123)ゴミの山

 私が最初に訪れた15年前、大同の農村はいまよりずっときれいで、ゴミはみられませんでした。ゴミの「原料」がないのです。スイカを食べてタネや皮を庭に飛ばしても、ニワトリが駆け寄って、紙のように薄く青い皮を残し、あとは食べてしまいます。
 商品経済の浸透とともに急速にゴミが増えました。方便麺(インスタントラーメン)の空き袋、買い物用のポリ袋、畑のマルチ(乾燥防止と地温上昇を目的に地面を覆う)フィルムなどプラスチック製品がふえ、木々の枝にひかかって風にはためきます。中国で「白色公害」といいますが、白だけじゃない、色とりどり。
 市街地では朝早く清掃している姿をみかけます。行政がやるだけでなく、民間のボランティアもあります。家庭のゴミも収集されます。でも、きれいになったといって安心はできません。そのゴミはどこにいくのでしょう?
 処理施設は北京のような大都市を除けば皆無。大部分のゴミは農村部に運ばれて山積みされます。行政区画の境界は管理が届かないため標的になり、私たちの苗畑の周りにもいくつもあります。
 分解しにくいプラスチックも強烈な紫外線を浴びてボロボロになります。台所のゴミなどは微生物によって分解されます。日本人の衛生観念では問題であっても、実害はそれほどではないかもしれません。でも、ゴミが埋め立てられるのはたいてい窪地で、水の集まるところ。地下水の汚染につながらないか、それが心配です。
 【写真】町で集められたゴミは農村部に捨てられ、ゴミの山になる。地下水汚染が心配。
 (2006年12月5日号)
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