月に1回、日帰りで近江の歴史を探る旅を重ねて早くも3年目に入った。主目的は古代から中世の史跡を訪ねることだが、近頃ではそれに付随して、近江の味覚を探るのが副目的になりつつある。日帰り行とはいえ、昼食(時には夕食も)は成る可く江州ならではの伝統の味に触れるようにしている。
海に恵まれた在住地の遠州では、一般に淡水魚は好まれない。川魚というと顔をしかめる人が多い。惣菜魚は海魚一辺倒、宴席でも魚はもっぱら海魚である。川魚はアユかウナギしか用いられない。遠江から駿河、伊豆、相模に至る地域は、海魚食一辺倒の食文化風土といえる。
西に目を転ずると、食の様相が変わる。三河は三河湾・伊勢湾に面し、遠州以上に海産魚介に恵まれている土地柄だが、三河の名が示すように、河川が3本も集中し、住民は海魚に劣らず川魚をも好む。それは隣接する木曽・長良・揖斐の3河川が広大な濃尾平野を潤す伊勢湾岸地域の食文化に似る。つまり、豊川から西の揖斐川までは、海魚と川魚との両方を常食する食文化圏が広がっている。豊川を境に、彼我の食文化の違いは歴然としている。
ここで海魚と川魚を整理しておく。海産アユやサケは降海性回遊魚、ウナギは遡河性回遊魚で、コイやフナのように一生を川や池で過ごす川魚ではなく、海魚に近い。生活史の中で川で過ごすことはあるが、生活の本拠は元々海だった。ヤマメ、イワナは、川と海を往復する降海魚だったが、気候の変動により海に戻れなくなった陸封魚である。琵琶湖の湖産アユのように、地殻変動と気候変動により、降海できなくなって生活史の全期を淡水中で暮らす固有の魚もいる。厳密な意味で川魚と呼べるのは、コイ・フナ・ナマズ・モロコ・などのコイ科の魚やドンコ・カジカ・ヨシノボリなどのハゼ科の魚である。
私のような天邪鬼は、身近に川魚を食べられないとなると、無性に食べたくなる性分だから困る。日頃、日本酒と淡水魚介との化学的適合性を強く意識している身には、嗜好を任意に満喫できない在住地での食生活は、甚だ不遇と嘆いていた。
それを補おうと、10年以上にわたり月に一回、浜名湖を越えて豊橋へドジョウを食べに通っていた。その店は戦後間も無くからの店で、古くからの常連の多い店だった。店主が高齢で亡くなると、奥さんが数年の間営業を続けたが、結局客たちに惜しまれながら閉店してしまった。永年夫婦で意気のあった仕事をしていた店である。ドジョウ・ウナギの調理と接客を独りでこなすのは無理がある。以来、近江行を始めるまで、私の淡水魚嗜好は、10年近くブランクの状態にあった。
滋賀県(江州)は、日本の淡水魚食文化の発祥地であり中核地でもある。本家本元と言っても良い。海の無い江州では、遠州と対照的に、琵琶湖とそれに注ぐ多数の河川が育む淡水性の魚介類を食べる文化が、縄文・弥生の昔から根付いている。
アユ(湖沼陸封型アユ)・コイ・モロコ・ハス・フナ・ウグイ・ヒガイ・ゴリ・川エビ・シジミなど、コイ科の魚を主体に淡水魚介類の食材が豊富だ。バラエティに富んでいることに驚く。琵琶湖のアユは生涯を淡水で過ごす陸封魚だから、生粋の川魚の部類に加えてよいと思う。
これら近江伝統の淡水魚介の味は、日本酒の肴として卓抜なものばかりと確信している。まことに日本酒と相性が佳い。相和すと言うべきかもしれない。その理由については、当ブログに陋説「酒について」を載せておいたのでご笑覧を願いたい。
日本酒とその肴のルーツに考えをめぐらすと、琵琶湖から淀川水系にかけて、淡水魚食文化圏といえる広大な地域が存在することに気づく。
近江の歴史に関心を抱く7・8年前に、伝統の鮒寿司を購入するため湖西高島市に足を運んだことがあった。これが、ニゴロブナ(琵琶湖固有亜種)を米と塩に漬けた熟鮓「鮒ずし」に馴染む始まりだった。
ちょうどその時、フランスのテレビ局のクルーが、日本の発酵食品を取材するためこの店に来ていた。彼らの発酵文化、チーズとの対照でプロデュースされた企画だろう。
その日は、来店の客などそっちのけの騒ぎだった。まことに日本人は男女を問わず欧米人特にフランス人に弱い。フランス人に認められる絶好の機会に、創業何百年の老舗が我を忘れ、日頃顧客に示すプライドをかなぐり捨てる珍しい姿を垣間見た。
購った鮒ずしのひとつを、帰って初めて口にしてみた。さほど違和感もなく賞味できたが、家内はその匂いに卒倒せんばかり。以前くさやの干物を持ち帰って食べようとした時を彷彿させる騒ぎになった。
以来、滋賀に赴くたびに、鮒ずしを現地で食べたり持ち帰ったりしている。フィルム密閉されているものを購入し、嫌がる家内を宥めすかして冷蔵庫に保存、時たま晩酌の肴とし愉しんでいる。熱湯で戻して食べる方法を現地で教えてもらってから、いっそう愛好の度が増した。
鮒ずしの次に覚えたのが琵琶湖固有の本モロコの佃煮の味。小アユの佃煮とはまた風味が違って、甲乙つけ難い。早春が旬の魚で、素焼きで食べるのが一番らしいが、まだ時宜を得ず食べたことはない。
ハスという魚も、今は湖産アユの放流で全国に拡散しているらしいが、本来は琵琶湖の魚だったという。これも、近江の食材の一つだろうが、私はまだ食べていない。
そして同じく固有種の瀬田シジミ。たまたまウナギを食べに入った瀬田の店で、はからずも漁期の最中の、普通のシジミ10個分はありそうな大きなシジミの味噌汁にありついた。
考古学では、近江は九州北部と並んでこの国の稲作発祥の地と目されているらしい。淡水魚食文化は、水田稲作文化の内に包摂されて渡来し、稲作の拡大とともに広まったと見る。九州北西部にも同様の文化圏が存在する。
毎月味わう近江の食は、日本の食文化を考える上で、多くの材料を提供してくれている。
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