【37章】
ローマの共和制は今や10人委員の恐怖政治となってしまった。平民は自由を取り戻してくれそうな人物を貴族の中に探した。元老院の指導者たちは10人委員と平民の両方をを憎んでいた。彼らは10人委員を否定しながらも、恐怖政治におびえる平民は当然の報いを受けていると考えていた。『自由を求めて騒いだ連中が奴隷のような状態に落ちたからといって、助ける必要はない」。
元老院の指導者たちは平民の苦しみを増すことさえした。平民は現在の状態に耐え切れず、昔の執政官の時代に戻ることを願うだう、と彼らは考えた。
この年が終わりに近づいた頃、前年10枚の板に書かれた法律に、二枚の法律が付け加えられた。追加の法律が百人隊が集まる兵士会(ケントゥリア民会)で承認されるなら、10人委員の仕事は終わり、10人委員会は消滅すべきだと考えられた。人々は10人委員に代わり、執政官が選ばれる日を待った。平民の最大の関心は、自由を守る砦である護民官の制度をいかに復活せるか、だった。10人委員会の成立により護民官は消滅していた。しかし旧役職の選挙の話はなく、10人委員は元護民官たちを引き連れて平民の前に現われて、人々の支持を求めた。その後10人委員は大勢の若い貴族に護衛されて広場にやって来て、護衛の若者が演台を取り巻き、平民に暴力を振るった。最近貴族の若者は立場が強くなり、平民の土地を略奪したり、その他、欲しい物を何でも手に入れていた。さらに彼らは暴力を振るうことさえためらわず、鞭で打ったり、首はねたりした。しかしこのような事が許されるはずがなく、被害者には賠償金が支払われた。賄賂によって腐敗した若い貴族は、法律無視の10人委員に反対せず、市民の自由よりも自分たちの我がままを好んだ。
【38章】
5月15日になり、10人委員の任期が終了したが、新しい高官は任命されなかた。10人委員はもはやただの市民にすぎなかったのに、引き続き権力を行使することにして、権力の象徴(枝の束と斧、護衛兵を手放さなかった。彼らは今やあからさまに国王として振舞った。市民の自由は永遠に失われ、誰も自由を取り戻そうとせず、そのようなことは不可能に見えた。人々は意気消沈し、近隣の部族は自由を失ったローマを見下した。市民が奴隷である国家は弱い、と周囲の部族は考えた。サビーニの大部隊がローマの郊外に侵入し,広範囲を略奪し、家畜の牛と農民をエレトゥムに連れ去った。分散していたサビーニ兵はエレトゥムに集結し、陣地を築いた。(エレトゥム=Eretumはローマの北30kmにあり、テベレ川東岸のサビーニの町)
現在のローマは軍隊を編成できないだろう、とサビーニ人は期待したのである。事件を知らせる使者と同時に避難する農民がローマに流れ込み、市内の人々は驚いた。元老院と平民の両方から嫌われていた10人委員は人々の協力を得られそうにないのに、必要な対策を協議していたが、運命は新たな困難を引き起こした。アエクイ兵が分散して進み、アルギドゥス山に集まった。ここを拠点として、彼らはトゥスクルムの領土を略奪した。トゥスクルムの使者がローマに来て、援軍の派遣を懇願した。サビーニの襲来で狼狽していた10人委員は、新たな敵への対応を迫られ、元老院に相談することにした。元老院が招集された。10人委員は平民の復讐を恐れていた。農地が掠奪された原因は10人委員にあり、トゥスクルムを救援できなければ、これも彼らの責任だった。元老院の協力がなければ、10人委員が辞職に追い込まれるのは確実だった。元老院の支持を背景に、最も大胆な連中を厳格に処罰し、平民全体の挑戦を抑え込まない限り、10人委員は破滅するだろう。
中央広場で市民が叫んだ。「元老院の貴族たちは10人委員と話すべきだ」。元老院は長い間停止していたので、元老院を復活せよ、という呼びかけは人々に感銘を与えた。
「このような意見が出るのは、敵がローマに危機を与えているからだ。我々を脅かす敵は苦い薬のようなものだ。彼らのおかげで、自由な体制が復活しそうだ」と人々は考えた。
人々は広場を見回したが、元老はひとりもいなかった。元老院の建物を見ると、10人委員しかいなかった。現在10人委員が使用している元老院の建物を、人々は嫌っていた。それはともかく、元老たちが集っていないのは、市民が呼び掛けたからといって、元老は集まらないのだ、と平民は考えた。「元老たちを味方にするには、自由な体制を取り戻すことに熱心な人々を我々の指導者にしなければならない。もし元老院が招集に応じない場合、我々は兵役を拒否しよう」。
平民の意見は以上のように決まった。元老は中央広場に一人もいなし、市内にもいなかった。元老たちは現在の状況にうんざりして、郊外の別邸に隠居し、自分の土地を世話していた。彼らは国家統治に対する関心を失っていた。10人の暴君に会わず、交渉を持たなければ安全だ、と彼らは考えていた。招集されても、元老たちが応じなかったので、欠席に対する罰金を要求するため、使者が派遣された。使者は命令を伝えるだけでなく、元老たちは特別な目的があって欠席しているのではないか、探った。元老たちは田舎にいるという証言を、使者たちは持ち返った。元老たちが市内にいて、10人委員の権威を無視しているわけではなく、彼らは田舎にいるだけだと知って、10人委員は安心した。10人委員が再び元老全員を招集すると、翌日期待したより多くの元老が集まった。これを見て、平民は理解した。「自分たちの自由が失われたのは、元老院が裏切ったからだ」。
10人委員の任期は終了し、もはや彼らは何の権限もない、ただの市民にすぎないのに、元老たちは彼らの召集権を認めたのである。
【39章】
しかし元老たちが元老院にやって来たのは、必ずしも10人委員の権威に服従したからではないことが、彼らのの発言から理解できる。アッピウス・クラウディウスが現在の危機について説明し、論がが始まろうとした時、ヴァレリウス・ポティトゥスが国内政治の問題について話し始めた。すると10人委員が威嚇的な態度で「話すのやめよ」と命令した。これに対し、ヴァレリウスは「私は市民に訴える」と宣言した。この事件は記録に残っている。
マルクス・ホラティウス・バルバトゥスも決然とした態度を示し、「10人委員は10人のタルクイヌス王だ」と言い放った。そして彼は10人委員に向かって言った。「ヴァレリウス家とホラティウス家の人々の指導によって国王が追放されたことを思い出してほしい。人々は国王という称号を嫌ったわけではない。なぜなら、ローマの建国したロムルスは国王だったし、彼の後継者たちも国王だった。国王の宗教的な表現であるユピテルは現在も存在している。人々が憎むのは国王の専制政治と暴力である。任期が終了した10人委員による専制政治は耐え難いものになっている。彼らが元老院で自由な発言を禁止すれば、元老たちは議場の外でも発言を慎むだろうと考えているかもしれないが、それは誤りだ。10人委員は任期が終了し、現在は普通の市民に過ぎない。10人の市民が元老院を招集できるなら、私も一人の市民として民会を招集できるはずだ。抑圧的な体制を維持しようとする野心より、不正に対して怒る市民が自由を求める感情のほうがはるかに強いのである。10人の元委員はサビーニとの戦争を問題にし、ローマの人々が既に国内の恐るべき敵と戦っていることを理解していない。人々の敵とは、あなたがた、元10人委員だ。あなたたちは成文法を制定したが、その後法津を無視し、正義を蹂躙した。そして選挙をせず、一年任期の高官の職を廃止し、支配者の交代をやめた。すべての市民に平等に自由を保障する制度を、あなたたちは投げ捨てたのだ。任期が終了したのに、あなたたちはファスケス(木の枝の束と斧)を手放さず、専制的な権力を保持しようとしている」。
マルクス・ホラティウスは次に元老全員に向かって話した。
「国王が追放されてから、貴族が高官になった。その後、平民が反乱した結果、平民を守る高官が誕生した。元10人委員は貴族と平民のどちらの立場を代表していたのだろう? 彼らは平民のために何もしなかった。それでは、彼らは貴族の味方だったのか?これも違う。彼らは一年近く元老院を招集しなかった。いまになってやっと元老院の審議を始めたものの、国内政治について話すことを禁じるありさまだ。市民に恐怖を与えることを統治の原則にしてはならない。人々の現在の境遇が最悪であるのに、元10人委員は不確かな将来について恐れている」。
【40章】
ホラティウス・バルバトゥスが情熱的な演説をしている間、期限切れの10人委員は平民がどこまでやるつもりか、計算していた。しかし平民が必死の抵抗をするか、それとも妥協するか、判断ができなかった。この時10人委員の中心人物アッピウスの叔父である C・クラウディウスが演説をした。彼は攻撃的な話し方をせず、懇願するように話した。血縁者として、彼はアッピウスに話しかけた。
「君が生まれた時代のローマ、秩序あるローマを思い出してくれ。仲間との邪悪な約束は忘れてほしい。私がこのように言うのは、国家を心配するからではなく、君のためだ。なぜなら、君と仲間がどれほど努力しようと、国家は自らの意思を貫徹するからだ。国家は君たちの同意を必要としていない。激烈な対立は人間を盲目にし、恐ろしい闘争に発展するだろう。それがどの様な結果になるか、私は心配している」。
10人委員は彼らが提案した議題以外について話すのを禁止していたが、クラウディスへの尊敬の念から、彼の発言を中断しなかった。それでクラウディスは最後に言った。「元老院はいかなる命令も議決してはならなない」。
彼の最後の発言は、10人の市民が招集した元老院は無効である、という意味だった。多くの執政官経験者も同意見だった。クラウディスはさらにもう一つ、本質的な問題について提案したが、これは大きな問題を含んでいた。「元老院は貴族たちに特別な会議を開くよう命令し、国王不在時の一時的な全権者を任命すべきだ」。
もし元老院が何らかの決議をするなら、任期が切れた10人委員が召集した元老院が成立したことになり、元10人委員を合法的な最高官と認めたことになる。クラウディウスは最初に「10人の市民が招集した元老院は無効である」と述べている。
クラウディスの二番目の提言は最初の提言と矛盾していたが、10人委員の権威を否定したクラウディウスの主張は多くの執政官経験者に支持され、元10人委員の運命が尽きたかに見えた。しかしこの時、10人委員の一人である M・コルネリウスの兄弟、 L・コルネリウス・マルギネンシスが反対意見を述べた。彼は執政官経験者であり、彼の兄弟とその仲間を弁護する役割を与えられたのである。
「戦争が始まろうとしている。それなのに、高官の地位を望む者とその仲間が10人委員を攻撃している。元老までがそれに加わっている。どうしてこんなことになったのだ。何か月もの間ローマは平和だった。政務の頂点にいる人々の合法性を問題にする者などいなかった。敵兵が首都の門に迫っている時に、急に騒ぎが起こった。国内の混乱を望んでいる人々がいるのだ。「社会が大混乱の中にあれば、我々の真の目的に気づく者はいないだろう」と計算しているのだ。国家に危機が迫っている時、誤った考えをまき散らすのは犯罪だ。10人委員は現在深刻な問題に取り組んでいるのだ。ヴァレレリウスとホラティウスの意見について、私の考えを述べたい。10人委員の任期は5月15日に終了しているということだが、この問題は戦争が終結し、社会が落ち着いてから、元老院で審議し、結論を出せばよい。アッピウス・クラウディウスは新しい10人委員の選挙を準備すべきだ。10人委員の任期を一年とするか、または成文法が市民によって同意されるまでとするか、決めればよい。しかしこれは急務ではなく、まず戦争に勝利しなければならない。外国で流れている戦争の噂は嘘であると主張する人々がいる。彼らはトゥスクルムから来た使者の話さえ信じない。偵察隊を派遣して事実を確かめれば済むことだ。噂と使者の話が真実だとわかったら、早急に徴兵を実行しなければならない。10人の委員は最善と思われる場所に軍を進めなければならない。これ以上に重要なことはない」。
【41章】
若い元老たちが、 L・コルネリウスを支持し、元老院は分裂した。ヴァレリウスとホラティウスは興奮し、大声で「政治状況について話したい」と言った。「もし元人民委員が我々の発言を許可しないないなら、我々は市民に訴える。任期が終了した人民委員は私人に過ぎず、元老院においても、民会においても、発言を禁止する権限はない。我々はまやかしのファスケス(木の枝の束と斧)に屈する
つもりはない」。
アッピウスは自分も大胆になり、暴力に訴えなければ権力を失う、と思った。「我々がやろうとしていること以外の問題について話すのをやめたほうがいいだろう」。
ヴァレリウスが「何の権限のない市民が私を黙らせることはできない」と言い続けると、アッピウスは護衛兵に「ヴァレリウスを逮捕しろ」と命令した。すると、ヴァレリウスは元老院の入り口まで逃げ、「市民保護の法律に訴える」と叫んだ。
一方元老院の議場では 、L・コルネリウスが騒動に終止符を打つ行動をした。彼はアッピウスの周囲に武器を投げつけ、彼の権威に挑戦した。L・コルネリウスはヴァレリウスの発言を許可するよう求め、了承された。ヴァレリウスは発言を許されただけだったので、任期が切れた10人委員は目的を達成した。執政官経験者や年上の元老たちは執政官の復活を願っていたが、平民が望んでいたのは護民官の復活であり、執政官の復活ではなかった。執政官経験者や年上の元老たちは護民官を嫌っていた。平民に嫌われている10人委員が長く居座れば、平民の暴動が起こり、執政官の復活が危うくなるので、執政官経験者や年上の元老たちは10人委員に戦争終了後すみやかに辞任して欲しかった。平民が戦争に専念し、その後執政官が穏健な政治をすれば、平民は護民官を必要としないだろう、と彼らは考えた。
元老全員の賛成により、徴兵が宣言された。10人委員は反対しなかった。兵役の年齢の市民は自分の名前が呼ばれると、返事をした。部隊が集まると、10人委員は誰がどの部隊を指揮するか、話し合って決めた。10人委員の中で、最も有名だったのは、 Q・ファビウスとアッピウス・クラウディウスだった。ローマに危機が迫っていたので、他国への救援は後回しになった。気性の荒いアッピウスは国内の反乱の鎮圧に適していた。ファビウスは国家に善をもたらすより、悪事を好む人間だった。彼は以前、国内でも戦場においても傑出した働きをしたが、高官になってから性格が変わり、同僚の悪影響を受け、本来の自分を捨て、アッピウスを理想とするようになった。彼はサビーニとの戦争を引き受け、マンリウス・ラブレイウスと Q・ポエティリウスが彼を補佐することになった。 M・コルネリウスがアルギドゥス山に派遣された。 L・ミヌキウス、 T・アントニウス、カエソ・ドゥイッリウス、M・セルギウスも一緒にアルギドゥス山に 行った。
ローマの防衛についてはアッピウス・クラウディウスが担当せよ、と命令された。Sp・オッピウスが彼を補佐することになり、他の10人委員と調整する権限が与えられた。
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