見切りと見限りは、どちらも人にとって大切な契機である。見切りは判断力に依存し、見限りは決断力を要する。
人は判断と決断で世を渡る。見切りと見限りは人生から離れることがない。
この世は見切りが悪くて損失を被る人、見限りが悪くて縁のしがらみを断ち切れない人が、大多数である。
傑れた人は、見切りにも見限りにも卓れている。見切りが良くても、見限りができないでは時期を失し、見切りができなければ見限る相手を誤る。
戦国時代の三傑は、見切りと見限りの天才だった。通説にしたがってまとめてみる。
【信長】並外れて知能が高く、見切りと見限りに卓抜なものがあったが、不遜と激昂癖は終生ついて廻った。
【家康】見切りと見限りのバランスがとれ、しかも隠忍自重の質。人との信頼関係が篤い。
【秀吉】見切りに卓れ人を誑す(人蕩しの異名)名人だった。したがって見限りの例は少ない。千利休ただひとりか?見限ったというより、腹に据えかねたと見られている。晩年は見切りも衰え、見限りもできなかった。
その外に、
【足利義昭】見切りが悪すぎる。信長はじめ自分の家臣にも見限られた。
【明智光秀】見切り見限りに卓れ、破格の出世を遂げたが、信長を見限った事情の真相は今も謎だ。
【細川藤孝】見切り見限りに卓れる。本能寺の変後の明智光秀(嗣子忠興の妻は光秀の娘)への見限りは、光秀の予想を裏切ったに違いない。光秀よりも情勢分析に長じていたのだろうか?
一般的に見限りの要因は複合することが多く、複雑で分析は難しい。見限りの結果としての謀反・叛乱・内通の事情解明は、ほとんど不可能だろう。謎ばかりが増えるに違いない。
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