昨夜来の台風のような暴風雨、雨が上がり日も差し出しましたが、まだ強い風が残っています。
世の中はGWということですが、私の方は年中GWですからこの期間のお出かけは無し、それでも野暮用が続いて
3日ほどブログをお休みしました。
ということで、深大寺・神代植物園の続きです。(過去記事① 過去記事②)
今日は、深大寺のご紹介です。これまでおそらく10回以上は行っている深大寺ですが、参拝よりも
植物園とその後のおそばがメインで、境内をゆっくり巡ったことがなく、今回は一部を除き全部巡ってきました。
深大寺には多くの関係するお堂がありますが、いずれも大きなものではなく、本堂のほか、元三大師像を祭ったお堂や、
開祖の満功上人と中興の祖恵亮和尚を祭った「開山堂」、名称に由来する深沙大王を祭った「深沙堂」などがあります。
境内もこぢんまりしており、案内板にしたがって簡単に巡ることが出来ます。
(各お堂の詳しい解説はこちら)
その深大寺、ネットの情報を極簡単に整理すると、開祖は満功上人(まんくうしょうにん)という人で、733年に開創
、お寺の名前は水神「深沙大王」(じんじゃだいおう)に由来していると、伝えられているということです。
その後、860年ごろ比叡山の恵亮和尚(えりょうかしょう)が深大寺を道場に定めて、密教修法を行ない、以来、東国第一
の密教(台密)道場として栄えたようです。
その後、991年には、天台座主慈恵大師良源(じえだいし りょうげん、俗称:元三大師(がんざんだいし))の自刻像が
比叡山より深大寺に移され、元三大師の信仰が特に江戸時代には盛んになったいうことです。
なお、梵鐘と1909年に発見された銅製の釈迦如来像が重文に指定されていますが、梵鐘だけは巡るのを忘れました。
巡る順番は前後するかとは思いますが、参拝後は神代植物園へ、そしてその後は、やはり茶店でお休み、深大寺そばを、
ということになります。
中段左の「青木屋」さん、TVにもよく登場する老舗です。しかし、今回もなじみの「雀のお宿」となりました。
デザートの「くず餅」、今回はお土産になりました。
世の中はGWということですが、私の方は年中GWですからこの期間のお出かけは無し、それでも野暮用が続いて
3日ほどブログをお休みしました。
ということで、深大寺・神代植物園の続きです。(過去記事① 過去記事②)
今日は、深大寺のご紹介です。これまでおそらく10回以上は行っている深大寺ですが、参拝よりも
植物園とその後のおそばがメインで、境内をゆっくり巡ったことがなく、今回は一部を除き全部巡ってきました。
深大寺には多くの関係するお堂がありますが、いずれも大きなものではなく、本堂のほか、元三大師像を祭ったお堂や、
開祖の満功上人と中興の祖恵亮和尚を祭った「開山堂」、名称に由来する深沙大王を祭った「深沙堂」などがあります。
境内もこぢんまりしており、案内板にしたがって簡単に巡ることが出来ます。
(各お堂の詳しい解説はこちら)
その深大寺、ネットの情報を極簡単に整理すると、開祖は満功上人(まんくうしょうにん)という人で、733年に開創
、お寺の名前は水神「深沙大王」(じんじゃだいおう)に由来していると、伝えられているということです。
その後、860年ごろ比叡山の恵亮和尚(えりょうかしょう)が深大寺を道場に定めて、密教修法を行ない、以来、東国第一
の密教(台密)道場として栄えたようです。
その後、991年には、天台座主慈恵大師良源(じえだいし りょうげん、俗称:元三大師(がんざんだいし))の自刻像が
比叡山より深大寺に移され、元三大師の信仰が特に江戸時代には盛んになったいうことです。
なお、梵鐘と1909年に発見された銅製の釈迦如来像が重文に指定されていますが、梵鐘だけは巡るのを忘れました。
巡る順番は前後するかとは思いますが、参拝後は神代植物園へ、そしてその後は、やはり茶店でお休み、深大寺そばを、
ということになります。
中段左の「青木屋」さん、TVにもよく登場する老舗です。しかし、今回もなじみの「雀のお宿」となりました。
デザートの「くず餅」、今回はお土産になりました。