京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

祇園祭山鉾巡行のあと

2014-07-18 16:48:32 | 2014祇園祭

本日2度目の投稿です。

祇園祭の山鉾巡行の日、私は巡行前の景色を撮影し、10時過ぎ一旦家に帰りました。
暑さで火照った身体をエアコンで冷やし、身体を休めました。

昼食をとり、夕方までまだ時間があります。
晩御飯は○○にしよう、食材があるので買い物はいらないね、などと考えているうちに、
もう一度、山鉾巡行の終わりを撮影したくなりました。

それで午後1時過ぎにもう一度でかけました。
自宅が山鉾まで比較的近いというのは、良いのか悪いのかわかりません。

四条烏丸東を出発した、山鉾巡行は烏丸御池付近で終了です。
それぞれの山鉾は、それぞれの会所に向かいます。
そして新町通りを帰る山鉾が多くなります。

会所に着いた山鉾は、休む間もなく、解体に入ります。
まるで、祭の余韻を打ち消すかのようです。
実は山鉾は、厄を集める神事なので、集めた厄を留めないためなのです。


会所に帰ってきた山鉾が並ぶ四条通り





郭巨山では、松の木の山を取り外しています。





新町通りを南下する月鉾






向きを変えるために、辻まわしが行われてます。






月鉾の会所に到着した鉾に、拍手と三本締めが行われ、片付けに入りました。






新町通りを南下する岩戸山






同じく南下する船鉾






鶏鉾も片付けに入っています。






菊水鉾も同様です。





函谷鉾でも片付けです。
あっという間に、懸装品がはずされました。






例年はこれで、祇園祭のハイライトが終わり、京都は本格的な夏に突入となります。
でも、今年は古式に戻り、後祭がこれから始まります。
後祭は、前祭の23基より、山鉾数は少ない10基です。
前祭の巡行が終わるとすぐに鉾建てに入り、21日から23日まで宵山、24日に巡行となります。
蛤御門の変で消失した、大船鉾が再興するという記念すべき年です。

朝8時から交通規制されていた四条通りは、午後2時には解除されました。
いつもの景色にあっという間にもどりました。






祇園祭の山鉾巡行

2014-07-18 05:32:58 | 2014祇園祭

前日の宵山に続いて、祇園祭のハイライト、山鉾巡行に行ってきました。

今年は、巡行出発前の景色を撮影しようと、8時過ぎに四条烏丸に向かいました。
今年の巡行順番は、くじ取らずの長刀鉾を先頭に、占出山、芦刈山、孟宗山、函谷鉾、山伏山、綾傘山、などの順番で23の山鉾が、9時に巡行出発します。


それでは、私の撮影した巡行前の景色を御覧ください。

長刀鉾です。





占出山





長刀鉾と芦刈山です。





四条烏丸から、四条室町に移動しました。
函谷鉾です。






伯牙山






4鉾揃い踏みです。





太子山、御神体がまだ白い布で被われています。
聖徳太子の子どもの頃の姿が御神体です。





綾傘鉾です。





菊水鉾が室町四条で辻まわしを行っています。
5回に分けて角度をかえます。山鉾の車輪は前後しか動かないのです。





油天神山です。






木賊山です。





小さな子どもも裃の正装、とても可愛いです。





四条傘鉾です。





月鉾です。





放下鉾も四条新町で辻まわしです。






蟷螂山、御神体のカマキリの羽なども動きます。





裃を着けた神様の使いの後ろには、榊とカマキリの折り紙があります。
面白いというより、やはり祇園祭は神事だなあと思います。












郭巨山です。









祇園祭は、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されているせいでしょうか、外国人の見物が非常に多い印象でした。


私が撮影している間、地元テレビ局は生で巡行を放送しています。
私の位置と違う角度の画像を3枚、お届けします。

四条烏丸東より出発前の長刀鉾などです。




くじ改めの儀式です。
くじ取り式で決められた順番通りになっているか、改めるわけです。
ちなみに、改めるのは、京都市長です。





長刀鉾のお稚児さんによる注連縄切りです。
これを合図に巡行が始まります。




















今年もやっぱり祇園祭宵山に行ってきました。

2014-07-17 05:31:44 | 2014祇園祭

昨晩の16日は、祇園祭のハイライトの一つ宵山でした。
私はいつも通り夕食を作り、帰宅した妻と食事をしながら、今日は宵山だね、などと会話をしていました。
半分腰が浮きかけている私を察したのでしょう。
妻が、行ってきたらと、声をかけてくれました。
私は、じゃあちょっと散歩がてらでかけてくる、とカメラだけ持って、7時前家をでました。

すでに四条通りは、車両の通行規制が行われ、歩行者天国になっています。
着いたのは7時頃ですが、ものすごい人出です。

コンチキチンの祇園囃子に誘われるように、集まってきます。

四条通りから山鉾を撮影しました。




四条傘鉾の前では 、鉦(かね)や太鼓、ササラを持った8人の子どもが囃子に合わせて舞っています。
この傘鉾は、古く応仁の乱以前に起源がありますが、明治4年以降途絶えていました。
それが、昭和60年に再現されたものです。
なかなか、味わいのある踊りです。





四条傘鉾です。






月鉾と函谷鉾です。











月鉾の上ではコンチキチンのお囃子が行われています。






蟷螂山です。





四条通りは、新聞各社が脚立に乗り、写真撮影です。
近くでは、テレビ局が撮影しています。





読売新聞の画像です。
やはりプロですね。浴衣姿の人たちを撮影しています。






あまりの人の多さに、これ以上は無理と思い、踵を返します。
家に帰り着いたのは、8時過ぎです。
1時間余りの散歩になりました。

今年もなんとか、宵山にでかけることができ満足です。

ちなみに、今年の宵山は、午後11時現在の人出で、昨年より7万人多い34万人でした。







祇園祭 15日宵々山の景色

2014-07-16 17:09:32 | 2014祇園祭

本日2回目の投稿です。

私は宵山の初日(14日)に山鉾見物にでかけたのですが、 15日の宵々山は 家におりました。
夕方のニュースで、 宵々山に集まる人たちをテレビが映しだしていました。

6時から歩行者天国になると、コンチキチンの祇園囃子に誘われるように四条通りは大勢の人です。
四条通りは、歩行者も片側通行の規制がかかっています。
勿論、山鉾が建ち並ぶ室町通りや新町通りも一方通行規制されています。

画像はテレビと地元新聞のものです。
読者の皆様に祇園祭宵々山の雰囲気をお届けします。

夜6時過ぎの四条通りです。









15日の人出は28万人で、昨年の宵々山より5万人 増えたそうです。





私たちが前日訪れたときよりも、はるかに多い人出です。
山鉾の御神体や前掛けなどの豪華な懸装品 は、それぞれの会所に展示されています。
また、古い町屋などで、屏風の御披露目もあります。
それを見学する人が長い行列をつくります。
おそらく、宵々山、宵山はじっくり見物できる状況にはないでしょう。
狙い目は、宵山の朝8時くらいから10時くらいです。
今年は用事があって行けませんでしたが、私は毎年、人出の少ない朝に出かけていました。

今夜は宵山、明日は山鉾巡行です。
今晩の人出の多さにたじろぎながらも、夜の散歩がてらでかけようか、思案中です。

昨年の宵山の様子、27万人の人出です。







『バルテュス展』京都市美術館

2014-07-16 05:38:48 | 美術・博物館

東京都美術館の展示が終わり、やっと京都にやってきた『バルテュス 』展。
首を長くして待っていました。展示会場は京都市美術館です。

唯一撮影が許されているコーナー記念撮影用です。
作品は、『地中海の海』1949
いきつけのレストランのオーナーに頼まれて描いた作品です。





今回の展示会は、 バルテュスの展示会としては国内最大規模で、没後初の大回顧展です。
世界中から集められた、40点以上の油彩画に加え、素描や愛用品など100点以上が展示されていました。

京都での展示会に先立つ日曜美術館で、 バルテュスが取り上げられ、 バルテュスの作品画像は私のブロクでも紹介しました。

『バルテュス 5つのアトリエ』続 『バルテュス 5つのアトリエ』です。

ピカソは バルテュスを「20世紀最後の巨匠」と評価したようですが、バルテュスが「この上なく完璧な美の象徴」として描いた、少女の作品、 《美しい日々》、《夢見るテ レーズ》などは実に衝撃的なものでした。

『夢見るテレーズ』1938





『美しい日々』1944





人の美的感覚はさまざまです。
バルテュスが少女を完璧な美の象徴と見ていても不思議ではありません。
しかし、挑発するような少女の刺激的なポーズは、やはり誤解と偏見を生むことは容易に想像できます。
現に バルテュスはロリコンではないかという評価もありました。
そういう見方はバルテュスは一番嫌ったようですが、、、、、。


20世紀の絵画は、まるでカオスのようにありとあらゆる画風が氾濫した時代でもあります。そのなかで、 バルテュスの絵は、ルネッサンス以来の具象の伝統を踏まえた画家である点は間違いないようです。
ただ、捉えた対象が非常に独特な世界であった作品が多かったということでしょう。


日曜美術館で紹介されなかった作品を3枚載せます。
会場でいただいたパンフレットの画像です。(荒い画像ですが)

『おやつの時間』1940





『トランプ遊びをする人々』1966ー1973





『決して来ない時』1949





現在、抽象絵画がよくもてはやされていますが、 私はバルテュスのような、具象の正統派の絵画も多くの人に見てもらいたいと思います。






祇園祭宵山初日に行ってきました。

2014-07-15 05:48:37 | 2014祇園祭

2014祇園祭が始まり、私は連日山鉾町を訪れていますが、昨夜は宵山初日に行ってきました。
今年は前祭と後祭に分かれて行われます。
四条通りより北の山鉾は、後祭が多くなります。

例年、宵山は大勢の人出で、一日ですべての山鉾をまわるのはほとんど無理です。
私は、四条通りの鉾の辻を中心に、四条通りから北をまわったり、違う年には四条通り南をまわるといった具合でした。

今回、前祭は23基の山鉾が建っています。

昨夜は、軽めの夕食をとり、宵山にでかけました。
四条通りは18時以降は、交通規制され、歩行者天国になると思っていましたが、規制はありませんでした。(家に帰り調べてみると、交通規制は15,16日でした。)

着いて驚いたのは、露店がなかったのです。
地元商店の方々が自分の店先で祭関連の商品を販売しているだけです。
勿論、ビールなども売っています。

私は露店なしに大賛成です。
毎年、狭い通りに露店が並び、ますます狭くなり混雑します。
以前から祇園祭には露店が似合わないと思っていました。
今年の宵山は、祭の風情が確実にアップしたと思います。

初日の人出ですが、昨年までの宵山より人出は少ないように思いましたが、やはり、新町通りや室町通りは大混雑でした。

私が四条通り鉾の辻に着いたのが、6時半前で、帰り支度したのが7時半、家に帰りついたのは8時前でした。
多くの方は、夜8時以降から参加するのでしょうが、還暦後世代は無理は禁物です。

それでは、まわった順番に宵山の景色をお届けします。
最初の頃はまだ夕暮れです。

鶏鉾





綾傘鉾





船鉾





船鉾の会所です。
ほとんどの山鉾の御神体や山や鉾を飾るものは、巡行までは会所で保存され、一般にも公開されます。





岩戸山





岩戸山の会所




木賊山





木賊山の会所





太子山





太子山の会所





油天神山





会所





芦刈山




会所





伯牙山




会所




月鉾




菊水鉾











山伏山





会所





占出山





会所





放下鉾














祇園祭宵山初日の朝

2014-07-14 17:19:25 | 2014祇園祭


今日は祇園祭の宵山初日です。
昨日で前祭の山鉾がすべて建ちました。
そして、夜は 宵山で、山鉾の提灯に明かりがともされ、露店もでます。
祇園祭は、山鉾巡行がメインイベントですが、私は宵山のほうが好きです。

夜は、老若男女が浴衣姿で山鉾の風情を楽しみますが、夜まで待てないので、今朝も行ってきました。

時間は朝の8時前です。
鉾町に出勤するサラリーマンを横目に、山鉾撮影です。
途中、小雨が降りましたが、お構い無しです。

まだ飾りつけができていない山鉾もあります。
前掛けや掛けなどの装飾品は、保存会中にありますが、まだどこも開いていませんでした。

郭巨山





放下鉾






霰天神山





占出山




山伏山





菊水鉾





鶏鉾






白楽天山






岩戸山





船鉾





綾傘鉾





芦刈山





油天神





太子山





木賊山






蟷螂山:カマキリが屋根にのります。





保昌山:山鉾の辻からポツンと離れたところにあります。





長刀鉾





函谷鉾





月鉾






最後山鉾まわりの途中、大行寺門前の花





これから、宵山に出かける予定です。
今日二度目の出陣です。
雨が降らなければ、、、、、。











建仁寺緑陰暁天講座に行ってきました。

2014-07-14 05:28:39 | 坐禅会

昨日は毎年恒例の建仁寺の緑陰暁天講座3日目でした。

朝4時前目覚め、いつもより早い朝食をとり、建仁寺に向かいます。
途中、四条通りの鉾の辻に寄り、早朝の月鉾、菊水鉾、函谷鉾、長刀鉾を撮影しました。
人気は少ないですが、それぞれの鉾前には警備員が警備しています。
山鉾の胴掛けや前掛けなどは貴重な文化財ですので、当然と言えば当然でしょう。

建仁寺に向かう途中の鴨川
河川敷も人出が少ないです。





花見小路です。
まだ提灯に灯りがついています。




建仁寺南門です。





庫裏に入ります。
戸が閉まっていましたので、開けて入ります。





建仁寺に着いたのは5時半前です。
実は早く着いたのには理由があります。

早朝の建仁寺の庭園を見るためです。
通常は拝観時間しか中に入れません。しかし、庭園の美しさは、早朝や夕暮れ、月明かりに照らされた白砂にあると思っています。
以前書いたことがありますが、夕闇が迫る庭園、満月の夜の庭園は実に美しいのです。

今の時期の5時半は遅すぎるのですが、仕方ありません。

方丈前庭です。














潮音庭です。
中庭なので、少し薄暗いです。
大書院に明かりがあります。





青苔もとても美しいです。





まだ人気もない会場です。





重文雲竜図襖、海北友松筆です。





お坊様による坐禅指導の後、15分程度の短い坐禅を休憩をはさみ2回行います。
坐禅終了後、小堀管長が入室し、一緒に般若心経、白隠坐禅和賛の読経を行います。
その後、小堀管長の提唱です。
今回のお話は、碧厳録第47則「雲門六不収」です。
雲門和尚は禅では有名な方で、『日々是好日』など、短い言葉で簡潔に仏法を語る方です。
本則は、「挙す。僧、雲門に問う、如何なるか是れ法身。門いわく、六不収」です。
僧侶が雲門和尚に問います。
法身(ほっしん)、仏とは何ですか。雲門和尚は 六不収と答えたという内容です。
六不収とは、頭で考えられるものではないという意味です。

小堀管長の提唱の様子




提唱が終わり、粥座(朝食)の接待があります。
粥座は僧侶が毎朝食すものです。薄い粥と梅干、大根の漬物、昆布の漬物です。
今回は接待ということで、「矢尾治」さんの茶粥でした。





粥をいただく前に、五観之偈を読経し、生飯を取ります。
お粥をいただき、白湯で容器を洗います。
最後に粥後之偈を読経して終わりです。
美味しゅうございました。


終了後、参加者はそれぞれ、庭を眺めたりしてくつろぎます。





私は、久しぶりに法堂に入りました。
天井画は小泉淳作筆の『双龍図』です。





最後に、建仁寺と言えば、これでしょう。
『風神雷神図』宗達です。








祇園祭鉾の曳き初めと4日目早朝の山鉾

2014-07-13 10:18:59 | 2014祇園祭

昨日午後私は行けませんでしたが、四条室町の鉾の辻周辺で、山鉾巡行前の五つの鉾の曳初めが行われました。
五つの鉾は、函谷鉾、長刀鉾、月鉾、菊水鉾、鶏鉾です。
この日は、一般の方が鉾を曳くことができる貴重な日です。
画像は、夕方のニュースで放送されたものです。

函谷鉾の曳初め





鶏鉾の曳初め





今日の早朝、建仁寺の暁天講座に向かった際に撮影したものです。
撮影時間は5時過ぎです。
曇り空で少し薄暗いですが、明るめに撮りました。

前掛けや胴掛けもとりつけられています。
雨よけのビニールがかけられている、月鉾です。





菊水鉾です。





函谷鉾です。





長刀鉾です。






船鉾です。
こちらは、暁天講座が終わった帰りに撮影したものです。
今日中に完成させないといけないので、保存会の方が慌ただしく作業されていました。
この後、強い雨が降ってきましたので、私は退散です。













祇園祭鉾建て3日目の朝

2014-07-12 15:25:02 | 2014祇園祭

祇園祭の鉾建ても3日目です。
前日の天気予報で、京都は35度の猛暑日になるとのことでしたので、朝8時前に行ってきました。
前日来たのが昼過ぎでしたので、半日足らずではそんなに作業が進んではいません。

私の家から山鉾が建つ場所までは、朝でしたら市バスで10分ほどです。
ちょっと見るくらいなら、行って、帰って1時間くらいです。
気候のいい季節なら、歩いていくのですが、、、、。
今は、熱中症が危ないですから。

山鉾建ての画像ばかりですと、イメージがわきにくいと思いますので、完成した山鉾も御覧下さい。画像は一昨年の巡行のものです。


放下鉾





真木を組み立てています。





放下鉾が完成すると。





菊水鉾
鉾車が取り付けられました。





菊水鉾の銘入りです。





完成した菊水鉾






函谷鉾
赤い綱隠しも取り付けられました。





巡行する函館鉾





長刀鉾





巡行する長刀鉾






鶏鉾
昨日の昼にはまだ上がっていなかった真木が上がっていました。





巡行する鶏鉾







岩戸山





巡行する岩戸山






船鉾






巡行する船鉾






月鉾


















祇園祭鉾建て2日目、鉾頭が上がる。

2014-07-12 05:37:10 | 2014祇園祭

祇園祭鉾建ての2日目です。
台風一過で朝から猛烈な暑さです。
ギラギラ照りつける太陽は、梅雨がどこかに行ったかのようです。
少し歩いただけで、汗がふきだします。

今年から古式に戻り、前祭と後祭に別れて行われます。
今までは、全山鉾が10 日から13日の間に鉾建てが行われたのですが、今年からは前祭の山鉾だけです。後祭の鉾建ては、前祭の巡行が終わってからです。

前祭:鉾建て10~13日、宵山14~16日、巡行17日
後祭:鉾建て17~20日、宵山21~23日、巡行24日

10日は、長刀鉾、月鉾、函谷鉾、菊水鉾、鶏鉾の鉾建てが始まったのですが、11日は、放下鉾、岩戸山、船鉾の鉾建てが行われました。

10日から作業が行われた長刀鉾、月鉾、函谷鉾は、真木、鉾頭が立ちました。
これらが立つと、大きいなあと思います。
地上から鉾頭までは、約25mありますから、高いはずです。

長刀鉾




鉾頭は長刀です。





函谷鉾





鉾頭は、兜でしょうか。





破風(屋根)もあがりました。





月鉾




鉾頭は三日月です。




菊水鉾と鶏鉾はまだ真木は立っていません。

菊水鉾
まだ土台だけです。





真木の組み立て作業中です。





鉾車です。






鶏鉾、ちょっと遅れている?





11日から建て始めた山鉾は、今日は土台までです。

岩戸山




船鉾





大工方の作業着です。






台風通過中、祇園祭の鉾建て始まる。

2014-07-11 05:03:44 | 2014祇園祭

台風の被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。

大型台風が九州に上陸した昨日の午前中、京都市内はときどき雨が降るものの、台風の気配はあまり感じられませんでした。
沖縄に最接近した頃、近畿地方に上陸するのではという進路予報もありましたが、私たちにとっては幸いにと言いますか、四国沖を東進しました。

昨日の朝の時点では、台風の雨風の影響も懸念されましたから、毎年10日から始まる、祇園祭の鉾建ては行われず、翌日に延期と思っていました。
大きな柱や鉾を荒縄だけで組み建てるのですから、雨や風は禁物なはずです。

それで鉾建て見物は11日にしようと思っていたのですが、高島屋に買い物があったので昼前にでかけました。

すると、四条烏丸付近で鉾建てが行われているではありませんか。
山鉾町保存会の方に聞きますと、朝8時から作業は行っているということです。

長刀鉾、月鉾、鶏鉾の鉾建ての様子を御覧ください。

長刀鉾、職人さんが荒縄だけで組み建てています。





ものすごい荒縄の束です。これが全て使われるのです。





建物の内部でも、鉾柱の作業が行われています。




長刀鉾の交通整理の方々です。
いつもは、すごい人出で、これらの方々は大活躍するのですが、昨日はやはり台風の影響でしょう。人出は少なく、写真にも応じてくれました。





月鉾の鉾建てです。
お昼時間でしたので、職人さんは休憩中です。










鶏鉾です。





近くのお店のデイスプレイです。
祇園祭仕様です。やはり、鉾が建ち始めると一気に祭の雰囲気になります。





昨日の夜は、祇園祭の神輿を鴨川の水で清める「神輿洗い」も、四条大橋で行われました。
神輿が四条大橋に到着すると、神職がくみ上げておいた川水に榊をひたし、神輿に 振りかけます。
飛び散る水しぶきは、健康祈願や厄よけの御利益があるとされ、橋の上は氏 子や見物客らの熱気に包まれたそうです。





蒸し暑い一日、南禅寺と青蓮院のクスノキ

2014-07-10 05:49:05 | 京都めぐり


昨日は、朝9時に京都市美術館に バルテュス展を見に行きました。
( バルテュス展は後日投稿します )

美術館を出ると蒸し暑くて、逡巡したのですが、まだ10時頃だったので、南禅寺と青蓮院に寄ることにしました。南禅寺は先月の半ばに訪れたばかりですが、岡崎に来たのですからついでです。

南禅寺はまだ観光客も多くありません。
いつきても、ここの伽藍の景色は大好きです。
境内の青紅葉と苔が暑さを忘れさせてくれます。










三門の前では、暑い中、黙々と雑草取りをしている方々がいます。
大変厳しい季節ですが、こういう方々のおかげで、南禅寺の美しい景観が維持されている思うと感謝です。





今回は本坊、塔頭寺院にも寄りません。
境内の青紅葉と青苔がとてもきれいです。









境内のユリの花がとても印象的でした。





南禅寺から足を伸ばし、青蓮院前を通り、帰宅の途につきました。
青蓮院中には、2,3度入ったことがありますが、回遊式庭園は一見の価値があります。
今回は拝観はスルーです。

ここのクスノキはほんとうに見事というほかありません。
京都市の天然記念物に登録されています。
築地の上に四本、境内の庭園に一本生育しています。
樹高は最大で26mを越えているそうです。いm
青蓮院が現在の地に移転した13世紀以降に植栽されたそうですが、長い年月が経っているものです。















暑くて、長居は無理です。
家に帰り着いたのは,12時前です。
台風が近畿地方にも接近しそうなので、家の周りを少し片付けることにしました。





夭逝の天才画家、関根正二の青春 日曜美術館

2014-07-09 05:59:56 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、 わずか20歳の若さで夭逝した、大正時代彗星のように現れた天才画家、関根正二(1899~1919)です。









福島県に生まれ、1908年に上京し、後に美人画で有名になった伊東深水(娘は朝丘雪路)の紹介で15歳から印刷会社に勤めます。
1915年16歳の時に描いた、「死を思う日」が第2回二科展に入選します。
1918年19歳の時に、二科展出品作の 「信仰の悲しみ」が樗牛賞に選ばれるなど、画壇の脚光を浴び始めました。
しかし、その翌年、結核のためにわずか20歳で夭折します。
余りにも短過ぎた生涯のため、現存する作品は少ないが、彼の代表作である「信仰の悲しみ」は日本の近代洋画史を代表する傑作の一つと評され、2003 年に重要文化財の指定を受けています。

『信仰の悲しみ』

野を歩く女性たちは何をしているのでしょうか、、、。
関根の代表作で、大正7年の二科展で樗牛(ちょぎゅう)賞を受けました。
原色 を用いた不思議な幻想、非現実的な雰囲気で一躍注目を浴びました。
この絵を描いた19歳の頃は、極度の神経衰弱に陥っていました。
日比谷公園で数人の女性が行列になって歩く姿に、眩い光に包まれている状態を見出したことから描かれた幻想的な作品です。





『子供』

目を射るような朱色の着物と青い背景で鮮やかさが際立っています。
顔もその照り返しをうけたように、赤く染まっています。





『三 星』

関根は幾度も恋をします。ときに有頂天になり、やがてふられ、悲しみの底に沈みます。
恋しい人の姿を絵にとどめました。
右の朱色の人は恋人だと言われています。
そして中央は自分自身、耳を被っているのは包帯でしょうか。
耳を切ったゴッホに似せた自画像ではないか、とも言われています。





これらの絵は、大正時代を代表する名作として100年後の今も輝きを放ち続けています。

関根の青春は、天才芸術家ならではのエピソードに覆われています。
長屋の2畳ほどの狭いアトリエ、絵具も買えない貧乏生活。
失恋に次ぐ失恋。そして狂気に彩られた創作への没頭。

14歳の時に無銭旅行で知り合った河野通勢からペン画やルネサンス大家の画集を見せてもらったり、大正14年第2回二科展 で特別陳列された安井曾太郎の滞欧作品を見たりしたことが、関根の作風に大きく影響しています。
河野通勢の影響で多くの膨大なデッサンを描いていますが、20歳前に自分で焼却してしまいます。
残された少ないデッサン画です。

信濃デッサン館にある「自画像」、17歳の作品です、
ペンによる鋭い線描で浮かび上がる顔が印象的です。





『死を思う日』

夕暮れの気配が漂う木々が漂うなか、男が一人方をすぼめて歩いています。
暗い色調に不安な心が伝わってきます。





残されたデッサンの数々
「三人裸像」





「婦人像」





「顔と裸婦」




『自画像』

19歳の頃の自画像です。
やや斜めの顔が暗い背景から浮かび上がっています。





『姉妹』

信仰の悲しみを描いた19歳の作品です。
これも幻影なのでしょうか。
花が咲き乱れる野原を歩む姉。背中の子どもはなぜか大人びた顔でこちらを見ています。
その着物は鮮やかな朱色です。
関根の特色ある朱色は、絵の具の名前をとって、関根のバーミリオンと呼ばれているそうです。





関根が死の床でも描こうとしていた絵です。
『慰められつつ悩む』絵葉書
絵はその後姿を消し、今も行方不明です。






関根の珍しい墨彩画
幼なじみの伊東探水が大切に持っていたものです。
青春の入り口、デッサンに励んでいた17歳の頃の作品です。





最近、日展や京展にいっても、関根のようなぐっと胸がわしづかみにされる作品に出会うことは、残念ながらほとんどなくなりました。
勿論、画題はさまざまですが、どれも似通った作品が多くなって、絵の魅力が薄いのです。







7月朝の坐禅会

2014-07-08 05:33:03 | 坐禅会


猛烈な台風が発生して日本列島に向かっているそうです。心配です。
そのせいでもないでしょうが、雨が降り続く梅雨本番ですが、風があります。

いつもは7月の坐禅会は、非常に暑く、じっとしていても汗が滲んでくるのですが、昨日は、風のせいか非常に心地よいものでした。
広い本堂の障子は全て開け放たれています。
風がときおり、本堂をかけぬけ、頬に風があたります。


妙心寺塔頭寺院、いつもお世話になっているところです。
朝10時半から12時までの坐禅会です。








雨で玄関先の庭苔がいきいきしています。
緑の木々も心なしか喜んでいるようです。





10時半、老師が入室し、参加者一同で般若心経と三帰依文を読経し、坐禅に入ります。
30分座って、休憩し、さらに30分座ります。
この間、少し寝不足が続いたせいか、しばらくすると睡魔が襲ってきます。
半眼で1m先ほどを見つめているのですが、ついつい瞼が落ちます。
やばいと思い、指をつねるのですがあまり、効きません。

老師が驚策棒をもって参加者の前を通ります。
驚策を希望する人は、自分の前に老師が来たときに、合掌し、一礼し、驚策を受けます。
私は驚策があまり好きではないので、大概はスルーします。

3回目の坐禅の途中、経行(きんひん)です。
老師の後について、本堂前の廊下(約十間ほど)をゆっくり歩きます。
5周ほど歩き、本堂に入り、坐禅を続けます。

12時に終了し、茶礼が始まります。
若いお坊様が数名、薄茶と夏の和菓子を参加者に配り、皆さんと一緒にいただきます。
昨日の参加者は15名ほどでした。

霊雲院の坐禅会、8月はお休みで、9月から再開します。

坐禅会が終わり、いつものように庭を心ゆくまで眺めて帰宅の途につきます。