京都を起点と終点にするバスツァーに参加し、丹後、但馬、丹波を巡った。年来願望していた順路である。
これら山陰三ヶ国は、なぜかより遠方の雲伯二ヶ国よりも馴染みのない陬遠の地と感じていた。京都か敦賀を経由しなければならないことに億劫さを覚え、今日に至ってしまった。
地理的にも歴史的にも昏いことで、かえって小学生の遠足のような新鮮な気分になった。
丹後半島のことは『古代史の謎は「海路で解ける」長野正孝著PHP出版』で、周囲が断崖ばかりの古代鉄王国と知ったことのほかは、かつて丹後ちりめんのポスターのモデルに桜町弘子(少年期以来の大ファン)が選ばれたことぐらいしか知らない。名勝天の橋立には、何の興味も覚えたことはなかった。
残るコースの2地点、これまで足を踏み入れたこともなかった但馬の出石と丹波の篠山には、それぞれ好奇心を膨らませてバスの停車を待った。
出石での自由散策の時間は、城と旧城下の街並みや桂小五郎の潜伏地跡などを駆け足で見て廻った。小五郎は「逃げの桂」などと仲間から悪口を言われたが、怜悧で予見能力が高く、危機を的確に察知したまでのこと、逆に熱情に駆られ猛進した志士達は皆命を落としている。
丹波篠山は江戸期に入ると、対西国勢力の最前線基地となった。篠山城は平城だが、二重の幅広な堀割と堅固な石垣がそれを物語る。城の本丸から街並みを見渡し、旧藩時代の徒士組屋敷町を歩くだけで、自由散策は時間切れとなった。
バスツァーは、個人旅行へのリサーチと捉えると、駆け巡りも苦にならない。知らない者同士ながら、同年輩の参加者達との団体行動は、やはり遠足に近い楽しさがあった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます