ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

外国人観光客「日本ちっともオモテナシじゃない」言葉通じないし道路に名前付いてない

2015-11-12 17:23:57 | 政治、経済
フランスに留学していた時は

トイレは和式が多かった!

言葉が通じなくても身振り手振りでどうにかなるもものです。

日本に来る外人は甘えすぎ。



ソースから


「おもてなしの国」などと評判のよさだけが報じられているが、「不満の声も聞こえ始めています」と荘口彰久レポーターが「真相チェイス!直撃御免」コーナーで、外国人観光客の日本への不満を取り上げた。

【不満1】羽田空港でチェコから来た男性の観光客が、タクシー運転手に運賃システムについて尋ねたが、まるで理解できず、「電車で行くことにするよ」。別のタクシーでは、「東京モーターショーまでお願いできますか」に、「???」「アイドントノー」だった。英語の通用度が低いことへの不満が最も多いという。

【不満2】「ゴミ箱が少ない」「ゴミをどこに捨てていいのかわからない」というのもある。やむを得ずリックサックをゴミ箱代わりにしている観光客が多いという。美観を損ねるためにゴミ箱を撤去しているようだが、まったくないのも不便に違いない。

【不満3】「日本語だらけでわからない」「道路標識も建物も漢字の看板が多く、迷ってしまう」。取材した荘口によると、細い路地にも名前の付いているヨーロッパから来た観光客は「日本は道に名前がついていない」と不満を漏らしていたという。「スマホで調べようとしてもインターネットサービスの無料ワイファイがないからどうしていいか迷ってしまう」という。

駅の路線図複雑すぎる
【不満4】「駅では路線図が複雑すぎて切符を買えない」。たしかに、めったに外出しない高齢の日本人が、券売機の路線図をじっと見上げたまま立ち尽くす姿も見受けられる。

【不満5】「たまに駅などで和式のトイレがまだある。気をつけないとウンチがズボンに落ちちゃうよ」「和式トイレで向きが分からず失敗した」

コメンテーター初登場のアメリカの大学で学んだ宮澤エマ(タレント)「道路標識で○○通りをローマ字で書いているけど、外国人には何のことかわからないですよね」

「DORI」という表記ではわからないだろうなあ。

司会の小倉智昭「2000万人を超える外国人観光客を誘致しようと安倍首相が先頭に立ってやり始めていますが、オリンピックまでに英語を話せるようにったってムリだよね」


ガラケーは不滅か?「スマホ不要論」が生み出す客層

2015-11-12 07:47:17 | 政治、経済
カラケーなので

日本で使用率が高いのはいれしいですね。

カラケープラス、タブレットが便利です。

ドラマを見ていても韓国ドラマはすべてがスマホ、日本のドラマは年配の俳優や刑事はカラケーですね。

『ガラパゴスケータイ』は日本ならではですね。

よそから見れば、なんと遅れた国と映るでしょうね。




ースから
現代の携帯電話は、大きく2種類に分けられる。

『スマートフォン』と『フィーチャーフォン』だ。日本語では『スマートフォン』は“スマホ”、『フィーチャーフォン』は“ガラケー”と呼ばれているのは皆さんもよくご存知だろう。

そして“ガラケー”とは、『ガラパゴスケータイ』の略である。

iPhoneが登場する2007年まで、日本の携帯電話は常に世界の先を行っていた。

そうであるが故に、日本の通信事情は独自の進化を遂げ、世界水準では考えられなかったあらゆるサービスを提供していた。ネットブラウジングやゲーム、音楽の配信などはあのスティーブ・ジョブズも大いに参考にしていた。

その“ガラケー”は、今や“スマホ”の登場で過去のものに……、と言いたいところだが、実際は今でも根強い人気を誇っている。

そう、日本の市場はやはり“ガラパゴス諸島”なのだ。

「ガラケー」の底力
“ガラケー”の出荷数が、何と増加に転じているという。

いきなりのニュース引用で恐縮だが、まずはJ-CASTニュースのこの記事をご覧いただきたい。

<2014年(1~12月)の国内の携帯電話全体の出荷台数が減るなか、ガラケーは前年比5.7%増と2007年以来7年ぶりに増加に転じた。

こうしたガラケー人気の根底には「スマホは使い勝手が悪く、料金も高い」(携帯大手)という意識が利用者に根強くあるからだ。(J-CASTニュース10月20日付記事より引用)>

「スマホは使い勝手が悪い」というのは、高機能過ぎるがゆえ手に余りがちであることのほか、タッチパネルを採用しているが故の誤操作などが挙げられる。

それが例えば、SNSで他のユーザーに間違って変なメッセージを送信したり、意図しない通話をしてしまったりということになれば、最悪人間関係にヒビが入ってしまうことも、可能性としてゼロではない。

SNSが社会インフラとなった今の時代、こうしたイレギュラーな問題がだんだんと顕著化している。

そもそも、我々一般ユーザーは“スマホ”の機能を100パーセント活用しているのかという疑問もある。

例えば筆者は、Android搭載の“スマホ”(Xperia)とiPadを併用しているが、タブレット端末さえ持っていれば“スマホ”は次第に副次機と化していくことにようやく気付いた。

すなわち“スマホ”とタブレットの機能に重複点がある以上、「スマホの機能はあまり使わない」という現象が起こりうるということだ。

必要な操作はタブレットで
business, partnership, technology and people concept - businessman and businesswoman working with tablet pc computer on city street
source:https://pixta.jp/

筆者は先日、“歩きスマホ”に関する記事を手がけた。

その続きになってしまうが、「路上でスマホを操作する」という行為に対して、社会の目が厳しくなっていることは確かだ。

そして、もし世界のすべての人々が“歩きスマホ”を完全にやめたとしたら、“スマホ”は大して必要なくなるかもしれない。タブレットがあれば事足りるからだ。現に“ガラケー+タブレット”という組み合わせを選択するユーザーは少なくないのではないか。

これから間違いなく、通信各社は「歩きスマホをやめよう」という趣旨のキャンペーンに力を入れるだろう。

そうせざるを得ない状況に、社会と世論がなっている。だが「歩きスマホをやめる」ということは「どこか落ち着いた場所で椅子に腰掛けながらスマホを操作しよう」ということとほぼ同義であり、もっと言えばネットブラウジングの携帯性を一部自主規制することである。

それを考慮すると、“ガラケー”は“スマホ”に対するアドバンテージを持っているといえる。「操作ミスが少ない」、「アプリ操作はタブレットでやるから純然たる携帯電話としての機能で充分」という二つの動機が、日本のガラケー人気を支えているのだと筆者は見ている。

いや、それどころかSNSもゲームもiTunesもやらない、だからタブレットも持っていないという人だって少なくないはずだ。かつてツーカーという通信会社が、高齢者向けの端末を発売した時、単純な操作機構が市場に受け入れられ同社一の売れ筋商品になった。

これは、通信端末の飛躍的な進化に嫌気が差している層が存在したという、何よりの証明でもある。

「スマホ」は過保護になりがち?
また、“ガラケー”は“スマホ”よりも「傷が似合う」という特徴がある。

どういうことかというと、“スマホ”というのはボディーに傷が付けばまるで万札を落としたかのような気分に苛まれ、いつまでもその傷を気にしてしまう。だから誰しも“スマホ”をケースに入れている。

前面がまるまるディスプレイだから、液晶画面の傷にも注意だ。

だが、考えてみてほしい。10年前は携帯電話をここまで過保護に扱っていたのだろうか? 折りたたみ式のケータイがケースに入るか否か、という問題ではない。

いかなるシーンにおいても多少手荒に使用でき、なおかつ故障が滅多に起こらない、というのは決して見逃せない点だ。

もっとも、スティーブ・ジョブズはケースに入った無傷のiPhoneを「美しくない」と言ったそうだが。

そうしたことも考えれば、各社が“スマホ”に熱を入れるその裏で、“ガラケー”の需要も無視できず、寿命はまだまだ長くなるのではないだろうか。