日本の国会議員の歴史は、明治維新から22年後の1890年、大日本帝国憲法の施行による帝国議会(2院制)に始まる。1947年5月3日の現行憲法が施行されるまでの57年間に、国民の間に国政議員というもののイメージが定着した。戦後に、日本国憲法が施行されるまで存在した明治憲法下の帝国議会は、貴族院と衆議院の両院制だった。この期間、日本には貴族と大衆の、出身階層別の議員がいた。貴族院は貴族とか高額納税者など富裕層を議員資格とした。立憲君主制の明治憲法は、天皇の臣民の中の特権階級を、議会の構成員の核に据えていた。
後に国内の自由民権運動と、民主的な先進国からの干渉により、特権身分の優遇は廃されたが、議員が特権身分であることは、敗戦を迎えるまで続いた。議員は富貴が成るものという思い込みが、選挙民に定着していた。
これが、戦後も議員と選挙民の意識に受け継がれ、現在の過剰な金銭的優遇に繋がっているように思う。つまり、議員の報酬や特権は手厚くて当然という考えである。それが、選良としての意識や矜恃に欠ける議員を、国会に送り込む要因のひとつになっている。困るのは、議員に成ることを富貴への登竜門と心得る不心得の立候補者が跡をたたないことで、彼は当選すれば、必ず利権と猟官を目指す。
新型コロナ禍によって、政府すなわち内閣と中央官庁の統治の二重構造や、立法府(国会)の行政府(政府)に対するチェック機能の甘さなど、政治や行政の機能不全が、毎日のテレビ報道を通じて私たち国民全ての目に明らかになってきた。
感染死という事実の重みには、口先での誤魔化しは通用しない。平時には表面に出ない、または隠されてきた問題点が、次々と国民の目の前に露呈されている。
全ての国民に共通する2大関心事は、一に生命二に経済だ。コロナ禍は、この2大関心事に対して、政府が如何に合理的で適切な施策を実行できるかどうか、試金石の役割を果たすものとなった。新型コロナ問題は、政府の能力を正確に測る共通の物差しと機会を国民に提供した。
未知の伝染病から国民の生命と資産を守る組織と機能を、国家が確実に保持しているかどうか、海外の国々と比較検証できる、過去に例のない機会である。
戦後長い間国民の脳裡に刷り込まれ、信仰のように絶対的評価を受けていた「優秀な中央官僚」という概念が、実は幻想であって、職能的にも個人レベルでも、必ずしも有能でないことを、私たち国民はこの幾年か、メディアを通じて目の当たりにしてきた。
学力が優秀な個人をどれだけ集めても、機能的で合理性を優先する行政組織を構築できるとは限らないという事実が証明された。また「国民の負託を受けた」を決まり文句にする国会議員が、負託に悖る行為を愧じることなく繰り返してきたことも、中央官僚の出世欲と無関係ではない。
学力の優秀性は知力の優秀性とイコールではない。知力は、学力のほかに、創造力・分析力・統合力を必要とする。更にあらゆる社会における実務能力は、知力のほかに、実行力・指導力・決断力・折衝力などが総合されたものである。
畢竟、社会における個人の優秀性というものは、学力では測れない。学力優秀者が必ずしも実務者としての有能を担保するものでないことは、疾うの昔に実社会では常識になっている。
明治維新が成った時、欧米から近代の諸科学及び諸制度を短期間に導入する必要に迫られたこの国では、急遽学習能力の高い者を選び、欧米の進んだ学問を学ばせる為に留学させ、先進の学問制度を学ばせた。帰朝した彼らは、習得した先進の知識を国内に敷衍させる役割を担い、高い地位に登った。そこに、日本の学力信仰の原点がある。
明治時代に定着した学力信仰は、その後ますます強固になり、帝大閥や陸大・海軍兵学校の学閥をつくり上げた。官界や実業界、政界から軍隊に至るまで、日本の凡ゆる国家組織は、学力偏重主義を採った。民間組織もそれに倣う。その結果、政・官・財・軍に、学力の優秀なキャリアたちの特権組織が出来上がり、ネットワークが形成された。現代のエスタブリッシュメントには、その末裔に列する人たちが多い。
国を戦争に駆り立てたことも、その戦争の戦略・戦術が拙劣で敗戦したことも、ある意味で学力偏重主義が行き着いた必然である。わが国のかつての学力エリートたちに共通する発想・思考の硬直性が、学力プラスアルファの欧米のエリートたちの発想・思考の柔軟性に太刀打ちできなかったのである。戦後70年間の近現代史の研究と検証が解き明かした敗因は、単に物量や技術力・生産力などのハード面ばかりでなく、戦争を遂行する政治組織、延いてはその組織の人材構成などソフト面にあったことを明らかにしている。プラスアルファこそ、エリートの要件であることを、再考しなければならない。
1955年に構築された新生日本の政治と行政の組織・制度が、長期にわたる単独政権よって次第に利権の温床を育み、利権が権力機構のあらゆる部分に絡みついて、諸制度の所期の機能を失わせている。政治家も官僚も、安定に狎れ旧弊踏襲に染まり、誰もが合理的な思考が出来ない。したがって的確な判断もできない。特に3.11以降、日本の官公庁(霞ヶ関)は、心身耗弱状態に陥って、かつての中央官僚にあった矜持を失ってしまったかのように見える。
納税者たる私たち国民も、選挙の都度、政治と産業との癒着を糺すことなく、日常の平穏と生活の安寧に馴れ、政治システムの変革よりも自利と安定を最優先にしてきた。
変革には、不安定に堪える忍耐と克己心が必要である。やはり応分のツケがまわったということだろう。今後新型コロナ禍に起因する様々な負担と、今も終息への解決策が見出せない福島第1原発の放射能汚染が、私たち国民の生活に重くのしかかってくるだろう。難渋の時代が始まることは、避けられない。
この国の直近の10年は、政権の意思決定プロセスにおける憲法の軽視や国会審議の形骸化、所管庁の行政事務規律の弛緩など、およそ議会制民主主義と似て非なる、民主の皮を被った独裁政治の様相を呈している。事実を隠蔽し、資料の公開を拒否し、果ては資料そのものを改竄又は廃棄する粗暴さが日常的に行わている。政府そのものが、国会での審議手続きを省略し、重要法案を閣議で次々と決めて国会に上程するという過去に例を見ない粗雑な手法を編み出した。
2014年の国家公務員法の改正で内閣人事局が生まれてから、官僚たちは自分たちの役所のトップ、事務次官を仰ぐより、内閣人事局の意向を忖度するようになり、内閣官房のメンバーに阿るようになった。省庁のヒエラルキーの頂点に立つ、自分たちの司よりも、内閣官房という部局、延いては官房長官や総理大臣の顔色を窺うようになっている。真のエリート不在が招いた必然である。
現下の窮状は、小手先の改革や反民主主義を腹蔵する憲法改正案では解決できるはずもない。真の国家のリーダーを選び出す、抜本的な政治改革が実現しなければ、この先日本は、推進力を失った船のように、漂流し続けるしかないだろう。その抜本的な改革が始まるかどうかは、私たち国民の意識に懸かっている。
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