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シリア内戦の発端:ダラア 2011年3月18日

2016-07-14 09:02:33 | シリア内戦

 

シリアはチュニジアやエジプトと異なり、反政府デモの人数が非常に少なかった。2011315日のダマスカスのデモの参加者は数百人である。

325日、ダラアで数万人が参加するデモが起きた。これがシリア内戦の出発点となった。ここに至るまでのダラアの状況を、前回書いた。

ダラアでも最初は200人程度のデモにすぎなかった。それが318日、数百人に増え、3名の死者が出た。この日が最初のエスカレーションとなった。国際メディアはこの日のデモ参加者を数千人と報道し、死者3ー6人としている。前回訳したシリア人ジャーナリストの報告は、18日の参加者は最初は200人にすぎなかったとしている。

エスカレーションの原因は、警察が200人の抗議者に発砲し、負傷者が出たからである。たった200人の平和的な抗議に発砲し、負傷者が出た。それが原因となって大勢の市民が集まり、死者まで出た。

これがシリア内戦の原因《その1》である

         《原因その2》

21日アサド大統領の特使がダラアに来て、譲歩の姿勢を示し、政治的解決を試みた。市民を殺害した治安部隊の処罰と落書き少年たちの釈放を約束した。そして実際に少年たちは釈放された。中央政府は柔軟な対応をし、これで解決するはずであった。そしてここで終われば、シリア内戦はなかった。

しかし皮肉にも、事態は悪い方向に進む。刑務所から帰ってきた少年たちの顔や身体を見て、親たちはショックを受けた。少年たちの話を聞くまでもなく、拷問されたことは明らかだった。親たちは怒った。

323日のデモは数千人の規模となった。モスクに集まった数千人をエリート師団が襲撃した。これにより、エスカレーションはもはや止めることができなくなった。

 

前回まで2回、3月後半のダラアについて書いたが、どちらも住民たちが語ったことであり、報道が皆無な時期から話を始めている。318日以後はダラアについてのニュースが増えるので、前2回の話を、別の角度から補うことができる。シリア内戦の発端について、できる限り、真実に迫りたい。

今回は18日について、ニューヨーク・タイムズとアルジャジーラがどのように報道したか見てみたい。

 

=====In Syria, Crackdown After Protests====== 

        318日 ニューヨーク・タイムズ               

318日シリアのいくつかの都市で、デモがあった。シリアでは最初のデモである。警察の容赦ない取り締まりにより、デモ参加者6名が死亡し、数十人が負傷した。

なかでもダラアのデモが最も大きく、数千人が市の中心部に集まり、「神、シリア、自由!」と声を合わせて叫んだ。彼らは市長と政治警察ダラア支部長の辞任を要求した。

その後、警察が彼らに発砲し、6名死んだと目撃者が語っている。

 

  

 

地中海沿岸のバニアスと中部の都市ホムスでもデモがあった。ここダマスカスでもデモがあった。フェイスブックの「シリア革命2011」の著者が政権の腐敗と抑圧に抗議を呼びかけた。

警察国家のシリアでは、反政府運動は存在しない。昔から政治的反対派は残酷に弾圧されてきた。

15日と16日のダマスカスのデモは暴力的に排除され、数十人が逮捕された。シリア国営放送SANAはこれらのデモは外国の扇動者によるものだと批判した。

SANA18日のダラアのデモについても同じ説明をした。SANAの電子版は次のように述べた。「オマリ・モスクに市民が集まると、外部の人間がこれを利用し、公的な建物と個人の住宅を破壊し、混乱を引き起こした」。

ダラアの市民の抗議の理由の一つは、今月初め、反政府的な落書きをした少年たち20人が逮捕され、今なお拘留されていることである。落書きは物価高に対する不満を述べ、政治的な自由を要求していた。

YouTube の動画では、治安部隊が集まった人々に向けて放水し、解散させようとしている。

「その後事態が悪化した」と目撃者が語る。「次の段階は催涙ガスではなく、実弾による銃撃だった」。

 

ホムスではハリード・ビン・ワリード・モスクに2000人が集まり、政府に対し抗議した。

===============(ニューヨーク・タイムズ終了)

 

警察の放水によってデモが解散しなかっただけでなく、民衆の一部が暴徒化したようである。新たな部隊が緊急に派遣された。その部隊に対しても、暴徒は抗戦した。ニューヨーク・タイムズが報じたのと同じ日のダラアについて、アルジャジーラは緊迫した様子を伝えている。

最初の死者が出たこの日、治安部隊が発砲した相手は平和的な抗議をする市民ではないことがわかる。

 

========シリア:デモが暴徒化========

   Violence erupts at protests in Syria

 

3月18日シリアの3つ以上の都市で抗議のデモがおこなわれた。シリアは50年間厳格な戒厳令下にある。この日のデモは近年にない激しいものだった。

18日南部の都市ダラアで、モスクでの昼の祈りの後、反政府集会が開かれた。数千人と言われる人々が「神、シリア、自由」と合唱し、アサド大統領の家族の腐敗を批判した。

治安部隊の発砲によって3人以上の死者が出た、と目撃者が語った。新たな部隊がヘリコプターでサッカー場に降り立ち、治安部隊は増強された。

「非常に激しい戦闘が続いている」と目撃者がロイター通信に語った。

数百人が負傷したと言われている。

 

        《破壊行為》

シリア国営放送は、デモの際破壊行為がなされ、治安部隊の出動が必要となったと報道した。「18日の午後ダラアで、オマリ ・モスクでの集会を潜入者が利用し、暴動を起こし、騒乱状態となった。公共の建物と私人の家屋が破壊された。さらに潜入者たちは車や商店に放火した。市民と不動産を守るため治安部隊が出動した。すると潜入者たちは治安部隊を攻撃し始めたが、撃退された。

 

同日ダマスカスでは200人を超える抗議集会が開かれたが、私服の警官が警棒を振りかざし、強制的に解散させた。

フェイスブックの「シリア革命2011」の動画には、一人の男性がウマイヤ・モスくから引きずり出せれる場面がある。

抗議集会が解散すると、モスクの広場にアサド政権を支持する群衆が集まり、アサド大統領とハフェズ・アサド前大統領の肖像画を掲げた。

 

別のビデオによれば、地中海沿岸の町バニアスで抗議集会に放水が浴びせられている。

またホムスでは数千人の抗議集会があった。

============-=====(アルジャジーラ終了)

 

デモの一部がかなり暴れた。また治安部隊を攻撃し、激しくやりあった。ただ暴徒の攻撃手段がわからないので、治安部隊が3人以上射殺したことは、やむを得ない状況だったかは、判断できない。「抗議集団は武装していたと」イスラエル・ナショナル・ニュースは書いている。

 

翌日のアルジャジーラは、前日(18日)のダラアの死者は5人と報じ、次のように書いている。

「シリア政府の数人が匿名を条件に語ったとろでは、政府は18日のダラアの騒乱について調査する委員会を立ち上げる予定である。市民の死亡について責任のある者は処罰されることになる」。

またダラアが包囲・封鎖されたことを伝えている。

 

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