マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

希望

2017-05-29 14:52:01 | 教会の風景
昨日も主の御前に静まる幸いなひとときを過ごしました。

神はいつくしみ深く、恵みに満ちています。
それゆえ、神を礼拝する小さな集いにも慰めと希望とがあります。

時は流れ、時代は変わり、私たち自身も周りも変化していきます。
ですが、変わることのない希望があります。







さて、5月も月末を迎えました。
今月の礼拝説教のあらすじを掲載します。
旧約聖書は士師記からの講解説教を続けています。

2017年5月 士師記3-4章
 (3:12)「イスラエルの人々はまた主の前に悪を行なった。」それに対し、主はモアブ人の勢力を強くしてイスラエルに向かわせた。モアブの支配を受けるに及んで、ようやくイスラエルは『主に叫び求めた』。詳しい内容を伝えていないが、苦境からの助けを求めたのは間違いない。悔い改めや敬虔な祈りのことばは見受けられないものの、主は民の叫びを祈りとして受け入れた。新約聖書を見ると、主イエスは弟子たちにたとえを使って祈りを教え、(ルカ11:8)「あくまで頼み続ける」ことを教えた。主はひとりの救助者エフデを起こした(3:12)。主は、エフデ(輝きはどこに?の意)の策略を成功させて敵から民を救い、再び穏やかな日々を与えた(3:30)。神は、私たちの経験する重圧や苦しみからの心の叫びを聞いて、救い助けてくださる。私たちの祈りは切実な求めとなって主へと向かっているだろうか。
 (4:1)「その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。」「また」と言われ(3:12; 4:1; 10:6; 13:1に同じ表現)、ここに人間を支配している罪の現実を見る。人は罪に対して無力だ。ここでの「悪」とは、真の神を神として崇めないことを指す。民のこの有様に続き、「エフデは死んでいた」とも伝えられ、かつて活躍した頼もしい救助者(士師)も不在だった。主は、カナンの王ヤビンと将軍シセラの勢力を強め、イスラエルを圧迫した(4:2)。「ヤビンの手に彼らを売り渡した」とさえ言われ、主に背き悪を行う民への懲らしめを伝える。やがて、この時代の民も『主に叫び求めた』とされる。このように苦しみを与える神は冷酷なのだろうか。信仰者でさえ苦しみを通る。しかし、その苦しみを通していよいよ謙虚にされ、神を親しく知り、真の幸いに至る(詩篇119:67,71)。また神は、救い主イエス・キリストを与え、私たちの救いを確かなものとしてくださっている(ローマ8:33,34)。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする