マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

あたたかな日に

2008-11-13 17:55:59 | 教会の風景
今日は久しぶりに良い天気になりました。
このところ寒くなったな~と感じていましたが、今日は暖かくなりました。

午前中は教会内の仕事をして、午後からはポスティングへ出かけました。
教会の近辺にクリスチャン新聞11月号を配りました。
非常に地道な活動ですが、きっとどなたかは読んでくださっていることでしょう。
もうすぐクリスマスの案内も配る予定です。


さて、テサロニケ人への手紙のショートメッセージをアップしておきます。

テサロニケⅡ 3:6-18

「落ち着いた生活」                            

テサロニケの教会が抱えていた、もう一つの課題が取り扱われている。
教会の中のある者たちが、仕事もしないで怠惰な生活をしているということだ。
それは歪んだ終末観とも関わりがある。
極端な再臨信仰が、落ち着いた日常生活を送れない人々を生み出していた。
パウロは厳重に訓戒している。
「主イエス・キリストの御名によって命じます」(3:6,12)と表現している。
事の重大さを感じさせる。
彼らの存在は教会内の秩序に影響を及ぼしていたのだろう。
 
パウロは、自分自身を例に出して、「締まりのないことはしなかった」(7)と振り返っている。
それは、福音を伝える彼に養いを受ける権利がなかったのではない。
むしろ、テサロニケの教会の人々への模範を示すためだった(9)。
そのうえ、テサロニケ滞在中からすでに、「働きたくない者は食べるな」(10)と命じていた。
だが、それでも信者の中に、「何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方」(11)をする者たちが一定数現れてしまったようだ。
落ち着いて仕事をし、自分で生計を立てるように再び命じなければならなかったほどに(12)。
 
しかし、本来の趣旨を見失わないように、指示に従わない者への扱い(14)と考え方(15)も教えている。
「交際しないようにしなさい」としながらも、「敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい」という厳しさと憐れみのバランスが明確に示されている。

信者が落ち着いた生活を送ることは当然のことのようだが、極端な聖書理解によって妨げられることがある。
本来、福音は私たちの生活を秩序立て、教会内にも秩序をもたらす。
熱心に主の再臨を待ち望むことと、混乱を引き起こす無計画な生活に陥ることとは、全く関係のないものである。
健全な聖書理解(終末観)及び主の平和と臨在を仰ぐ祈り(16)は、現代の教会と個々の生活にもまさに必要である。


今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました
この後は礼拝説教の準備をしたいと思います。
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