この国が何か新しいことをやろうとしてカタカナ語(ほとんど英語だが)を遣うときは、国民は気をつけなければならない。国民に真意や問題の本質を知られたくない時、施策に後ろめたさを感じる時、官僚や政治家は外国語をよく遣う。戦後の似非民主主義のもとで、この権力の真意を韜晦する手法は常態化した。外国語にしておけば、問題点を有耶無耶にするのに都合が好い。国民の多数が横文字に弱いことを知っていながらやるから悪辣で . . . 本文を読む
goo blog お知らせ
プロフィール
最新コメント
- tekedon638/エンターテイメントの品質
- tributary/エンターテイメントの品質
- tekedon638/英雄も人の子
- tekedon638/英雄も人の子
- flying_gold_tiger/英雄も人の子
- tekedon638/愛猫のこと
- クリン/愛猫のこと
- tekedon638/愛猫のこと
- さくらもちさ/愛猫のこと
- tekedon638/菊(管物)