連句通信112号 2006年12月2日発行
俳諧その曖昧なるもの(去来抄雑感)
坂本 統一
行く春を近江の人とをしみけり はせお
芭蕉作品としては、それほどとり立ててもてはやすほどの句でもないと思うのですが、去来抄によってよく知られている句です。
古い近江の門人である尚白が、「近江は丹波にも行く春は行く歳にも,置き換えられるのではないか」と批難した。それを聞いた芭蕉は去来に、尚白はそう言っているが貴方はどう思うかねと尋ねた。去来は、湖水一面もうろうとかすんで、惜春の情にはもっともふさわしい情景です。近江でなければ駄目です。と答えた。すると芭蕉は、汝や去来共に風雅を語るべきなり、お前さんこそ一緒に俳諧の道を語ることのできる人だ、と言ったという。
しかしわたしは、尚白の意見、行く歳と言ったのは口が滑ったとしても一理あるように思うのです。芭蕉は尚白からこの句の表現の不備を指摘されたとき、内心ぎょっとしたに違いありません。だから去来に同意を求めたのではないか、そんなふうに思えて仕方がないのです。
去来のいう、湖水が朦朧と煙って春も終わりだという情景は、この句からは想像できないからです。
芭蕉は、近江の人の句に、そのことを言外に匂わせたつもりかも知れませんが、それは表現としては無理というものです。去来抄の説明があって、初めてそんなものかも知れないなと、納得がいかない訳でもないですが、琵琶湖全体が春霞にかすんでいる風景は、この句から今でもわたしなどには具体的に浮かんできません。
言語を表現手段とする文芸にとって、感覚、感性というのは、特に大切なように思います。
長年この道に親しんできた尚白は、この句に接したとき、おやと感ずるものがあったのではないか、芭蕉は、その尚白の疑念に、穏やかに直接答えるべきでした。虚を突かれ、狼狽がそうさせたのでしょうか、芭蕉庵桃青の権威によって、尚白の直感を屈服させようとした、そう取られても仕方がない。
「 愛弟子の杜国は盲、杉風は聾。生涯、芭蕉は盲目耳聾の句を作っていない。」 (曲亭馬琴遺稿・森田誠吾)俳諧の道は格別という訳でしょうか、弟子たちを慈しんだと言われた人にしては、不覚と言わざるを得ないでしょう。
徒然草八十八段に次のような話があります。
ある人が、家の相伝だと小野道風の書いたという和漢朗詠集を持っていた。それを聞いた別の人が、四条大納言(藤原公任のこと)選ばれたものを、道風が書いたというのは、時代が合わないのではないですか(小野道風が亡くなった年に藤原公任は生まれている)、と言ったところ、この所持者は、だからこそ貴重で大切なものなのだ、とますます大事にしたという。
この話を読んだとき、軽い笑い話だくらいに読み過ごしてしまいましたが、妙に印象に残る中身ではありました。
最近、これに類似の言辞をよく耳にするな、と思うようになりました。特に一国の運命を左右するような立場にある人でも、これに似た言い方を弄しているようです(たとえば美しい国)。
徒然草の話は、贋物が本物になり、嘘が本当のこととしてまかりとおるようになる、恐ろしい物語ではありました。
夏草や兵どもの夢の跡 芭蕉
この芭蕉の句は、奥の細道の旅で、義経の衣川の館跡に立った時の感慨句として人口に膾炙しています。
わたしは少年のころ、義経の物語が好きで熱中してよく読んだものです。この句に接したとき、偉い俳諧の宗匠と言われている
ような人が、何でこんな嘘をいうのだろうだろうと不思議に思いました。
弁慶の立ち往生で伝えられる衣川の戦いを、念頭においての作でしょうが、義経の側はもちろん、藤原泰衡側にも夢など在ったでしょうか。奥州三代の栄華も、この戦を起点にして滅びに向かって行ったことは、歴史の事実が語っています。同族同志、親しかった者たちが血で血を争わなければならなかった悲惨な戦いに、兵たちは夢や希望が持てたでしょうか。
芭蕉庵桃青は、そのことを知らなかった筈がありません。それでも、兵どもの夢と詠んでいますから、それが俳諧の真実(わたしには曖昧さと映るります)、というものなのかもしれません。
一般的に「兵どもの夢」というような語句は、人の名誉欲をくすぐる快いひびきを持っています。この句が、人々に受け入れられる所以ではありましょう。(さかもとむねかず)
二十韻 「河鹿園の巻」 膝送り
真ん中は渦巻く流れ谷紅葉 玉木 祐
河鹿園にてむかご天婦羅 藤尾 薫
連衆の九人にぎやか月愛でて 坂本 統一
袋小路で子等は石けり 杉浦 和子
ウ
鼠とり気をつけようね右左 古賀 直子
恋の虜になりし碧眼 峯田 政志
アイシテルジュテームアモーレ好い人よ 古谷 禎子
木遣音頭でコングラチュレーション 梅田 實
安曇野は田植え忙し祖母と祖父 星 明子
絵本の少女麦稈帽子 祐
ナオ
休日は急いでめぐる美術館 薫
大喚声は場外ホーマー 統一
酔ったふりしっかりと手をにぎりしめ 和子
ちょっとキスして神様は留守 直子
あらけなき将軍吼える寒の月 政志
行列につく大観覧車 禎子
ナウ
古都ウイーンザハトルテは食べ飽きた 薫
春の日浴びて街の銅像 祐
売り声につい足を止め花の頃 實
風船のぼる点になるまで 明子
2006年10月18日 首尾 於奥多摩河鹿園
習作二句表「多摩物産展」 坂本統一捌
物産展多摩の蒟蒻秋大根 杉浦和子
手をつなぎ行く背に夕月 梅田 實
ウ
地芝居の兄は科白を復習ひ居て 峯田政志
くるりと廻す二丁拳銃 古賀直子
防犯式エレベーターで地下金庫 太田六魚
健忘症も時に幸せ 坂本統一
燗酒で自慢話に火がついて 實
猫の散歩は石蕗をかぎ 六魚
我輩は威風堂々車椅子 直子
ナオ
新入社員は物を言わずに 和子
指にふれ壬生狂言を見てるふり 六魚
見返り美人おきゃんな娘 和子
生垣の蔭で行水月覗き 實
梁上の君子狙ふ株券 六魚
アラビアの王の香炉は古九谷ぞ 直子
廃寺の池に雲流れゆき 政志
ナウ
花見上げ岳父は何を思ふらん 政志
夢に胡蝶をひらひらと舞い 執筆
2006年11月4日首尾 永山公民館学習室
習作二句表「夢に目覚めて」 坂本統一捌
増税の夢に目覚むる夜寒かな 坂本統一
木の実時雨の屋根を打つ音 古賀直子
ウ
馬頭琴予報はずれの月が出て 杉浦和子
囲碁も将棋も奇襲戦法 峯田政志
変哲もなきたたずまい桶狭間 梅田 實
サンドイッチのからし気がぬけ 太田六魚
旅もはや羽子板市を通りすぎ 六魚
みなふりかえる室咲きの花 政志
居酒屋で社長と呼ばれ君と僕 直子
ナオ
春のあらしに帽子飛ばされ 實
恋文をエイプリルフールにことよせて 和子
Uターンしてあの娘待ちぶせ 直子
今ははや戦艦三笠観光地 政志
海水着干すベランダの月 六魚
双生児羽織袴をデジカメに 和子
祖父母の贈る鶴亀の軸 統一
ナウ
神さびる社麗し花吹雪 直子
凧の逸品探すバザール 實
2006年11月4日起首 11月6日満尾永山公民館学習室
二句表 「塩むすび」
木枯らしや手の平赤く塩むすび 古谷禎子
小袖をはおり繰り言の月 峯田政志
ウ
苞もちて長州の友訪れて 藤尾 薫
弁はさはやか美髯たくはへ 梅田 實
唯独り魚翁網打つ春の海 星 明子
のたりのたりとうららすぎゆく 玉木 祐
牛の背の鼻欠け羅漢に作り花 坂本統一
うらぶれ酒場うなるカナブン 禎子
ナオ
肌脱ぎて初夜権論議きりもなし 政志
錨の刺青オリーブが惚れ 薫
抱き合い激しい息に月ふるへ 實
雲井の雁の遠ざかる声 明子
校庭にソーラン響く運動会 祐
シックハウス症候群癒え 統一
ナウ
もてなしの抹茶茶碗に花霏々と 政志
隅田の川の水の長閑やか 執筆
2006年11月19日 関戸第三学習室にて
二句表 「美しき国」 膝送り
美しき国語りけり神無月 玉木 祐
連衆遊ぶ時雨も風雅 坂本 統一
ウ
とにかくに魚など買ふ海辺にて 古谷 禎子
松林越え鴎飛び交ふ 峯田 政志
つれだちて観光バスの梅見旅 藤尾 薫
のんびり歩む花のトンネル 梅田 實
読経聞き舟こいでゐる姉妹 星 明子
売られゆく娘の女郎蜘蛛飼ふ 祐
ナオ
イニシャルのタトウの乳房抱きしめ 統一
高速下りて溜まるトラック 禎子
みちのくの月を仰ぎし獺祭忌 政志
団子肴に濁酒酌む 薫
そぞろ寒検察入る知事庁舎 實
無料収集ダンボール箱 明子
ナウ
みなみ北九十九選の花名所 統一
空港に行く麗らかな午後 執筆
2006年11月19日 於 関戸公民館第三学習室
俳諧その曖昧なるもの(去来抄雑感)
坂本 統一
行く春を近江の人とをしみけり はせお
芭蕉作品としては、それほどとり立ててもてはやすほどの句でもないと思うのですが、去来抄によってよく知られている句です。
古い近江の門人である尚白が、「近江は丹波にも行く春は行く歳にも,置き換えられるのではないか」と批難した。それを聞いた芭蕉は去来に、尚白はそう言っているが貴方はどう思うかねと尋ねた。去来は、湖水一面もうろうとかすんで、惜春の情にはもっともふさわしい情景です。近江でなければ駄目です。と答えた。すると芭蕉は、汝や去来共に風雅を語るべきなり、お前さんこそ一緒に俳諧の道を語ることのできる人だ、と言ったという。
しかしわたしは、尚白の意見、行く歳と言ったのは口が滑ったとしても一理あるように思うのです。芭蕉は尚白からこの句の表現の不備を指摘されたとき、内心ぎょっとしたに違いありません。だから去来に同意を求めたのではないか、そんなふうに思えて仕方がないのです。
去来のいう、湖水が朦朧と煙って春も終わりだという情景は、この句からは想像できないからです。
芭蕉は、近江の人の句に、そのことを言外に匂わせたつもりかも知れませんが、それは表現としては無理というものです。去来抄の説明があって、初めてそんなものかも知れないなと、納得がいかない訳でもないですが、琵琶湖全体が春霞にかすんでいる風景は、この句から今でもわたしなどには具体的に浮かんできません。
言語を表現手段とする文芸にとって、感覚、感性というのは、特に大切なように思います。
長年この道に親しんできた尚白は、この句に接したとき、おやと感ずるものがあったのではないか、芭蕉は、その尚白の疑念に、穏やかに直接答えるべきでした。虚を突かれ、狼狽がそうさせたのでしょうか、芭蕉庵桃青の権威によって、尚白の直感を屈服させようとした、そう取られても仕方がない。
「 愛弟子の杜国は盲、杉風は聾。生涯、芭蕉は盲目耳聾の句を作っていない。」 (曲亭馬琴遺稿・森田誠吾)俳諧の道は格別という訳でしょうか、弟子たちを慈しんだと言われた人にしては、不覚と言わざるを得ないでしょう。
徒然草八十八段に次のような話があります。
ある人が、家の相伝だと小野道風の書いたという和漢朗詠集を持っていた。それを聞いた別の人が、四条大納言(藤原公任のこと)選ばれたものを、道風が書いたというのは、時代が合わないのではないですか(小野道風が亡くなった年に藤原公任は生まれている)、と言ったところ、この所持者は、だからこそ貴重で大切なものなのだ、とますます大事にしたという。
この話を読んだとき、軽い笑い話だくらいに読み過ごしてしまいましたが、妙に印象に残る中身ではありました。
最近、これに類似の言辞をよく耳にするな、と思うようになりました。特に一国の運命を左右するような立場にある人でも、これに似た言い方を弄しているようです(たとえば美しい国)。
徒然草の話は、贋物が本物になり、嘘が本当のこととしてまかりとおるようになる、恐ろしい物語ではありました。
夏草や兵どもの夢の跡 芭蕉
この芭蕉の句は、奥の細道の旅で、義経の衣川の館跡に立った時の感慨句として人口に膾炙しています。
わたしは少年のころ、義経の物語が好きで熱中してよく読んだものです。この句に接したとき、偉い俳諧の宗匠と言われている
ような人が、何でこんな嘘をいうのだろうだろうと不思議に思いました。
弁慶の立ち往生で伝えられる衣川の戦いを、念頭においての作でしょうが、義経の側はもちろん、藤原泰衡側にも夢など在ったでしょうか。奥州三代の栄華も、この戦を起点にして滅びに向かって行ったことは、歴史の事実が語っています。同族同志、親しかった者たちが血で血を争わなければならなかった悲惨な戦いに、兵たちは夢や希望が持てたでしょうか。
芭蕉庵桃青は、そのことを知らなかった筈がありません。それでも、兵どもの夢と詠んでいますから、それが俳諧の真実(わたしには曖昧さと映るります)、というものなのかもしれません。
一般的に「兵どもの夢」というような語句は、人の名誉欲をくすぐる快いひびきを持っています。この句が、人々に受け入れられる所以ではありましょう。(さかもとむねかず)
二十韻 「河鹿園の巻」 膝送り
真ん中は渦巻く流れ谷紅葉 玉木 祐
河鹿園にてむかご天婦羅 藤尾 薫
連衆の九人にぎやか月愛でて 坂本 統一
袋小路で子等は石けり 杉浦 和子
ウ
鼠とり気をつけようね右左 古賀 直子
恋の虜になりし碧眼 峯田 政志
アイシテルジュテームアモーレ好い人よ 古谷 禎子
木遣音頭でコングラチュレーション 梅田 實
安曇野は田植え忙し祖母と祖父 星 明子
絵本の少女麦稈帽子 祐
ナオ
休日は急いでめぐる美術館 薫
大喚声は場外ホーマー 統一
酔ったふりしっかりと手をにぎりしめ 和子
ちょっとキスして神様は留守 直子
あらけなき将軍吼える寒の月 政志
行列につく大観覧車 禎子
ナウ
古都ウイーンザハトルテは食べ飽きた 薫
春の日浴びて街の銅像 祐
売り声につい足を止め花の頃 實
風船のぼる点になるまで 明子
2006年10月18日 首尾 於奥多摩河鹿園
習作二句表「多摩物産展」 坂本統一捌
物産展多摩の蒟蒻秋大根 杉浦和子
手をつなぎ行く背に夕月 梅田 實
ウ
地芝居の兄は科白を復習ひ居て 峯田政志
くるりと廻す二丁拳銃 古賀直子
防犯式エレベーターで地下金庫 太田六魚
健忘症も時に幸せ 坂本統一
燗酒で自慢話に火がついて 實
猫の散歩は石蕗をかぎ 六魚
我輩は威風堂々車椅子 直子
ナオ
新入社員は物を言わずに 和子
指にふれ壬生狂言を見てるふり 六魚
見返り美人おきゃんな娘 和子
生垣の蔭で行水月覗き 實
梁上の君子狙ふ株券 六魚
アラビアの王の香炉は古九谷ぞ 直子
廃寺の池に雲流れゆき 政志
ナウ
花見上げ岳父は何を思ふらん 政志
夢に胡蝶をひらひらと舞い 執筆
2006年11月4日首尾 永山公民館学習室
習作二句表「夢に目覚めて」 坂本統一捌
増税の夢に目覚むる夜寒かな 坂本統一
木の実時雨の屋根を打つ音 古賀直子
ウ
馬頭琴予報はずれの月が出て 杉浦和子
囲碁も将棋も奇襲戦法 峯田政志
変哲もなきたたずまい桶狭間 梅田 實
サンドイッチのからし気がぬけ 太田六魚
旅もはや羽子板市を通りすぎ 六魚
みなふりかえる室咲きの花 政志
居酒屋で社長と呼ばれ君と僕 直子
ナオ
春のあらしに帽子飛ばされ 實
恋文をエイプリルフールにことよせて 和子
Uターンしてあの娘待ちぶせ 直子
今ははや戦艦三笠観光地 政志
海水着干すベランダの月 六魚
双生児羽織袴をデジカメに 和子
祖父母の贈る鶴亀の軸 統一
ナウ
神さびる社麗し花吹雪 直子
凧の逸品探すバザール 實
2006年11月4日起首 11月6日満尾永山公民館学習室
二句表 「塩むすび」
木枯らしや手の平赤く塩むすび 古谷禎子
小袖をはおり繰り言の月 峯田政志
ウ
苞もちて長州の友訪れて 藤尾 薫
弁はさはやか美髯たくはへ 梅田 實
唯独り魚翁網打つ春の海 星 明子
のたりのたりとうららすぎゆく 玉木 祐
牛の背の鼻欠け羅漢に作り花 坂本統一
うらぶれ酒場うなるカナブン 禎子
ナオ
肌脱ぎて初夜権論議きりもなし 政志
錨の刺青オリーブが惚れ 薫
抱き合い激しい息に月ふるへ 實
雲井の雁の遠ざかる声 明子
校庭にソーラン響く運動会 祐
シックハウス症候群癒え 統一
ナウ
もてなしの抹茶茶碗に花霏々と 政志
隅田の川の水の長閑やか 執筆
2006年11月19日 関戸第三学習室にて
二句表 「美しき国」 膝送り
美しき国語りけり神無月 玉木 祐
連衆遊ぶ時雨も風雅 坂本 統一
ウ
とにかくに魚など買ふ海辺にて 古谷 禎子
松林越え鴎飛び交ふ 峯田 政志
つれだちて観光バスの梅見旅 藤尾 薫
のんびり歩む花のトンネル 梅田 實
読経聞き舟こいでゐる姉妹 星 明子
売られゆく娘の女郎蜘蛛飼ふ 祐
ナオ
イニシャルのタトウの乳房抱きしめ 統一
高速下りて溜まるトラック 禎子
みちのくの月を仰ぎし獺祭忌 政志
団子肴に濁酒酌む 薫
そぞろ寒検察入る知事庁舎 實
無料収集ダンボール箱 明子
ナウ
みなみ北九十九選の花名所 統一
空港に行く麗らかな午後 執筆
2006年11月19日 於 関戸公民館第三学習室