私の生まれ育った愛知県に、伊良湖岬というところがあります。そこには、太平洋を見渡す、きれいな砂浜が広がっています。
島崎藤村は、その砂浜に流れ着いた、一つの椰子の実を題材に詩を作りました。その詩はこう始まります。
「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月…」
遠い島から流れ着いた一つの椰子の実に、自分自身を重ねて、故郷への思いを歌っています。その詩の終わりには、「いずれの日にか故国に帰らん」と彼の気持ちをストレートに表現しています。生まれ故郷を離れて暮らす人にとって、「自分のふるさと」というのは、やはり特別なんだなあと思います。
ところで、聖書の教えている信仰は、このような故郷への思いと似ているといいます。神を信じた人たちは「地上では旅人」であって、「自分の故郷を求めている」としています。人生を旅に例えるのは、私たちにも分かるイメージではないでしょうか。そして、その旅の間、「自分の故郷」を求めているというのも、まさに故郷への思いといったところです。
ただし、聖書は一言、このように言い添えています。「彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。」私たちの人生という旅の道中には、いろいろなことがあります。幸せを感じる瞬間もあれば、人一倍苦労することもあるかもしれません。しばしば、自分の思い描いたのとは違う道を行くこともあります。ですが、たとえどんな道をたどったとしても、帰ることのできる故郷がある、というのは私たちの心の支え、生きる力となります。聖書は、私たちを温かく迎えてくれる「天の故郷」があると教えます。神が私たちを迎えるために用意してくださったのです。
新約聖書 ヘブル人への手紙11章16節
「彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。」