樹間暮のきまぐれライフ

ゆったりと・・・残りの20年は過ごせそうにないけれど、きまぐれな日々の生活を少しだけでも記憶の底に残しておくきっかけに。

プラチナ・ソワレ 第2夜

2012-11-19 21:54:27 | 日記
上野文化会館小ホール
11月16日(金)の夜

プラチナ・ソワレの第2夜 は
チェンバロの重鎮、小林道夫氏
「バッハ親子とその時代」

父親 セバスティアンバッハ(J.S.バッハ)
バッハ25歳の時生まれた長男 フリーデマン(W.F.バッハ)
長男より4歳年下の次男 フィリップ・エマヌエル(C.P.E.バッハ)
父親が亡くなった時18歳だった クリストフ・フリードリッヒ(J.C.F.バッハ)
そして末っ子 クリスティアン(J.C.バッハ)

それぞれが作曲した曲をチェンバロで
途中、工藤重典氏のフルートを交えてのバロック音楽を
淡々と奏でていく
正に職人芸

初めて聴いた工藤重典氏のフルートの音色
絹糸のように艶やかで滑らか
あっさりと爪弾かれるチェンバロの音と絡まって
とても美しく快い

3男のクリストフ・フリードリッヒが作曲した
きらきら星の主題による変奏曲は
モーツアルトの変奏曲と似て非なるもので
モーツアルトのような壮大な中にまとまりのある変奏曲ではなく
ちょこちょこと遊びながらあちこちを飛び跳ね
長調の曲があると間に短調の曲がひょこひょこ顔を出してくる。
きらびやかと言えばそう言えなくもない感じがする。
これがもしかすると宮廷音楽への道なのかもしれない。

舞台に鎮座ましましているチェンバロは
萌黄色で金の縁取り
ふたを開ければ中にはバラやダリアのような花々が描かれ
ふたの裏に写ってほのかにその絵が見える。
宮廷音楽はこんなところにも愉しみをこらしていたのであろう。

繊細な音は遥か古きよーろっぱの空気へと流れ
暫し「現在(いま)」を忘れる。

小さなこのホール、確かに奇跡的な音響を持っているかもしれない。

アンコール曲
美しいから、バッハ作曲とされている?と否定的な解説 
シチリアーノ

秋の夜長、物思いに深く沈むにぴったりの曲だった。


日展

2012-11-11 23:12:34 | 日記

美大の先生から日展のチケットを頂いたので
芸術の秋~ということで観賞しに出かけてみました。


日展=上野の美術館
とずっと思っていて、行く日当日チケットの裏をみたら・・・
なんと六本木!
@@? えっ?

国立新美術館は六本木だったのです。
東京ミッドダウンから歩いて5分ほど、ほぼ30年ぶりの六本木は
別世界でした。


第44回 
日本画/洋画/彫刻/工芸美術/書
部門それぞれものすごい数の出品数(入選数)
応募は約15000点だそうで、審査するほうも大変なご苦労だと思います。

明治40年創立以来通算105年の歴史



会場は1階から3階まであり
1階は日本画、洋画
2階は洋画、彫刻、工芸美術(漆や染め、木彫等)
3階は書


3階からの眺め


とても広くて広くて2時間では見切れず、
書に到達する頃にはへとへと状態でした。

              ラウンジ

洋画の部屋では油絵の油の匂いにボ~となり
日本画では100号の日本画ばかりで圧倒され・・・
でもこれでもかこれでもか、と展示されている作品をみていると
感動よりも、自分の好みというか
美術は作家の好みと自分との相性であるのではないか?という思いにかられます。

テニスチームの会長さんの作品ともう一人のメンバーの作品(どちらも彫刻)も
鑑賞しましたが、大きさは周りから比べて小さくとも
品があり存在感がありました。
会長さんの今回の作品はモデルがお孫さんだそうで、
やはり思い入れや優しいまなざしの結果なんだろうと感じた次第。



そして作品を作る、という作業へ注ぐ膨大なエネルギーに感心し、
注がれた作品から流れ出るエネルギーがのしかかり
肩が重くなったように感じた1日となってしまいました。






金沢のテニスチーム

2012-11-11 22:43:05 | 日記


金沢在住時代、ずっとテニスチームに入っていた。
基本入会はご夫婦で。美大の名誉教授(彫刻)が会長さん、
御歳82歳でも、テニスはバリバリの現役、パワー・テクニークと
素晴らしいテニスをなさる。

毎月だいたい3回の練習があるが、金沢在住の頃なかなか参加できなかった。
でも、心優しきメンバーのお陰でずっとテニスをする場を与えていただいていた。
テニス以外でも女性だけ集まって縫い物茶話会があったり、小旅行のドライブ、
ホームパーティでクリスマス会(忘年会)、鮎や蟹の集いがあったり☆☆
とにかく仲がいい、気持ちのいいメンバーの下、テニスを楽しんでいた。

転勤で金沢にいらしたご夫婦も多く、その後また転勤でどこかへ移動されても
夏の合宿や春の合宿にてまた顔を合わせる。

そんな転勤メンバーに東京農工大の先生方が2人いらっしゃった。
毎年11月3日、日展の審査をなさっている会長さんが
必ず東京へいらっしゃる日、
ということで毎年恒例東京大会(@東京農工大)が開催される。

今年は私も初参加。
現在東京在住の元金沢にいらしたメンバーと
現在金沢在住のお子様方夫婦(東京在住)、
金沢から直々駆けつけてくださったメンバーと
美味しいもの持ち寄りで1日テニス談義とテニス漬け

テニスコート近くにお住まいのメンバーが熱々の豚汁を作ってくださって
ほんとに心も身も温かな東京大会

親(70歳台)と子(40歳台)のペア同士の対戦があったり
20台30台の中に50台70台が紛れ込んだり
それぞれ年以上の頑張りで、翌日の筋肉痛を気にしながらも
笑い転げテニスを楽しむ

生涯スポーツのあるべき姿!ではなかろうか。
会長さんを見習わなくては。

遺作展

2012-11-05 22:22:27 | 日記

池田敏博を偲ぶ展


広い会場に60号~100号ほどの大きな作品が展示されている
暫くそこに佇んでいると、目がチカチカしてきてしまう
頭もくらくらしてくる。

目の錯覚を利用されているからだろうか

それにしても緻密に描かれている
キャンバスにアクリル絵の具での手書き作品



エネルギーの塊が放出されているように感じる


幼稚園からの幼馴染が高校を卒業後
某音楽大学のデュプロマを卒業し
フランスへ渡った。彼女はハープ演奏者
そして池田氏とはフランスで知己となる。

池田氏は学芸大を卒業し暫く体育の先生をしていたが
趣味で絵をやりたくて絵画教室へ通うはずが手違いで
受験科に入りたまたま受けた芸大に受かってしまった。

そして芸大卒業後フランス政府給費留学生としてパリへ
そこで運命的にも某画家やエージェントと出会い
パリにて作品を描き続けるが2010年癌を宣告され帰国
2011年享年62歳で死去

回顧展は母校で今年の夏に行われ、
今回池田氏の作品をいくつか所蔵していた幼馴染は
池田氏の同級生・友人方々と偲ぶ会をひらいたという

遺作展に寄せて by 野見山 暁治/東京芸大名誉教授 の言葉を借りる
「・・・ブティックのショーウインドウで、商品の傍ら、あるいは
背景に置かれたとき、つまり物と一体になったとき画面は輝き出す。
これは池田君の目指すものではなかろう。自分の作品だけのウインドウを
作りたかったはずだ。画家はいつでもその過程の途次で未来を断たれる。」

そう、彼の作品はこれ自体だけを見てると疲れてしまう。
だけど、ショウウインドウの中やショーのバックとしてみる時
流動的な絵はすべて動き始め
後ろから絶え間なく商品を前へ押し出すエネルギーを流し始める。

wonderland・・・




噺家 正蔵

2012-11-05 21:24:30 | 日記


タレント性の高い林家一家の三平を父とする九代目林家正蔵
祖父七代目の正蔵の名を2005年に襲名
それからもタレントのようにテレビに出ていたが
このごろ画面からとんと遠ざかっているように感じていた。

どうも落語家として古典落語に真摯に向き合い
代々の正蔵が得意とした噺に気合を入れていたようである。

ポスターが物語る
重々しいが端正なポスター

本気度が伝わってくる

11月23日 隼町 国立演芸場にて
検査結果が良好だった母の祝いを兼ねて
母を誘って出かけてきます。