道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

カタカナ語の遣い途

2020年12月02日 | 人文考察
この国が何か新しいことをやろうとしてカタカナ語(ほとんど英語だが)を遣うときは、国民は気をつけなければならない。国民に真意や問題の本質を知られたくない時、施策に後ろめたさを感じる時、官僚や政治家は外国語をよく遣う。戦後の似非民主主義のもとで、この権力の真意を韜晦する手法は常態化した。外国語にしておけば、問題点を有耶無耶にするのに都合が好い。国民の多数が横文字に弱いことを知っていながらやるから悪辣で . . . 本文を読む
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