てんちゃんのビックリ箱

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展示会「幻の愛知県博物館」訪問

2023-08-07 21:53:04 | 美術館・博物館 等


<展示会入口に置かれた 名古屋城金鯱の実物大模型(中は発泡スチロール>


 愛知県にかつて勤めていた人からの紹介があって、標記の展示会を訪問した。なお愛知県は現在は博物館を持っていない。

展示会名:愛知県美術館企画展 幻の愛知県博物館
場所  :愛知県美術館
期間  :2023年6月30日~8月27日
訪問日 :8月2日
HPに示す内容
 Ⅰ章  旅する金鯱
  Ⅰ-1 「無用の長物」、世界を巡る
  Ⅰ-2 博物館とは、何するところ?
  Ⅰ-3 鯱の行方──名古屋城は誰のもの?
 Ⅱ章  幻の愛知県博物館
  Ⅱ-1 愛知県博物館、開館!
  Ⅱ-2 商品陳列館の敏腕館長
  Ⅱ-3 美術館が欲しい!──画家たちの展示場所
  Ⅱ-4 陳列所の展開と、もう一つの博物館
 Ⅲ章  ものづくり愛知の力
  Ⅲ-1 朝日遺跡──ヒトとモノが行き交う市
  Ⅲ-2 ミツカン──江戸の寿司を変えた粕酢
  Ⅲ-3 ガラガラ音が、三河に響く──ガラ紡の普及と養蚕奨励
  Ⅲ-4 売れ線陶器に学ぶ──産総研のドイツ参考品
  Ⅲ-5 ファンデーションを支える──奥三河の絹雲母

概要
 私にこの展覧会を紹介した人は、愛知県の産業振興をかつてやっていた人で、その背景を知ってほしいとおもっていたようだ。一見全体からは主題があっちへいったりこっちへいったりだとおもったが、日本の中ではかなり成功している愛知地域の産業振興という意味では、時代をちゃんと追っているとおもった。
 以下に各章ごとに、興味をもったポイントについて記載する。

Ⅰ章  旅する金鯱
 名古屋を含めた日本が、博物館そして展覧会に目覚めたきっかけは、名古屋城の金の鯱にあったということが面白かった。
 徳川幕府が滅びた後名古屋城は陸軍省の管轄となったが、省としては文化財の維持は金がかかるからやれないということで、鯱は地上に下され解体の可能性があった(軍としては無用の長物)。 



<金鯱を下した名古屋城の図>



<国内博覧会の絵、一番奥に金鯱>


 それを、日本初の博覧会とされる1872年の東京湯島聖堂博覧会に展示したところ大当たり、そこで国内の博覧会を順に回るとともに、1873年のウィーン万博に展示したところ、これも大当たりした。
 こういった経験を元に、興味あるものに人は引き付けられること、また欧米では博覧会以外に継続して興味あるものを展示する博物館とやらがあることを、明治政府は知った。それで博物館を作らせようとし積極的に動く人もでてきたが、そのイメージが下記のような3種類あった。
 ・大英博物館のようなもの
 ・産業科学館のようなもの
 ・植物園のようなもの
 そんな感じで、博物館の模索がはじまったようである。
 なお鯱の価値を知った名古屋の人々は、名古屋城本丸を離宮として宮内省の管轄とするように動き、軍を城から外して鯱を名古屋城に再び取りつけた。

 ところで、金鯱は第二次世界大戦にて炎上した。それに使われた金箔は、なんと茶釜になっている。

 

<炎上してはがれた金箔。それらを集めて製造された純金の茶釜>

Ⅱ章  幻の愛知県博物館
 愛知県では、何回かの大規模博覧会開催の経験を元に、1878年に名古屋市の現在の大須の場所に、民間からの寄付金を集めて、古く貴重な文物から味噌や醤油、酒、木材、織物、陶磁器、絵画、機械、動植物等々、国内外のあらゆる物産を集め、人々の知識を増やして技術の発展を促す博物館を作った。いわば常設の博覧会のようなもの。
 それが先進的な商品見本を展示・販売して県下の産業を刺激する商品陳列館へと、徐々に姿を姿を変えていった。しかし美術界の要望にも答え、その展示場所も作った。
 三河地域用の商品陳列分館も作ったり、徳川家が作った明倫中学校に付設された自然博物館も、県へ寄贈されてその傘下となった。



<かつてあった愛知県博物館の入口>



<集めたデザインにかかわる商品見本の例>



<美術品展示場の写真>



<徳川家が作った明倫中学校付設の自然史博物館展示品 のちに愛知県所属>


Ⅲ章  ものづくり愛知の力
 愛知県博物館は戦後消滅してしまったが、もし現在存在し特に殖産興業の面で愛知の歴史を辿るとするならばということで、下記の特徴ある展示品を並べている。
 ・古代:焼き物ー朝日遺跡
 ・江戸期:酢ー江戸前寿司
 ・明治:絹の紡の機械ー絹織物の基盤の大発明
 ・大正:第一次世界大戦時の青島からのドイツ人捕虜から得たヨーロッパ新技術展示会を実施
 ・現代:絹雲母ー化粧品のファウンデーションのベース粉末



<ドイツ人捕虜の製作品展示会のチラシ>



おわりに
 江戸時代には見世物小屋の文化はあったのだが、その規模を大きくした博覧会のような文化はなく、また常設の博物館のような文化もなかった。そういった環境下で、国内にそういった文化を根付かせるとともに日本の魅力を海外に認めさせる目玉として、金鯱が活躍したのは面白い。
 そして愛知県で博物館を作ったら、それがどんどん産業振興を目的とした商品陳列館に変貌していったというのも、この地域らしい。
 3章はおまけだが、青島から捕虜として連れてきたドイツ人に祖国で作っていた製品を作らせそれを展示したということも、どっかの第九を歌わせたというのとは違ってこの地域の凄さと思った。

 その時の美術館の通常展示については、別途報告する。 

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