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紀元前4世紀のギリシャ②

2025-02-18 14:21:21 | 世界史

  【第3回神聖聖戦争】

第3回神聖聖戦争はフォキスがデルフィの土地(南側のキッラ平野)で耕作したことが原因で始まった。すでに述べたが、デルフィは地理的にフォキスの領土内にあるが、フォキスはこの地方に対して所有権がない。デルフィを聖地と考えている諸国が共同で聖地を所有している。フォキスがキッラ平野で耕作したことは聖地の侵害であり、デルフィを保護する国々はフォキスに耕作をやめ、罰金を払へと命令した。罰金の額はフォキスの支払い能力を超えたが、罰金を払わなければ、フォキスは宗教的な犯罪者としてギリシャの国々から敵とみなされ、攻撃されるだろう。しかし宗教的な建て前とは別に、テーベはフォキスを屈服させたかった。フォキスはテーベの覇権を認めず、紀元前362年のマンティネイア戦争の際、テーベに援軍を送らなかった。テーベはフォキスにテーベ連合への参加を求めたが、フォキスは断った。

    (マンティネイア戦; 紀元前362年、アテネ、スパルタに代わる覇権国となったテーベはペロポネソス半島中央部のアルカディア地方を支配下に置いたが、マンティネイアは他のアルカディア諸都市から距離を置き、独自の道を歩んでおり、テーベの覇権を認めなかった。スパルタとアテネがマンティネイアを支援し、またペロポネソス半島西部のエリスもマンティネイアを支援した。エリスはアルカディア連盟との間で領土問題を抱えていた。マンティネイア同盟に対するテーベの同盟国はテッサリア、エウボイア、アルゴス、ロクリスなどであった。両陣営の戦闘は勝敗がつかなかったが、テーベの将軍エパメノンダスが、スパルタ軍の集中攻撃に会い、戦死した。テーベ軍の強さはエパメノンダス一人にかかっておたので、スパルタ軍はエパメノンダス一人に攻撃を集中させた。エパメノンダスは以前の戦いでスパルタ軍を破り、テーベを強国にしたのだった。エパメノンダスを失ったテーベの覇権は陰り始める。エパメノンダスを倒すことによって、スパルタは往年の軍事力の片鱗を見せた。この戦いを通じて、スパルタ軍は迅速かつ的確に行動した。)

、マンティネイア戦の時、フォキスがテーベに協力しなかったことを、テーベは恨んでいた。フォキスの聖地侵入はテーベにとってフォキスを罰する良い機会だった。アテネは社会闘争(同盟市戦争)の最中で、国外の問題に口を出す余裕がなかった。フォキスのかつての同盟者フェラエ

のアレクサンドロスは死んでいた。(フェラエはテッサリア南東部の都市で、パガサイ湾北西部に近い。)

デルフィを守る国々は隣保同盟を結成しており、同盟は重要事項を投票によって決定した。参加国はそれぞれ2票投じた。紀元前360年まで、テッサリアが隣保同盟を牛耳っていたが、テッサリアが内戦に突入して機能不全に陥り、代わってテーべが同盟の指導国となった。投票の際、テーベは容易に多数派を形成できた。紀元前357年秋の会議で、隣保同盟はフォキスとスパルタに罰金を課した。フォキスはつい最近の聖地侵犯が裁かれたのであるが、スパルタは過去にテーベを25年間占領したことで裁かれた。ペロポネソスでアテネに勝利したスパルタは高圧的な姿勢で諸国に臨み、テーベに軍隊を置いた。

フォキスとスパルタに対する罰金の額が法外に高かったのは、テーベは罰金の支払いで問題を解決するつもりがなく、戦争の口実を欲しがっていたのである。テーベのさもしい復讐のために聖戦が利用され、破壊的な結果を招くと予想されたので、フォキスに同情する国もあった。

フォキスは臨時会議を開き、対応を検討した。パルナッソス山のふもとの町レドンの市民フィロメルスはデルフィの占領を提案した。また彼は「隣保同盟の議長はフォキスである。従って我々は隣保同盟の決議を無効にできる」と言った。隣保同盟の議長はフォキスである、というのはフィロメルスの思い付きではなく、フォキスは昔からそのように主張していた。フォキスの議会はフィロメルスの提案に賛成し、彼を司令官に任命し、軍事に関する全権を与えた。フィロメルスはスパルタへ行き、アルキダモス3世と相談した。フォキスの計画が成功すれば、スパルタの罰金を無効にできるので、アルキダモスはフィロメルスに支援を約束し、兵士を集める費用として15タラント提供した。

フィロメルスはこのお金で傭兵軍を編成し、軽装備の歩兵として国内の若者1、000人を集めた。紀元前356年の7月ごろ、罰金の支払い期限が迫っていたが、フィロメルスはデルフィに向かった。デルフィの町とアポロン神殿の占領は容易だった。フォキスに対するテーベの陰謀に、デルフィの貴族も関わっていたので、フィロメルスはトラキダイ家の人々を捕らえ、殺害した。彼はトラキダイ家の財産を奪い、戦争資金とした。フィロメルスは当初デルフィの市民を奴隷にするつもりだったが、トラキダイ家の人々を殺した後、考えが変わったようで、「他の市民は安全である」と布告した。

デルフィが占領されたという知らせが伝わると、フォキスの西隣りの小国ロクリスが軍隊を派遣した。フォキス軍とロクリス軍はアポロン神殿の境内のはずれで衝突した。ロクリス軍は多くの兵を失い、敗北した。捕虜は境内の高い崖から突き落とされた。アポロン神殿を汚した者はこの崖から突き落とされるのが、慣例だった。捕虜の残酷な殺害によって、フィロメルスは聖地に対するフォキスの特別な権限を主張したのだった。捕虜の虐殺により、フォキス軍の残虐性が印象づけられた。

ロクリスに勝利すると、フィロメルスは聖地に対するフォキスの地位を高めるため、フォキスの聖地侵害にに対する判決が書かれた石板を破壊した。また彼はデルフィを統治していた政府を解体し、代わりに、フォキスに友好的な市民で構成さる政府を樹立した。新政府のメンバーはアテネに亡命していた人たちであり、彼らは祖国に帰ったばかりだった。デルフィは3方面を自然の要害で守られていたが、西側は平地に面していたので、フィロメルスは大きな石灰岩で城壁を築いた。デルフィの新体制が整うと、彼は神殿の巫女たちに予言を求めた。巫女が語ったった内容はフィロメルスのこれまでの行動を容認するものであり、彼は慣習に従い、予言の内容を境内に掲示した。次にフィロメルスはギリシャの諸都市に使節を派遣し、聖地に対するフォキスの権限を主張し、神殿の財宝には手を付けないと約束した。フィロメルスは諸都市が彼の行動を容認するとは思っていなかったが、彼らがテーベを支持しないことを期待していた。フォキスとスパルタに対する巨額の罰金は評判が悪く、撤回されていた。スパルタは罰金が消えたことを喜び、聖地におけるフィロメルスの行動(政府の解体と要人殺害)を容認した。アテネはテーべを敵視していたので、フォキスを支援すると表明した。

一方で、聖地に侵入したフォキスに対し単独で行動を起こしたロクリスが、隣保同盟に訴えた。「隣保同盟が行動を起こし、聖地を奪い返してほしい」。

テーベはロクリスの訴えを聞き入れ、同盟諸国に聖戦を呼びかけた。スパルタとアテネを除き、多くの同盟国が呼びかけに応じた。隣保同盟に参加していない国も、宗教的な観点から、聖戦を支持すると表明した。隣保同盟はフォキスに対する聖戦を宣言した。年の暮れがっ迫っていたので、戦争開始は翌年とされた。ただちに戦争を始めなかったのは、フォキスに反省する時間を与えるためでもあった。

フィロメルスは考え直すつもりはなく、軍隊の規模を大きくする必要を感じた。彼は市民をさらに徴兵すのではなく、傭兵を増やすことにした。これを実現する唯一の方法は、アポロン神殿に蓄積された奉納金や財宝を奪うことだった。戦争の期間を通じ、フォキスは1万タラント使った。開戦までにフィロメルスは10、000人の傭兵を集めることができた。傭兵たちは聖地を守る同盟の敵に雇われるのは気が進まず、フィロメルスは割高の契約金を払わなければならなかった。

 


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