昨日は、牧会塾の前期最後のクラスのため四ツ谷へ。
牧会における人生の「旅路」「通過儀礼」というテーマでした。
講義はもちろん、参加者の方々の体験談やグループでの分かち合いでも教えられることが多かったです。
私の場合、牧会の継承と前任のH先生夫妻の晩年の関わりという個人的な体験とを結びつけて、思い巡らしていました。
私自身にとってもそうですが、教会員のみなさんにとっても、一つの危機もしくは転機となる出来事です。
そこに、信仰共同体としても、別離と移行と再統合のプロセスが当てはまるのではないかなと思いました。
ちょうど先週の礼拝で、東村山教会の歴史を振り返りながら、宣教をテーマに説教をしました。
また、その礼拝の中で、H先生夫妻の後見人をした教会員の方に、その経験を振り返って話して頂きました。
主が私たちに別離と移行のための時間を備えてくださったということ。
そして、ゆっくりと時間をかけて再統合のプロセスを経ていこうとしていること。
牧会塾のグループでの分かち合いで語りながら、主の憐れみ深い導きを覚えました。
経験も知識もまだまだ乏しい者ですが、主の導きの確かさを心に留めています。
昨年の12月に開かれた、老人ホームでのH先生の長寿のお祝いの席とクリスマスの慰問の時の写真です。
牧会における人生の「旅路」「通過儀礼」というテーマでした。
講義はもちろん、参加者の方々の体験談やグループでの分かち合いでも教えられることが多かったです。
私の場合、牧会の継承と前任のH先生夫妻の晩年の関わりという個人的な体験とを結びつけて、思い巡らしていました。
私自身にとってもそうですが、教会員のみなさんにとっても、一つの危機もしくは転機となる出来事です。
そこに、信仰共同体としても、別離と移行と再統合のプロセスが当てはまるのではないかなと思いました。
ちょうど先週の礼拝で、東村山教会の歴史を振り返りながら、宣教をテーマに説教をしました。
また、その礼拝の中で、H先生夫妻の後見人をした教会員の方に、その経験を振り返って話して頂きました。
主が私たちに別離と移行のための時間を備えてくださったということ。
そして、ゆっくりと時間をかけて再統合のプロセスを経ていこうとしていること。
牧会塾のグループでの分かち合いで語りながら、主の憐れみ深い導きを覚えました。
経験も知識もまだまだ乏しい者ですが、主の導きの確かさを心に留めています。
昨年の12月に開かれた、老人ホームでのH先生の長寿のお祝いの席とクリスマスの慰問の時の写真です。