京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

~画家・宮芳平~ 日曜美術館

2014-08-11 05:44:32 | 美術・博物館


今回の日曜美術館は、『 野の花のように描き続ける ~画家・宮芳平~』 です。

いま、一人の無名の画家の絵が、人々の多くの共感を呼んでいます。
その画家は、長野の高校で美術を教えながら、 生涯で数千枚に及ぶ油絵を残した宮芳平(みや・よしへい 1893~1971)。





生誕120年を記念して去年から始まった初めての大規模な回顧展が全国を巡回しています。
すると「澄 んだ魂から生まれたような絵」、「自然、植物への愛情の深さを感じた」、「これまででいちばん 心にしみる絵画」といった感動の声が無数に寄せられ、都内で開かれた展覧会をアートシーン で紹介すると、「作品をじっくり見たい」、「画家のことが知りたい」といった声が番組宛にも 届いたそうです。
宮が描いたのは、鮮やかな色と抽象的な形がおりなす長野の自然風景です。





優しさに満ちた母子の肖像。




そして深い精神性を感じさせる、聖書を題材にした聖地巡礼のシリーズなどが、番組で紹介されました。


「椿」1914
点描画です。薄暗い部屋に中で赤いドレスを着た女性がソファーに腰を下ろしています。




宮芳平は新潟の呉服屋に生まれます。8人兄弟の末っ子。
高校卒業後、家族の反対を押しきって画家を志し、東京美術学校に入学します。

「カーテンに」1914
二十歳の頃の作品、明るい色使いで印象派風に描いた作品
博覧会で初入賞します。





その矢先、芳平を支えてくれた郷里の父親が亡くなります。

「自画像」1914
父親の通夜に描いた自画像です。
どこか虚ろな目が未来への不安を表しているようです。




宮芳平は、政府公募、文展への出品決意します。
仕送りが途絶え、返す宛のない借金をして絵の具を買い、大作に挑みます。

それが、「椿」です。
しかし、結果は落選です。
納得のいかない宮は、突然、文豪森鴎外を訪ねるのです。
鴎外は文展の審査委員長をつとめていたのです。





鴎外は書斎に招きいれます。
その時のことを、鴎外は『天寵』という短編小説に書いています。




M君
あの絵は、顔料、額縁に持っていただけの金を掛け、
費やされるだけの時間を費やし、
嘗められるだけの辛苦を嘗めてしあげた。

ほとんど自分の運命は懸けて
あの画にあると云っても好い。
そこでせめてもの心遣りに、
あの画のどこが格に合わぬか、
聞かせてもらいたい、、、

鴎外
私はすこしも君の画を嫌う念を有していない。
君の画には公衆の好みにおもねった跡もなく、
また大家の意を迎えた跡もない。
これは君が何を能くするかという問題である。

鴎外は知り合いの文化人の名刺を宮にわたし、積極的に会うことをすすめ、見識を広めるよう、アドバイスした。

「歌」1915
鴎外が購入し、生涯自宅に飾った絵です。
咲き誇る椿の下で男女が顔を寄せ会っています。
優しい絵ですね。









「茜さす山」1937
夕焼けに染まる信州の山。
それまで、自己の内面を見つめていた宮の絵は、30歳を過ぎると大きく変化します。




25歳のとき、宮は恋人エンと結婚します。
しかし、絵は全く売れません。




そんなとき、知人から、長野の高校で美術の教員にならないかと声をかけられます。
29歳で長野県諏訪に移り住みます。
非常勤で、3つの高校の掛け持ちをして美術を教えます。

その合間に描いた絵です。

「諏訪風景」1925




生徒とストーブを囲んでいる写真




「雪後」1956
澄みきった青空の下、雪解けを始めた山
大胆な筆遣いです。





「けしの花」1965





「花園に花満つる」1956





73歳、1966年 家族などから援助を受け、ヨーロッパ・中近東を巡る旅に出ます。
若いときからひかれていた、聖書の教えを実感するためです。

聖書巡礼シリーズ
14枚の作品を書き上げます。





「ゴルゴダ」1970
十字架にかけられたイエス・キリスト





「逃避」1970
迫害から逃れようとするイスラエルの民





罪を改心し、イエスの死を見とどけた
「マグダラのマリアの悲しみ」1970





肺病を患いながら、8人の子供を産み育てた妻エンは、47歳の若さで亡くなります。この絵は、妻への懺悔です。

「妻像」1933頃





教員になってからも貧しい日々、エンは宮を黙って支え続けます。

「妻」1941頃
どんなに貧しくても、好きな絵を描けるよう尽くして妻。
葬儀のとき、自らが描いた肖像画を遺影がわりに飾りました。






「エフタとその娘」1970
夕陽に浮かびあがる父と娘のシルエット
父のために、自らを神への捧げ物とする娘。
宮は罪深い父に自分自身を、娘に妻をかさねたのでしょうか。





「白い太陽」1970
亡くなる直前まで描き続けた作品





「黒い太陽(絶筆)」1967ー1971
体調を崩した宮は、この太陽に黒い絵の具を塗ったあと入院します。
末期ガンを宣告され、わずか半月後、帰らぬ人になりました。












みなさん、いかがでしたでしょうか。
私は、番組を見終わったとき、なぜか懐かしい光景が頭を過りました。
私は、高校生のとき、一時期美術部に在籍していました。

その時の美術部の絵の具の匂い、部員たちが一生懸命スケッチし、キャンバスに向かっている光景です。





















台風、寂しい一日に。

2014-08-10 12:32:30 | 京都めぐり


今台風は神戸方面を北上中です。
京都も台風本体の暴風圏内に入っているのですが、わが家の周辺を見る限りは、風よりも今は雨が強いです。

居間から中庭を見ると、ハナミズキがときどき大きく揺れています。

今日は一日、家の中で台風をやり過ごしています。

本来なら二男夫婦と孫が赴任先から帰ってくる予定でした。
せっかくの機会なので、長女夫婦と孫、長男夫婦と孫もわが家に集まることになっていました。
全員が集まれば、私たち夫婦も入れて、大人8人、孫6人になります。
家の中は大変になりそうでしたが、とても楽しみにしていました。

しかし、昨夜二男から、飛行機が飛ばないとのメールが入りました。
台風の進行状況から、その可能性はあると思っていましたが、現実になるとは、、、、。
実に残念です。
急遽、長女、長男にも連絡し、本日わが家に集まるのを中止にしました。

賑やかな一日を期待したのですが、、、、。
寂しい一日になってしまいました。


中庭のハナミズキ
雨が強かったのですが、写真ではよくわかりませんね。







妙心寺お精霊迎え 2014

2014-08-10 05:36:53 | 京都めぐり

今、台風11号は高知に上陸しようとしているところです。
京都市内は強風域に入っていますが、今のところそんなに風は強く吹いていません。窓から見える木々もそれほど揺れていません。
でも、ときおり、窓を揺らす音も強くなってきました。
これから、風雨は強まるのでしょうか。心配です。

8月9日、10日は毎年妙心寺でお精霊迎えがあり、私もこの数年、お参りさせていただいています。昨日の午前中、行ってきました。





例年は猛暑のため、朝早く訪れるのですが、あいにくの強い雨でなかなか足が出ずにいました。
でも、台風の雨ですので、10日いっぱいは、雨風が強くなることはあっても、弱まるのは少ないと思い、雨の中でかけました。

山門も精霊迎えの提灯看板がとりつけられています。





参道を歩き、鐘楼のところに行きます。





ここで、迎え鐘を3回撞きます。





次に法堂前に行くと、テントが張られています。
ここで、お坊様に先祖の戒名を水塔婆に書いていただきます。
料金は300円です。
私も、今は亡き父母を想い、書いてもらいました。





書いていただいだ塔婆は、法堂の和尚さんに渡し、読み上げて供養していただきます。
私は、生きている間に、十分な親孝行ができなかったことを詫びます。





仏塔や法堂は、信者さんの手作り提灯が飾られています。




















今年もなんとか、お精霊迎え迎えすることができました。

後は16日、大文字の送り火で、先祖の霊をあの世とやらに送り返します。

私は、朝行きましたが、夜は提灯に明かりが灯され、幻想的な景色になりますよ。











精霊迎え 六道まいり2014

2014-08-09 05:27:19 | 京都めぐり


今日、明日は台風11号の影響がでそうです。
全国で被害が大きくならないことを祈りたいです。

8月に入ると、京都の町は一気にお盆の装いになります。
お盆の精霊迎えも、六道珍皇寺で始まりましたので、私も六道まいりに行ってきました。





京都では、8月の13日から始まり1 6日の五山の送り火に終る盂蘭盆( うらぼん)には、各家に於て先祖 の霊を祀る報恩供養が行われます。
盂蘭盆前の8月7日から10日までの 4日間、精霊を迎えるために六道珍皇寺に参詣する風習が ありました。
これを「六道まいり」ある いは「お精霊(しょうらい)さん 迎え」とも言われています。

平安時代このあたりが、墓所の鳥辺山の麓で、俗に六道の辻と呼ばれた 京の東の葬送の地であったことから、生死の界(冥界への 入口)であり、お盆には、冥土から帰ってくる精霊たちは、必ず ここを通るものと信じられていました。

今では、六道まいりは、夏の風物詩にもなっています。

参詣は、境内参道の花屋さんで高野槇(こうやまき)を購入し、本堂で水塔婆(みずとうば) に戒名を書いてもらい、迎え鐘をつき、多くの石地蔵がある境内、 賽の河原(さいのかわら)と称す るところにて高野槇の葉にて水塔 婆への水むけ(水回向 みずえこ う)をします。

六道珍皇寺の入り口





門をくぐると、槙が売られています。




















ホオヅキもあります。





お参りは、まずは、本堂で水塔婆に先祖の戒名を書いてもらいます。




先祖の霊を迎える鐘をつきますが、すでに大勢の方が列をつくっています。
(写真には行列は写っていませんが)














多くの石地蔵がある、 賽の河原で、高野槇の葉で水塔婆への水回向をします。





私が着いたのは8時前ですが、朝から強い日差しです。





六道まいりと同じ時期に、これも恒例の五条坂の「陶器祭」が開催されます。
開始の9時前でしたので、みなさん、開店準備に汗を流していました。









パンダの焼き物もありました。



























京の七夕 堀川会場 2014

2014-08-07 22:04:58 | 京都めぐり

今年も、旧暦の七夕に開催される「京の七夕」堀川会場に行ってきました。
この「京の七夕」は、鴨川会場でも、8月2日~11日まで開催されています。

会場の堀川遊歩道では、竹を使用したアーチ、LEDで天の川 を再現する「光の天の川」、堀川を流れる水と、光で京友禅を照らしだす 「光の友禅流し」や、友禅柄を使用した行灯に、京都に縁のある著名人から寄せられたメッセージを掲載する「メッセージ行灯」などが、見所です。

さらに、世界遺産・二条城(夜間一部入場無料)では、プロジェクトマッピングなども行われています。

真夏の夜、川のせせらぎと光のアートが織りなす遊歩道は、ロマンチックな雰囲気です。
老いも若きも楽しめるのではないでしょうか。





私が会場に着いたのは夜7時です。
会場は、二条城向かいの堀川遊歩道から堀川今出川、晴明神社あたりまでです。
混雑を避けるため、北行き一方通行です。

私が歩いて撮影した順番に紹介しましょう。

京の七夕、会場入り口です。




「願い七夕」がたくさん、飾られています。





京都にゆかりのある著名人による「メーセージ行灯」。





京都の芸術大学の学生による、竹と光のアート作品です。





「光の友禅流し」です。









「光のしずく」





レースのように輝く光ファイバーボールが光のしずくとなり、天の川からこぼれ落ちた星のように堀川を彩ります。





「竹と光のアート」





遊歩道の中ごろにも、願い七夕飾りがあります。






「光の天の川」、やはりこれが会場のメインでしょう。




















竹と光のアート作品










「堀川ねぶた」、京造ねぶたです。
青森ねぶたのように多彩な色使いも美しいのですが、白色だけというのもなかなか乙なものです。














かつて、京都市内を走っていた、京都の市電。
私も学生時代はよく利用しました。
京友禅型紙のなつかしのチンチン電車






壁にプロジェクターで市電の再現





出口付近では、出店もでていました。





帰り、二条城の夜景





会場となった堀川遊歩道ですが、堀川とあるように河川です。
戦後、下水道の整備などで水流がほとんど消滅していました。
堀川のせせらぎを取り戻そうという市民の声を受け、2009年に水流が戻り、市民の憩いの遊歩道になったのですよ。








バオバブの開花

2014-08-06 22:12:02 | 京都めぐり

先日、植物園の朝顔展に行った際、入り口付近に「バオバブ開花」の看板が立っていました。





それで、朝顔を見た後、観覧温室に入り、バオバブの花を見てきました。
バオバブの花を見るのは初めてです。

アフリカバオバブ(マダガスカル産)の花です。










花の開花前です。




サン・テグデユベリの「星の王子さま」では、星を破壊する巨木として紹介されています。
花は下向きに咲き、真っ先に花弁中央から丸く房状のおしべが下がっています。これは、夜行性のコウモリが花粉の媒介ができるようにするためだそうです。この花は、夜に開花し、翌日昼には落下します。

花を咲かせるアフリカバオバブは、京都以外では富山と沖縄だけだそうです。

蛇足ですが、私は若いとき「星の王子さま」の本が好きで、日本語訳が物足らず、フランス語訳でも読みました。

バオバブの木です。





温室の珍しい花も紹介しましょう。
アリストロキア ギガンテイア
ブラジル原産のつる性低木





トリコグロッテイス アトロプルプレア(フィリピン)
ラン科





サラセニア(食用植物)





温室の前の池の睡蓮がとてもきれいでした。

























先日のブログで植物園の蓮を紹介しましたが、今回は朝早いにも関わらず、観蓮会が行われていました。





せっかくですから、蓮も少し紹介しましょう。

童羞面



















植物園の朝顔展

2014-08-05 21:51:06 | 京都めぐり

毎年この時期、恒例の朝顔展が京都府立植物園で開催されています。訪れたのは、日曜日です。
今年、55回ですから、それなりの歴史があります。

今の夏の時期、植物園は7時半開園ですが、朝顔展の期間だけは7時です。

私も開園時間に間に合うよう家を出て、着いたのは7時です。
すでに、大勢の方が朝顔展目当てに、展示会場に足を運びます。

会場前の看板です。





7時の時点の会場内
皆さん、熱心に朝顔見て、撮影しています。




少し落ち着いた展示会場の様子です。










まずは、朝顔の説明板です。




朝顔の数が多すぎますので、気に入ったいくつかを紹介します。
小ぶりの朝顔もありますが、やはり、大輪朝顔のほうが、迫力がありますね。



旭光




団十郎




成田屋






秋楽






採光錦





遠露





翁の友





名前はわかりませんが、色合いがよい朝顔をどうそ。




























































朝顔にこれほど多くの種類があるとは思っていませんでした。

画像では大きさが伝わりにくいのですが、大輪朝顔は 見応え充分です。











2014東福寺暁天講座

2014-08-04 22:15:43 | 坐禅会


今年の暁天講座は、建仁寺、天龍寺、永観堂、智積院と参加してきましたが、今回の東福寺で最後です。

私は、東福寺前管長の福島慶道老師の提唱を拝聴するのが大好きでした。
実にユーモアがあり、在家信者にはとても優しい管長でした。

日曜座禅会の無門関提唱のとき、いつも管長は言います。
「禅は超二元」、「無執着」、「現実肯定」、「脚下照顧」。
またある日は、「禅は天地一杯」、「禅は全宇宙」とも。

全身の筋肉が動きづらい病にかかりながらも、座禅会での提唱を続けました。
しかし、病には勝てず、日曜座禅会への参加もままならなくなり、東日本大震災の直前に亡くなりました。

私の生き方にも影響を与えた禅僧でした。
東福寺で若い禅僧を鍛えただけでなく、アメリカで真っ当な禅の普及につとめました。
福島禅師はわかりやすい禅の書物も書かれ、私の愛読書になっています。

恥ずかしい話ですが、しばらくは、福島管長のことを思い出すと涙がでていました。

不惑どころか、60歳過ぎてなお、未だ煩悩まみれの私ですが、福島管長が生きておられたら、喝 ! といったところでしょうか(苦笑)。

福島管長亡き後の私は、東福寺の座禅会に参加する意欲が起きず、年1回の暁天講座に参加するだけになりました。

前置きが長かったです。

今回も4時過ぎに起床し、軽めの朝食をとり、小雨の降る京都の町を車を走らせ、東福寺に着いたのは6時前です。

重要文化財の禅堂の入り口で、雲水さんから資料をいただきます。
この禅堂は室町時代(1347)の建築です。
僧侶になるため修行道場で、雲水が座禅、そして寝食を行う場です。
昔は400名以上の雲水が修行したそうです。





禅堂内です。














まもなくして、雲水による座禅指導が行われ、座禅に入ります。





座禅は、暁天講座の時は、30分1回だけです。
座禅の後、茶礼です。
和菓子「通天」、美味しゅうございました。





座禅和讃、四句誓願の読経のあと、遠藤管長の提唱です。

提唱を聞く参加者





遠藤管長です。





お話の内容は、「国師三喚」です。









暁天講座が終わり、禅堂を出る参加者




私は、この禅堂の甍のラインが好きです。







お尻フェチ? 『ヴァロットン』日曜美術館

2014-08-03 21:09:51 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、『ヴァロットン』です。





ヴァロットンは、日本はおろか地元フランスでさえ、その名があまり知られていませんでした。
ところが、埋もれてきた画家の大回顧展がパリで開催されると、何と31万人の人々が会場に押し寄せ、展示会は大盛況だったのです。










19世紀末のフランスで活躍したヴァロットンですが、その絵は謎めき、作品は批判され、長く埋もれた存在でした。

そして今の時代になって、やっと評価されつつあります。
パリでの大人気を受け、日本で初めての回顧展が、三菱一号館美術館(東京・丸の内)
で開催されています。





特に私が注目したのは、 ヴァロットン40代以降の作品です。
少し変わった性愛の持ち主ではないかと思わせる作品が多く描かれます。
当時の社会のもとでは、批判されかねないでしょう。

今、京都でバルテュス展が開催されていて、非常に人気です。
バルテュス は完全なる美の象徴として、少女を対象に描いています。
卑猥とも思える少女のポージングは、 バルテュスが 少女性愛者ではという疑念を持たせるのに十分な作品です。
しかし、 バルテュスはピカソに「20世紀最後の巨匠」と言わしむる評価もあります。
時代が異なれば、 バルテュスの評価も変わっているかもしれませんね。


フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)は、スイスのローザンヌで生まれます。家庭は厳格なプロテスタントで、幼い頃から厳格な倫理観で育てられます。
16歳で画家をめざしパリに渡ります。

「20歳の自画像」1885
伝統的な写実の技法を学んでいた頃の作品です。





その後、ナビ派と呼ばれる前衛グループに参加します。
その頃の作品です。陰影のない、平面的な作品で、写実的な作品とは大きく異なります。
「公園、夕暮れ」1895





ヴァロットンがパリで知られるようになったのは、20代です。
その当時パリでブームとなっていた日本の浮世絵に、ヴァロットンも大きな影響を受けます。西洋絵画にはない表現方法に魅了され、新しい分野にチャレンジします。
それが、版画です。
社会に溢れた矛盾を白と黒の版画で描き出します。
雑誌の挿し絵として大人気になります。

ヴァロットンの所蔵する浮世絵




「街頭デモ」




「アナーキスト」




「自殺」





「嘘」代表作の一つ





「最後の手段」





「お金」





「5時」







ヴァロットンは34歳で、裕福な未亡人と結婚します。
しかし、その結婚でヴァロットンは、一層孤独に追いやられます。


「夕食、ランプの光」1899
結婚し新しい家族との食事風景です。
奥さんと、二人の連れ子、そして手前の黒い影が ヴァロットン自身です。
とても、微笑ましい一家団欒の食事風景ではありません。




「ボール」1899
強い日射しのなか、少女が赤いボールを追いかけています。
遠くの緑の中に、女性二人がなにやら話をしている感じです。
この絵、 ヴァロットンは何を書きたかったのでしょうか。
上から俯瞰しているような構図です。
どこか冷めていて、謎めいているようにも思えます。





「ポーカー」1902
ブルジョアの妻との暮らしに違和感を覚えます。
後ろ向きでポーカーをしているのは妻です。
違和感のある構図、妻とポーカー相手は正面を向いていません。
ヴァロットンの屈折した精神が絵に表れているようです。





「貞節シュザンヌ」1922
ヴァロットンの代表作の一枚です。
シュザンヌは娼婦ですが、この絵では貞節としています。
しかし、男女の密談でしょうか。
貞節とはかけ離れた、なにやら卑猥な空気も感じられます。





ヴァロットンはある題材に傾倒します。





それは、臀部(お尻)です。
女性のお尻 はヴァロットンの性愛でしょうか。
プロテスタントで厳格な倫理観で育った ヴァロットンですが、心に秘めていたものを一気に吐き出したというような作品です。

「臀部の習作」1884
絵画の勉強中の若いときの習作ですが、臀部に執念みたいなものを覚えます。





「トルコ風呂」1807





「眠り」1908









「4つのトルソ」1916





「赤い絨毯に横たわる裸婦」
お尻にのめり込んだような絵です。
丁寧なお尻の描き方に比べ、顔はつけ足し程度にも見えます。
違和感のあるポージング、 ヴァロットンはお尻フェチズムではとの評価になりかねない作品にも見えます。









ヴァロットンが作品として発表した時代と今は大きく変化しています。
作品は画家の内面そのものであり、 ヴァロットンが今日、再評価されるのはわかる気がします。

どこか秘密めき、冷めたような視線が感じられる作品、お尻に漂うエロチズム、しかしデカダントでもない。

私は、放送分の作品しか見ていませんが、東京で開催されている回顧展の全体作品を是非見て、疑問をぶつけてみたいです。

でも東京はやはり遠い、せめて近畿に巡回に来て欲しい。

東京在住の方で、 ヴァロットンの回顧展を見られた方の感想を聞きたいです。





智積院暁天講座、戦場カメラマン渡辺陽一

2014-08-03 05:34:12 | 京都めぐり

昨日は智積院の暁天講座に行ってきました。
講師の戦場カメラマン、渡辺陽一さんのお話を聞いてみたかったのです。
テレビと同じような口調なのか、非常に興味がありました。

開始時間は6時、台風の影響でしょうか、起床して外を見ると小雨が降っています。
5時半前に車を走らせ、着いたのは6時前ですが、すでに駐車場は多くの車がとまっています。
今まで、何度か智積院の暁天講座に参加しているのですが、こんなことは初めてです。






会場の金堂に入ると、既に満席状態です。
会場の外に置かれた椅子になんとか席を確保します。

6時、お坊様の挨拶と読経です。
臨済宗寺院は坐禅ですが、智積院は読経だけです。
でも、その読経時間が結構長いのです。

渡辺陽一さんの講義中は、撮影禁止ですので、写真はありません。
開始前の会場の様子です。





渡辺さんのお話は、なぜ、戦場カメラマンになったのか。
二十歳の時のアフリカでの強烈な体験が背景にあるそうです。
イラク戦争や世界の戦場での生々しい体験が語られました。
お話の後、質問も受けられていました。

テレビで独特の話し方で話題となった渡辺さんですが、生の講演も同じような口調です。
「み・な・さ・ん・、お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」というような、、、。
文章では書きにくいですね。
でも、講演中は話慣れているからでしょうか、流暢な面も多かったです。

講演が終わり、金堂を出る参加者





私は、暁天講座に参加した後は必ず、名勝庭園を見ます。
講堂に入ります。





利休好みの庭園です。









大きな手水鉢





長谷川等伯の障壁画(複製)です。





講堂内です。





中庭






鐘楼付近の青苔が小雨に濡れ、きれいでした。















境内に咲いていた花です。












また、来年の暁天講座を楽しみにしましょう。




永観堂(禅林寺)の暁天講座

2014-08-02 06:33:00 | 京都めぐり

今年も、京都の夏の風物詩ともいえる、各本山の暁天講座が始まりました。
昨日は、永観堂(禅林寺)の暁天講座に行ってきました。
永観堂は、秋の紅葉の名所で知られ、私も何度か訪れていますが、暁天講座は初めてです。
開始時間は、朝7時。多くの暁天講座は6時ですから、遅い開始です。

早朝の鴨川、河川敷には明日からの京の七夕(鴨川会場)のテントが置かれています。




私は、6時過ぎ早朝の南禅寺にお参りし、永観堂に着いたのは7時前です。

南禅寺三門と法堂









永観堂の総門を入り、会場である放生池に向かいます。




すでに多くの方がお見えで、テントの中の長椅子に腰かけています。
講座は、永観堂の中西玄禮法主の「いのちの理由」というお話です。









東山から朝日が放生池を照らし、テントのなかもだんだん暑くなってきます。




団扇や扇子を扇ぐ人が増えます。

8時前にお話が終わると、芋粥の接待です。





芋粥をいただいた後、朝の永観堂の拝観です。
放生池の周囲は、青紅葉がきれいです。





大玄関前のサルスベリの花が見頃です。




古方丈前の庭園です。





睡蓮と半夏生です。









釈迦堂前の庭園です。















永観堂内は各お堂が長い渡り廊下で繋がっています。
長い廊下から見える景色を御覧ください。

























永観堂の帰り、所用を済ませて家に帰ると、汗でブルブルです。
少し脱水ぎみです。
急いで水分を多目にとり、エアコンで身体を冷やしました。
気を付けないといけないですね。









疫神社の夏越祭から、『うるしの近代』 展

2014-08-01 05:09:02 | 美術・博物館


それにしても昨日は暑い一日でした。
今年は祇園祭が古式に戻り、前祭と後祭に別れ、山鉾建て、宵山、巡行もダブルで楽しむことができました。
祇園祭祭好きには、たまらない年でした。
昨日は、祇園祭の最後の締めとなる、八坂神社疫神社の夏越祭が行われ、私も行ってきました。




祇園祭関係者も集まり、今年の祭の成功に喜んでいました。
一般の方もお参りできるのですが、長蛇の行列で、私は昨年に続き今年も参拝は断念です。









八坂神社から京都国立近代美術館に向かいます。
『うるしの近代 京都、工芸前夜から』が開催されています。




漆器、現在は身近な存在でなくなりました。
でも、正月や祝いごとなどのハレの日には、今でも使われています。
わが家でも、お客様がいらした時は、漆器を使うことが多いです。
日本では、はるか昔から漆はとても身近な存在でした。
文房具、装身具、飲食器などに幅広く用いられてきました。
庶民の日常使いから、蒔絵などの装飾を施す漆芸に至るまで、日本人の生活を潤してきました。

明治6年(1873)、ウイーン万国博覧会に日本で初めて国家として参加しました。
その時、欧米に工業面では大きく劣っていたため、海外に発信できる数少ないのが、巧みの手技が結集した工芸品です。

京都の漆芸に大きな影響を与えたのば、浅井忠や神坂雪佳です。
浅井忠は、2年間のパリ留学を終えて帰国すると、1902年に開校した京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の教授に就任します。
浅井忠の図案指導は後世に大きな影響を与えます。
また、この頃神坂雪佳も京漆園(1906)で図案の指導を行います。

展示会では、京塗を代表する塗師の木村表斎、明治の蒔絵師として名高い富田幸七、近代工芸の革新に中心的な役割を果たした浅井忠と神坂雪佳という二人 の図案家の作品が展示されています。
そして彼らの指導を受け、京都を代表する漆芸家となった迎田秋 悦、戸嶌光孚などの作品も、海外の美術館から の里帰り品も含めて一堂に展示されています。

素晴らしい漆芸の作品にうっとりしてしまます。

ところで、浅井忠も、神坂雪佳も表現方法やモチーフで琳派の影響をかなり受けています。
神坂雪佳の作品は、琳派そのものと言えます。
琳派が、ヨーロッパのアールヌーボーに極めて大きな影響を与えた日本美術という、時代的背景があったからだと思います。















繰り返しますが、ほんとうに素晴らしい漆芸の作品に感嘆しました。


近代美術館3階で漆芸の展示が行われていたのですが、4階では、『コレクションギャラリー』、京都国立近代美術館所蔵の近代の美術・工芸・写真が展示されています。

驚いたことに、ピカソの作品が展示されているのです。
ピカソ、「静物ーパレット、燭台、ミノタウロスの頭部」1938
スケッチ6点です。
ピカソのキュビズム時代の作品です。
これは、見る価値があります。

日本画では、「夏の日本画」のコンセプトで、林司馬、土田麦僊(朝顔)などです。
写真は、ユージン・スミスの作品、井田照一の1970年代の版画、工芸と民藝では、河井寛次郎や冨本憲吉などの作品が展示されています。

さらに、「ヨシダミノルの絵画1964ー1967」も展示されています。
ヨシダミノルは、1935年大阪生まれのモダンアートの作家です。










この美術館に来たとき、必ず撮影する景色