前回に3回目で、東館と彫刻庭園を書くと言っていましたが、以前に既に書いていました。
https://blog.goo.ne.jp/tenchan-ganbare/e/50dcc9a78711d9d8b6b475d88cf079ac
そこで、西館の展示物を2回に分けて紹介をする。
本当ならば前回の2人に続いて、見ようとしていたのは現代の美術のマネーメイキングスターであるピカソとマティスだった。でも残念ながらそれらが展示されている東館の2階以上が立ち入り禁止になっていた。これも自然史博物館と同様に、ヒラリークリントンの選挙集会対策と思われます。
素直にフロアガイドを眺め、西館の中でよく取り上げられている絵画等を順にみていくこととした。ここの展示は部屋ごとにテーマ別で区分されていたが、だいたい時代区分になっていたと思う。手元のカタログを見ると1100年から始まっているが、早い時期のものはキリスト教関連のものばかりだったので、1400年以降のルネッサンスの部屋から始めることにした。今回は印象派の前までとする。
1.ルネッサンスの頃の作品
ダビンチや ボッティチェッリ、リッピなどが展示されている。ルネッサンスの画家の絵を観るのは、30年以上前にルーブル美術館に行って以来か。
(1)レオナルド・ダ・ビンチ 「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」
<顔の部分の拡大図。
アメリカ大陸に唯一存在するダ・ビンチの絵。。
フィレンツェの商人のお嬢さんの肖像だそうだ。一見して笑ってしまうところだった。眼とか口元が本当にリアル。リアルすぎて女性としての魅力は現代基準ではないし、ルネッサンスの頃でも疑問だ。
でも髪は見事に装飾的。背景の木の緑の描き方もかなり装飾的だ。こういった描き方をするならば、眼や口をもっとかわいらしくとか将来の優しい母性を垣間見せるとかのやり方はあったろうに、全然容赦ない。きっとたくさんのお金をもらっての依頼仕事だったのだろうに。
でも背景説明によると、彼女は愛する人と引き裂かれて意に染まぬ結婚を強いられようとしている状況だったのだそうだ。その怨念を表しているとするとすごいし、そんな怨念が残る記録が残ってしまうのもすごい。
本人は当然老いてなくなってしまうが絵画は残り、数世紀にわたってこのリアルな泣きはらした眼が、自分の不幸な姿を見に群がってくる鑑賞者をクールに眺めていたのだろう。
(2)ボッティチェッリ 「東方三博士の礼拝」
ここにはフィレンツェの画家、ボッティチェッリの作品が数点ある。「ビーナスの誕生」とか「プリマベーラ」などの美人で有名なのだけれども、「東方三博士の礼拝」(生まれたばかりのキリストへの高名な博士の礼拝)という絵も傑作として有名という話を聞いていた。その題目の絵画があったので、かなり興奮した。
絵画自体丁寧に書き込まれたもので、中間色のカラフルな人物たちが集まっているのが、現代から見てもポップな感じでいいじゃないと思った。そしてメディチ家の家族が紛れ込んで描かれているとか聞いていたけれど、集まった人は平等に描かれているなと思った。
しかし帰ってから上記は間違いと気が付いた。この人は同じ表題の絵を何枚か書いていて、ウフィツィ美術館のものにメディチ家が描かれていると歴史的な意味で有名なのだった。参考に次に示すが、三博士や両端の人物など顔がきちんと描かれていて、確かにとても生臭そうな絵画であり、絵の中にそういった仕掛けをしているという緊張感が、この絵を名画にしているのだろう。うんちく好きな人も多いし・・・
でも私は、ワシントンのもののほうが群集のお祝いという感じで好きである。
なおロンドンのナショナルギャラリーにも、この作者の同名の絵画があるとのこと。
<参考 ウフィツィ美術館の作品>
(3)ファン・デル・ウェイデン 「女性の肖像」
この作家は知らなかったが、ギャラリーの発行しているガイドブックの表紙だったので、見に行った。後で確認してみると、初期フランドル派の大物。((ブリュッセル在住)
A4サイズを少し大きくした程度の大きさの作品。 本当に丁寧に描かれている。ヴェールの透けたかんじなんかため息が出るほど。南のイタリアルネサンスのボッティチェッリの描くようなふわふわした女性とは違い、静かで一本芯の通った、地に着いた女性が描かれている。そして現代でも、こういった伏し目がちでしっかりとした口元の女性と出会いそうである。
(4)ヒエロニムス・ボス 「死と悲惨」
これは私の趣味で見に行った。ボスもフランドルの人で、ブリューゲルに連なる奇想の人として知られている。
ベッドの人は死神が迎えに来ていて、まもなく死のうとしている。ベッドの手前は武器や金があるが、身一つで旅立つこととなる。斜め上から十字架が光を放ち天使が指さしているが、彼の左下には悪魔が金らしきものを持たそうとしている・・・・ どう選ぶのかという場面・・・ この人の絵は魔的で面白い。絵そのものにクイズがいっぱいで、見ている間、これは何だろう、何を意味するのだろうと考えてしまう。ブリューゲルの絵も同様だった。
2.ルネッサンス以降で印象派の前まで
(1)ヘラルト・ファン・ホントホルスト 「演奏会」
この絵も、美術館ガイドブックの口絵で大きく取り上げられているので見に行った。そして一目で気に入った。なおこういった絵探しは、ボランテアおばさんがフロアガイドにささっと丸を付けてくれる。
この人はオランダ出身で、その頃のヨーロッパの人気作家。宮廷画家としてたくさんの肖像を描いているが、こういった人々の集まりも多く描いているようだ。イタリアに遊学した時にカラバッジョに染まり切ったこともあるとのこと。この絵も光と影の作り方で確かに影響を受けていると思う。
それよりも気に入ったのは、合奏の楽しさを見事に表しているなと思った。大学の頃一時期音楽のクラブに所属したが、こんな感じで、うまい人たちがセッションをしていた。
テーブルに光源があるけれども、後ろを向いている人が強い光をさえぎって、優しい光としてみんなを照らしている。それでとても暖かな雰囲気が伝わってくる。
調べてみると、ルーブル美術館も、下記のこの人の音楽の作品を目玉にしているようだ。たぶんこちらの美術館がライバル意識を燃やしているのだろう。ルーブルの絵はシンプルに楽しそうでやはり好きだが、こちらの美術館のもののほうが、普通の街の中の集いでそれぞれの人生を背負いつつ楽しんでいるようで、いいなと思う。
<参考 ルーブル美術館の 「演奏会」>
(2)レンブラント 「自画像」
これは、歩いていて出くわしました。そして「やあ久しぶり」と言いたくなりました。子供の頃、父が買った画集がありましたが、この絵が表紙か口絵だったのでよく見ていましたから。この人はたくさん自画像を描いていますが、この絵のはずです。
顔の細かい凸凹、笑わない口元、そして半身の姿勢で相手を見定めようと探ってくる眼がとても不思議な感じでした。
久しぶりの再会でしたが、約1m角くらいの大きな画面の中で、やはり真剣に私を探ってきました。彼はこの絵を書きながら、自分は何者でこれからどうすればいいのかと一生懸命考えていたのだろうと思いますが、見る側もそう考えないと情けないよと語りかけていました。
(3)ゴヤ 「ボンテホス侯爵夫人の肖像」「サバ―サ ガルシア」
ゴヤは若い頃に伝記を読んでいて、数奇な運命に興味を持っていた。この美術館では彼がスペインの宮廷画家になり、その後ナポレオンの侵攻を受けて大混乱になるまでの幸せな日々の作品を数点展示していた。その後の闇の時代の作品を期待していたがなかった。
ここでは宮廷画家としての公式、非公式の2点を示す。
①「ボンテホス侯爵夫人の肖像」
<一部拡大図>
公式な肖像画。この絵に興味を持ったのは背に光を背負っているのに、その光を集めて前へと光り輝くように描いていること。ウェストの細さはご愛敬だけれども、腕の線で違和感なくがっちりした安定なフォルムを作っていること。
スカートの流れも優しく、どんなもんだいと自分の画力を示している。細かいタッチで丁寧に書いているのかと思ったら、靴や犬の顔の拡大写真に見られるように、なかなか荒々しい所もある。
②「サバ―サ ガルシア」
<顔の部分の拡大図>
一枚のみならこちらだった。でもゴヤの技術や立場を理解できないと思って、①の絵も入れた。サバーサはスペインの大臣の姪だそうだが、一目あってその美しさに驚嘆し、公的なすべての仕事を中止してこの絵に没頭したとの逸話がある。
侯爵夫人の様式的な美に対して、こちらは凛とした少女の美をあがめそれを表現しようとする一生懸命な気持ちが表れている。服は時代に関わらないもので、今の人が描いたと言っても驚かないが、経験からの洗練された技術と荒々しい迫力のタッチがミックスされていて、この完成度のものは想像できない。
ゴヤはこの絵を描きながら、彼女の美は若さにあると気づき、嫉妬に近い羨ましさを感じながら描いたのだろうと思う。それぐらい彼女は美しい。
次回は印象派中心。
https://blog.goo.ne.jp/tenchan-ganbare/e/50dcc9a78711d9d8b6b475d88cf079ac
そこで、西館の展示物を2回に分けて紹介をする。
本当ならば前回の2人に続いて、見ようとしていたのは現代の美術のマネーメイキングスターであるピカソとマティスだった。でも残念ながらそれらが展示されている東館の2階以上が立ち入り禁止になっていた。これも自然史博物館と同様に、ヒラリークリントンの選挙集会対策と思われます。
素直にフロアガイドを眺め、西館の中でよく取り上げられている絵画等を順にみていくこととした。ここの展示は部屋ごとにテーマ別で区分されていたが、だいたい時代区分になっていたと思う。手元のカタログを見ると1100年から始まっているが、早い時期のものはキリスト教関連のものばかりだったので、1400年以降のルネッサンスの部屋から始めることにした。今回は印象派の前までとする。
1.ルネッサンスの頃の作品
ダビンチや ボッティチェッリ、リッピなどが展示されている。ルネッサンスの画家の絵を観るのは、30年以上前にルーブル美術館に行って以来か。
(1)レオナルド・ダ・ビンチ 「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」
<顔の部分の拡大図。
アメリカ大陸に唯一存在するダ・ビンチの絵。。
フィレンツェの商人のお嬢さんの肖像だそうだ。一見して笑ってしまうところだった。眼とか口元が本当にリアル。リアルすぎて女性としての魅力は現代基準ではないし、ルネッサンスの頃でも疑問だ。
でも髪は見事に装飾的。背景の木の緑の描き方もかなり装飾的だ。こういった描き方をするならば、眼や口をもっとかわいらしくとか将来の優しい母性を垣間見せるとかのやり方はあったろうに、全然容赦ない。きっとたくさんのお金をもらっての依頼仕事だったのだろうに。
でも背景説明によると、彼女は愛する人と引き裂かれて意に染まぬ結婚を強いられようとしている状況だったのだそうだ。その怨念を表しているとするとすごいし、そんな怨念が残る記録が残ってしまうのもすごい。
本人は当然老いてなくなってしまうが絵画は残り、数世紀にわたってこのリアルな泣きはらした眼が、自分の不幸な姿を見に群がってくる鑑賞者をクールに眺めていたのだろう。
(2)ボッティチェッリ 「東方三博士の礼拝」
ここにはフィレンツェの画家、ボッティチェッリの作品が数点ある。「ビーナスの誕生」とか「プリマベーラ」などの美人で有名なのだけれども、「東方三博士の礼拝」(生まれたばかりのキリストへの高名な博士の礼拝)という絵も傑作として有名という話を聞いていた。その題目の絵画があったので、かなり興奮した。
絵画自体丁寧に書き込まれたもので、中間色のカラフルな人物たちが集まっているのが、現代から見てもポップな感じでいいじゃないと思った。そしてメディチ家の家族が紛れ込んで描かれているとか聞いていたけれど、集まった人は平等に描かれているなと思った。
しかし帰ってから上記は間違いと気が付いた。この人は同じ表題の絵を何枚か書いていて、ウフィツィ美術館のものにメディチ家が描かれていると歴史的な意味で有名なのだった。参考に次に示すが、三博士や両端の人物など顔がきちんと描かれていて、確かにとても生臭そうな絵画であり、絵の中にそういった仕掛けをしているという緊張感が、この絵を名画にしているのだろう。うんちく好きな人も多いし・・・
でも私は、ワシントンのもののほうが群集のお祝いという感じで好きである。
なおロンドンのナショナルギャラリーにも、この作者の同名の絵画があるとのこと。
<参考 ウフィツィ美術館の作品>
(3)ファン・デル・ウェイデン 「女性の肖像」
この作家は知らなかったが、ギャラリーの発行しているガイドブックの表紙だったので、見に行った。後で確認してみると、初期フランドル派の大物。((ブリュッセル在住)
A4サイズを少し大きくした程度の大きさの作品。 本当に丁寧に描かれている。ヴェールの透けたかんじなんかため息が出るほど。南のイタリアルネサンスのボッティチェッリの描くようなふわふわした女性とは違い、静かで一本芯の通った、地に着いた女性が描かれている。そして現代でも、こういった伏し目がちでしっかりとした口元の女性と出会いそうである。
(4)ヒエロニムス・ボス 「死と悲惨」
これは私の趣味で見に行った。ボスもフランドルの人で、ブリューゲルに連なる奇想の人として知られている。
ベッドの人は死神が迎えに来ていて、まもなく死のうとしている。ベッドの手前は武器や金があるが、身一つで旅立つこととなる。斜め上から十字架が光を放ち天使が指さしているが、彼の左下には悪魔が金らしきものを持たそうとしている・・・・ どう選ぶのかという場面・・・ この人の絵は魔的で面白い。絵そのものにクイズがいっぱいで、見ている間、これは何だろう、何を意味するのだろうと考えてしまう。ブリューゲルの絵も同様だった。
2.ルネッサンス以降で印象派の前まで
(1)ヘラルト・ファン・ホントホルスト 「演奏会」
この絵も、美術館ガイドブックの口絵で大きく取り上げられているので見に行った。そして一目で気に入った。なおこういった絵探しは、ボランテアおばさんがフロアガイドにささっと丸を付けてくれる。
この人はオランダ出身で、その頃のヨーロッパの人気作家。宮廷画家としてたくさんの肖像を描いているが、こういった人々の集まりも多く描いているようだ。イタリアに遊学した時にカラバッジョに染まり切ったこともあるとのこと。この絵も光と影の作り方で確かに影響を受けていると思う。
それよりも気に入ったのは、合奏の楽しさを見事に表しているなと思った。大学の頃一時期音楽のクラブに所属したが、こんな感じで、うまい人たちがセッションをしていた。
テーブルに光源があるけれども、後ろを向いている人が強い光をさえぎって、優しい光としてみんなを照らしている。それでとても暖かな雰囲気が伝わってくる。
調べてみると、ルーブル美術館も、下記のこの人の音楽の作品を目玉にしているようだ。たぶんこちらの美術館がライバル意識を燃やしているのだろう。ルーブルの絵はシンプルに楽しそうでやはり好きだが、こちらの美術館のもののほうが、普通の街の中の集いでそれぞれの人生を背負いつつ楽しんでいるようで、いいなと思う。
<参考 ルーブル美術館の 「演奏会」>
(2)レンブラント 「自画像」
これは、歩いていて出くわしました。そして「やあ久しぶり」と言いたくなりました。子供の頃、父が買った画集がありましたが、この絵が表紙か口絵だったのでよく見ていましたから。この人はたくさん自画像を描いていますが、この絵のはずです。
顔の細かい凸凹、笑わない口元、そして半身の姿勢で相手を見定めようと探ってくる眼がとても不思議な感じでした。
久しぶりの再会でしたが、約1m角くらいの大きな画面の中で、やはり真剣に私を探ってきました。彼はこの絵を書きながら、自分は何者でこれからどうすればいいのかと一生懸命考えていたのだろうと思いますが、見る側もそう考えないと情けないよと語りかけていました。
(3)ゴヤ 「ボンテホス侯爵夫人の肖像」「サバ―サ ガルシア」
ゴヤは若い頃に伝記を読んでいて、数奇な運命に興味を持っていた。この美術館では彼がスペインの宮廷画家になり、その後ナポレオンの侵攻を受けて大混乱になるまでの幸せな日々の作品を数点展示していた。その後の闇の時代の作品を期待していたがなかった。
ここでは宮廷画家としての公式、非公式の2点を示す。
①「ボンテホス侯爵夫人の肖像」
<一部拡大図>
公式な肖像画。この絵に興味を持ったのは背に光を背負っているのに、その光を集めて前へと光り輝くように描いていること。ウェストの細さはご愛敬だけれども、腕の線で違和感なくがっちりした安定なフォルムを作っていること。
スカートの流れも優しく、どんなもんだいと自分の画力を示している。細かいタッチで丁寧に書いているのかと思ったら、靴や犬の顔の拡大写真に見られるように、なかなか荒々しい所もある。
②「サバ―サ ガルシア」
<顔の部分の拡大図>
一枚のみならこちらだった。でもゴヤの技術や立場を理解できないと思って、①の絵も入れた。サバーサはスペインの大臣の姪だそうだが、一目あってその美しさに驚嘆し、公的なすべての仕事を中止してこの絵に没頭したとの逸話がある。
侯爵夫人の様式的な美に対して、こちらは凛とした少女の美をあがめそれを表現しようとする一生懸命な気持ちが表れている。服は時代に関わらないもので、今の人が描いたと言っても驚かないが、経験からの洗練された技術と荒々しい迫力のタッチがミックスされていて、この完成度のものは想像できない。
ゴヤはこの絵を描きながら、彼女の美は若さにあると気づき、嫉妬に近い羨ましさを感じながら描いたのだろうと思う。それぐらい彼女は美しい。
次回は印象派中心。
マドリッドにはプラド美術館ともうひとつピカソのゲルニカを所蔵している美術館があります。国立ソフィア王妃芸術センターです。以前はプラド美術館がこの絵を所蔵していましたが、新しく国立ソフィア王妃芸術センターを作った1992年に、移されました。
ダビンチの絵は、確かにどう見るか難しい所もありますね。
確かにピカソのゲルニカも魅力ですね。プラドには、ボスの快楽の園や、カラバッジョなどゴヤ以外にいろいろ興味のある絵があって、本当に行きたくなりました。