礼拝説教の聖書箇所
出エジプト記17:1-7 「つぶやきと争い」
後に「マサ(試み)」もしくは「メリバ(争い)」と呼ばれるようになる場所での出来事。
飲み水が不足していることで民は、モーセを非難しました。
その勢いは相当なもので、モーセは民に殺意さえ感じています(4)。
確かに、水不足
は死活に関わる深刻な問題でした。
ですが、水不足という問題はここで初めて経験したのではありません。
少なくとも、荒野に入ってすでに一度はありましたし、その解決も経験していました(15:22-25)
ですが、再び類似した危機に直面して、民はどのように反応したでしょうか?
つぶやきと争い
という行動に出ました。
その態度の根底には、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」(7)という不遜な問いかけがあります
主は、そのような民に対して、なお憐れみ深く接しています。
モーセに岩から水を出すようにと命じます。
その際の行動についての指示には、主の意図が見られます。
「民の前を通り」(5)
「イスラエルの長老たちを幾人か連れ」
「ナイルを打ったあの杖を手にとって出て行け」
岩から
水を出す行為が主ご自身の御業であると
確認するようにとの促しです。
民は非常に
強情で頑なでしたが、それでも主は民を憐れみ、忍耐していました。
そして、
主はご自身がイスラエルの民とともにいることを示し続けました。
危機の時こそ、真価が問われます。
悲しいかな、選ばれた民は確かに不遜でどうしようもありませんでしたが・・・
主はそれでも見捨てないで憐れみを忘れませんでした。
イスラエルの民の姿を教訓として、私たちも自らの姿をわきまえて、
いよいよ主の臨在と憐れみを
確認していきたいものです。
危機に直面した時、拠り所となるべきは、私たちとともにいてくださる主です。