
これを選びました。
長谷寺には大和路百景にふさわしい写真が
四季を通じてまだまだあります。

大和路写真百景

2016-06-10 06:12:56 | 風景写真
大和路写真百景⑩⑪

石舞台

昔の入江さんの写真を見ると
石舞台の石の上で子供が遊んでいるのがありました。
今のように整備されてなくて、田んぼの中に
むき出しであったらしい。
もちろん拝観料なんてありません。
今は
周囲に桜が植えられて、外からは見にくくなっています。
石舞台を撮ろうとすれば中に入るか、
道路向こうの高台から俯瞰するかであります。
桜が散ったすぐ後の葉が大きくならない時、
柵の外から撮りました。
たまたま花モモが咲いていたのでラッキーでした。
雪の舞う石舞台もいいものです。(いつか載せます)


曽我川堤防

多分にもれず大和路の川にも桜が植えられています。
大和盆地の南半分では
高田川
葛城川
曽我川
住吉川
高取川
飛鳥川
のいずれの川も桜がきれいです。
中でも和尚が好きな曽我川に登場してもらいました。
桜の開花時期にしか行きませんが
毎年ウロウロしています。