あれは妻が70代に達して、彼女の古希記念に九州を周遊したときのこと。
その日の目的地唐津へ行くため、佐賀駅の唐津線ホームのガラス張り待合室で、始発の普通電車を待っていた。
その日の目的地唐津へ行くため、佐賀駅の唐津線ホームのガラス張り待合室で、始発の普通電車を待っていた。
ところが発車時刻寸前になっても電車がいっこうに入線して来ない。訝しく思った妻が待合室の外へ出、線路の行く手を見て驚愕した。なんと50mほど先の、跨線橋階段口の横に後尾を見せて停車していたのは、乗車予定の電車だった。朝の通学生向けの、車両数のごく少ない列車である。
途端に彼女は、私を置いて脱兎のごとく走り出した。愕いたことに、日頃若い頃の1.4倍にもなった体重をもてあましている妻の脚の速いこと。とても古希を過ぎた嫗には見えない。前夜有明海の魚介を肴に、したたかに酒を飲んで身体の重い私は、みるみる引き離される。
彼女が電車後尾に追いつくと同時に、電車は動き出した。彼女はそのまま走りながら、車掌室の窓から顔を出している車掌さんに声をかけた。ただちに電車は止まり、漸く私も追い着き、共に乗車することができた。
小学生の頃には「ゴボウ」とアダ名がつくほど痩せていた妻は、事ある度に私に脚の速さを語っていた。小学校の運動会でのリレーでは、いつも選手に選ばれ、中学では陸上部に誘われたとも云う。ところが子育て中に子供たちと走ったり、町内会の運動会の競争に参加することもなかった。結婚してから、彼女の走る姿というものを見たことがない私は、いい加減な与太話と聞き流していた。
何十年ぶりの全力疾走だったのだろう。無謀だが制止する暇も無かった。腱を傷めたり転ばなかったのは幸運だった。妻の強引な要求に応じてくれた車掌さんには感謝の外なく、今も佐賀の印象はほのぼのと温かい。
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