てんちゃんのビックリ箱

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名都美術館 川合玉堂展 訪問

2023-12-10 21:25:24 | 美術館・博物館 等
開催場所:名都美術館
展覧会名:生誕150年記念川合玉堂展
会 期:2023年10月13日(金)~12月10日(日)
訪問日:2023年11月15日/12月1日 (前期/後期展示を見るため)
惹句:心に響くノスタルジックワールド
内容:川合玉堂のデビュー時から晩年までの作品。




チラシ 絵は「秋嶺白雲」 昭和15年の作品。



1.玉堂について および展示の概要
 川合玉堂は、愛知に明治6年(1873年)に生まれその後岐阜に引っ越しを行った。そこで京都から来た画家の指導を受けて画業を始めた。その関連でまず京都へ出て四条派、円山派に学び、写生の技術を極めた。そして画壇で頭角を表した。その後橋本雅邦の技法に憧れて東京に出て、岡倉天心率いる日本美術院に参加し、新しい日本画活動に参加した。
 その後日本画壇の中心として活動したが、写生からくる写実的な画に加えて、後日琳派の装飾的手法も取り入れた。
 戦後は奥多摩に住んで、仙人のような生活をしその地域の風景や人々を描いた。
 展示作品は、その各段階での作品が集められているが、前期時代の関わりから中部地域に随分作品が集められているとともに、奥多摩の玉堂美術館の作品が多い。
 前期/後期で66点の展示のうち、名都美術館から14点、玉堂美術館から30点が展示されている。

2.作品について
 作品の所有権管理がなかなか厳しそうなので、作品紹介はチラシに掲載のものに限る。

(1)岐阜~京都在住の頃
 京都画壇の技術、特に円山派の技術の基本を身に着け、写生で多くのものを描いている。この時期の絵がチラシにないので紹介できないが、円山派の描く画で丁寧な仕上がりのものが多い。水墨画もしくはそれに少し着色する程度で、あまり華やかなものはない。
  最初の展示が18歳で描いた大型の水墨画による松を描いた屏風で、早い段階で贅沢な画材が使える環境にあったようである。


(2)東京移動後
 色彩がカラフルになってくる。日本美術院の周辺の影響があるのだろう。
 彼は、外界の色や光を表現する際に、西洋画ならそれを表現する絵具があるが、日本画の場合には(洋画に比べて)画材が限られており、それを組合わせていかに表現するかが難しいと言っている。それはある意味うまく表現出来たときの喜びだったのだろう。
 下はその頃の作品。



「錦秋」 明治38年



(3)琳派への注目
 今回の学芸員は、琳派の影響を受けた玉堂作品を非常に好きなようで、金箔を貼った豪勢な屏風の作品な屏風の作品を展示している。それを2点示す。
 彼自身は日本画の今後に対して、琳派の装飾画的可能性を期待してその技術を取り入れようとした。
 まずは、トウモロコシ畑の作品。
 構図は琳派風だが現代的な画題であり、くっきりとした輪郭の中にべたりと色が塗られている。とても力強い。そして一方はイタチが観る人の様子を伺っている。もう一方は虫食い穴の開いた雑草が画面を引き締めている。



「背戸の畑」 大正3年


 次はほぼ琳派に近い紅白梅の作品。
 木の幹には垂らしこみの技法を使って模様を付けているが、色合いは琳派の頃とはやや違う。枝ぶりも工夫があって面白い。



「紅白梅」 大正8年



(4)昭和前期
 この頃から、独自の色調の作品が多くなるように思う。各所を回りたくさんのスケッチを続けている。そして描くものは、「そういった写生のヒントがもとになって、それに自分の連想が加わり、絵としてまとまるわけです。」そうだ。スケッチを何枚か描くことで、心の中に対象を描き、紙の上にそれを表現するとのこと。
 鵜飼を何度も描いていて、下記は最高傑作とも言われる作品。
 急流の中の鵜飼で、炎と煙が幻想的で、それに照らされる水面や樹々の風情が素敵である。奥の鵜飼船と合わせてとても立体的。
 このころから「ノスタルジック」というキーワードに納得する作品が多くなる。



「鵜飼」 昭和6年

(5)戦後 奥多摩
 奥多摩の自然とそれに調和したような地域の人々を描いた。この頃の作品を2点示すが、前者はのどかな野山の風景に垂らしこみの手法をさりげなく使っている。そしてのんびりとした牛とそれを追う人を描いている。後者も自然に囲まれた一軒家と小さくそこで生活する人を描いている。
 多分ベビーブームの人々ならば、子供の頃にこんな風景があったなと記憶の中を探るかもしれない。



「春光」 昭和23年



「小春」 昭和28年

3.おわりに
 川合玉堂は、日本画家として人気が高いが、生れ育ちの地縁もあり東海地域で特に人気が高い。2回目に行った時にちょうど学芸員の展示解説が行われていたが、部屋がぎっしりになっていた。
 ガイドブックを購入して読んだが、玉堂は真摯に画業に取り組むだけでなく、自分の表現の技術を周りにも伝えようとしている。そしてその言葉は私レベルでも理解でき、心がけなくてはとおもった。

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