ここ何年も、カルテをつける際に急いで書こうとしてなぐり書きようになり、とてもきたない字になっていました。気にはなっていましたが「ちゃんと書こうと思えばいつで書ける」と思っていました。が、最近になって真面目に書こうとしたときに全然思うような字が書けなくなっていることに気づきました。
自分の中では「ひらがな」でも「漢字」でも文字の形のイメージがあり、自分で満足していた頃の文字の形と書き方を指が(脳が)記憶していて、その気になればいつでも引き出されて書けるだろうとのんきにあぐらをかいていました。
しかしそれが間違いであることはちょっと考えればわかることでした。「上手な字を書きたい」と思って手本などを参考に繰り返し繰り返し一生懸命書いて練習していれば、やがてそれが技化して上手な字が書けるようになる。弁証法で言えば「量質転化の法則」にあたるものでしょう。が、当然逆のことも起こりうるわけで、ヘタな字を繰り返し繰り返し書いていればやがてそれが技化して上手な字が書けなくなる。それを今思い知らされています。
私の理想の字は「習字の字」でもなく「ペン字の字」でもありません。恩師である、故代田文彦先生の書かれる文字です。玉川病院勤務時代、代田先生の内科外来の助手につかせていただいたときにカルテに書かれるその文字がとても素敵で格好よくてずっとあこがれていました。よく見ていると代田先生が文字を書かれる際、その書き方には「あるリズム」がありました。筆記する際はそのリズムを真似ながら、かつ先生の文字の形を常にイメージして書くようにしていました。
もちろん完コピは無理でしたが、一度だけ、私が他の鍼灸師の先輩スタッフ宛に書いたメモ書きをスタッフルームの机の上に貼っておいたところ、偶然代田先生がそれをご覧になり「あれ?俺こんなこと書いたっけ?」とおっしゃられたことがありました。それを間近で見ていた私は「すみません、それは私が○○先生あてに書いたメモです」と申し上げながら、あまりの嬉しさに心の中でガッツポーズをしていました(現在で言えばあの錦織選手のダブルガッツポーズのように何度も何度も引くがごとく)。
あの頃が一番自分で理想とする文字が書けていたときでした。
現在は代田先生の文字を身近で拝見できなくなってしまったので、過去の記憶をたどりながら一生懸命またあの時に近づけるようにリズムや文字バランスを思い出しながら書くようにしています。
私のもうひとりの鍼灸の恩師、似田先生も代田先生の文字について
ブログに書かれていました。