8日の立秋は、真夏日のピークだったが、あれから1週間、台風の影響もあってか、早朝の空は曇り風は涼しい。心倣しセミの声にも翳りが感じられる。盆も今日で終わる。
当地では〈盆義理〉と呼んで、盆の期間に、故人と近しかった人々が初盆の家を訪れ、供養に参加する風習がある。私が子供の頃は、この時期になると、街中は黒ずくめの喪服を着た人々で溢れた。各自何軒もの家をかけもちするから、ご当人は汗を拭き拭き馳け廻る。それが現代では老人だけの風習になり、街中で盆の黒服を見かけることは少なくなった。他所の都市では行われない風習だからと、かつて商工会議所が呼びかけ、企業間の盆義理をビジネスの世界から断ち切ろうとしたことがある。しかし、伝統的風習というものは簡単には改められなかった。
スーパーマーケットでこの時期に見かけるお盆のお供えセットというものも、風習が先にあって後から仏教の方が形式を仮託した結果と理解できる。わが民族の祖霊信仰の習俗の強固なことには感服のほかない。仏教の教理と乖離していても、教伝以来の神仏習合を重ねるなかで、この習俗は遍く世に受け入れられて来た。
ご先祖様(神仏と一体)をお迎えするおもてなしの用品は、かつて農家では自給できるものが主だったが、今日では正月の松飾り同様、スーパーマーケットの取り扱い商品、殆どは中国製である。
たいまつ・麻殻(おがら)・蓮の葉・ほおずき・炮烙(ほうろく)・かわらけ・真菰(まこも)茣蓙・真菰の牛馬、その他おもてなし用品の品々には、それぞれに目的と意味がある。神を迎え供え物で饗応し送り帰す、神祇信仰の祖形を想像させる品々である。
起源は仏教伝来を遥かに遡り、縄文弥生の時代の祖霊信仰の形式を遺しているのではないか?正月の松飾り、お月見、お盆のお供えには、稲作文化が持ち込まれる遥か以前に、日本列島に土着した人々の風俗習慣を窺わせるものがある。
私の家の宗派(浄土真宗)は、他の宗派に較べお盆行事に比較的厳密でない。盆のお供えは果物類と団子ぐらいのもので簡素だった。禅宗の友達の家の、仏壇に供えられたナスとキュウリの牛馬に、興味を覚えた記憶がある。
これらお供えセットのうちの真菰と麻殻は、稲作以前の極めて古い時代の生活資材で、その時代の祖霊信仰の場で用いられていたものらしい。祖先を崇拝する信仰は、神体山信仰と習合して神道の基盤となり、神道は後に伝来した仏教と習合した。日本独自の祖先信仰はこの時に固まったと見てよいだろう。しかし祖先崇拝は、仏教の本義にはなんら規定されていないものである。
世界の三大宗教は、人々を祖霊信仰と偶像崇拝の迷妄から離脱させる目的で生まれた。それは、祖霊信仰と偶像崇拝が、自己愛の延長にあることを見抜いた結果であろう。自己愛を脱却しなければ人は幸福になれないと悟ったことは人類の叡智であり、宗教の淵源である。
仏教はその元インドの多神教から発しているため偶像が多く、偶像崇拝を脱しきれなかった。その上中国と朝鮮で本義とは全く異質な呪法を吸収した上で日本に伝わって来た。仏教より早く伝来した儒教は、祖霊信仰を精神的支柱として支持していた。
日本の祖霊信仰は、仏教によって保護奨励されてきたとも言える。檀家制度を見れば明白である。
各宗派の開祖たちは、深く仏教を学んでその本旨を理解していた。しかし開祖が亡くなると、その弟子たちは忽ち開祖が排した祖霊崇拝と開祖の地位の世襲に陥った。宗派を維持していく為には、開祖の神格化と世襲制を確立させる必要があったと見る。修養を積み俗世との縁を断ち切った僧侶と雖も、心性の底には俗衆と変わらない祖霊信仰(自己愛)が根を張っていた。
この先も、我々の生活から祖霊崇拝の風習は切り離せないだろう。唯一絶対の神を実感し認識することは、私を含む大多数の日本人にとって、極めて困難なことのよう思える。信仰の質の問題ではなく、心性がそのように出来上がっているとしか思えない。数百年に及ぶ接触がありながら、日本のキリスト教徒が今日でも1%以下にとどまっていることは、為政者の禁教政策や布教活動への弾圧に因るものでなく、唯一信仰する側の心性に関わる問題と理解するのが妥当でないかと思う。
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