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集会後の談笑の時間。
各自の信仰のあり方についての話題になりました。
聖書では
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しばらく前に訪ねた教会での説教
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コリント人への手紙 第一 3:10-15
「・・・どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。・・・」
主を信じる者は、共通の確かな土台を持っています。
でも、どんな信仰生活を送るかは、人それぞれです。
ですから、私は注意深くありたいと思います。
しっかりとみことばに根ざして生きる者でありたいです。
もちろん、実際には多くの方々の助けや奉仕から恩恵を受けます。
でも、あくまでも神から自分に与えられた信仰なのですから、特定の人物に依存するものではありません。
コリント人の教会は、パウロやペテロ、アポロなど、誰につくかという思考でした。
その思考自体が、福音の本質から外れた世俗的なものだとパウロは指摘しています
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救われてはいたものの、彼らは福音に根ざして生きることを放棄していたのでした
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たとえ賜物が豊かでも、熱心であっても、そうした誤りに陥る危険があるのです。
やがて、各自の信仰の本質が問われる日が来ます。
さて、私たちは、どのように建てているでしょうか?