110)ありがたいお客さま

 日本からのボランティアツアーのほかにも、私たちの協力プロジェクトを訪れる人がだんだん増えてきました。
 最近では日中友好協会の平山郁夫会長夫妻、酒井誠常務理事、中日友好協会の許金平秘書長などの一行が、忙しい時間を割いて私たちの協力拠点・環境林センターを激励してくださいました。平山会長は「緑化地球造福千秋」の書と寄付金を残されました。
 その少しまえには、メーデーの連休を利用して、中国人13人のグループが私たちのプロジェクトで同窓会を開き、植樹に汗を流しました。日本でもおなじみの中国大使館の元公使・程永華さんや、この「日本と中国」にたびたび登場する李建華さんもそのメンバーでした。
 このようにさまざまなお客さんを迎えるのは、ありがたいことです。まずは地元のメンバーの自覚が高まります。この協力事業は小さな民間の発意で始まりました。それをここまで育てたのは、なんといっても地元の努力です。しかしその多くは日の当たらないところにあって、目に見えません。そこに光をあててもらうと、彼らも自信と誇りをもてます。
 私たちにとっても同じこと。最近の日中関係の悪化で両方の国民感情も冷え込んでいます。「草の根の交流が大事」と言われても、その根っこすら枯れそう。現場にまできてくれる人があると、もう少しがんばろうという気持ちをふるいおこすことができます。
 (2006年7月15日号)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 109)せき止め... 111)市場の活況 »
 
コメント
 
 
 
親指シフトつながりで (ヒデボー)
2006-07-11 22:06:01
初めまして(^o^)



ぎっちょんさんのサイトから,親指シフトつながりで

やってきました。

こんなグローバルなサイトがあるとは知りませんでした。

私もなぜか,ずっといろんな意味で少数派でして,

親指シフターもその一つです。



こちらのサイトは未知の分野なので,新鮮な気持ちです。

また,寄らせていただきますね。



http://oyayubishift.cocolog-nifty.com/oyayubishiftnoheya/

 
 
 
ありがとう! (高見)
2006-07-17 07:25:11
いま、私は大同にいます。

いつもはMacintoshに親指シフトですが、

中国出張中はWindowsのノートパソコンに、親指シフトです。

少数派、もしくは異端で、不便なことも多いのですが、

親指シフトになじんでしまうと、ほかのキーボードは使えません。

使う気にもならないのです。

少数派、異端というのは、おたがいにそうだというだけで、

連帯感をもってしまうようですね。
 
 
 
こころより感謝 (肖 新明)
2006-09-26 19:22:50
高見様

はじめまして、肖 新明と申します。深せんに住んでいます。

9月の初めに日本長野県安曇野に行きました。濃厚な緑、綺麗な空気、まぶしい日差し、非常に遠くまですっきりした原野。日本の田舎はまさに桃源郷と思いました。

すべての山を厚く覆い被った、森林を見つめて、日本はいつからどうやってこの山林を作ったのか、どのように手入れをしているのか。羨ましい気持ち半分、不思議に思いました。

間違いなく高度に発達した経済社会がこの自然の豊かさを支えていると思います。私の出身の田舎は緑は一杯だが、どこも汚く乱れています。



荒れた土地に植林したい。日本のようにどこも綺麗な森林でありたいと思います。将来高見様のように植林に微力を捧げたいと思っています。



今の自分はまず事業を運営し経済力を身に付けなければなりません。植林事業は経済活動と一緒にできるのであれば一番理想的だと思っていますが。



今日は初めてこのサイトに立ち寄りました。今後も続けて訪問させて頂きたいと思います。いつかは植林するという夢を胸に。



肖 新明

















 
 
 
いくつかの条件があります (高見)
2006-09-27 10:36:02
大同のカウンターパートを、何回か、日本の山に案内しました。友人たちは、それらの森林のある部分が、自然に生え、自然に育ってきたものであるとは、考えられないのです。かならず、いつ植えたものか、とききます。

大同では、樹木はなかなか自然には再生しません。大同でむりなのに、日本で可能なのは、やっぱり雨の量が大きく関係していると思います。降水量をはじめとする自然の条件を無視して、いろいろ植えても、失敗することが多いと思います。

それから、戦後の日本では、農村でもプロパンガスをはじめ、輸入される化石燃料を使うようになりました。紙の材料のパルプ、その他も輸入に頼ることが多いのです。

そのために、山の木を伐る必要がなくなりました。それ以前は、とくに都市近郊の山では生活燃料の伐採のために、裸になる山が多かったのです。百年前の六甲山ははげ山でしたし、京都の周囲も、東山の寺社林を例外として、すべてはげ山だったといいます。

いまでは、その分の燃料その他を海外に頼っているわけで、自慢できることばかりではありません。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。