(その2)の記事における時代の後半は本来ならば、ロココとか新古典主義とかで、フランスの勢力が強いはずなのだが、そこで取り上げた作家がオランダ近辺やスペインで、実際にフランス人の絵は多くなかった。 きっとその時代のフランスの絵画については、ほぼフランスに任せて競合しようと、この美術館では思っていないのだろう。
19世紀初めの作品もフランス外が多いが、印象派以降になってようやくフランスとの作品の取り合いを始めているように思う。それとともに19世紀になってアメリカ人の画家を展示に組み入れようとしている。
その流れを作って、美術が20世紀にフランスからアメリカの時代になったことを、ここワシントンで誇る役割をこの美術館が持つのだろう。でもここにはアジアや他の国の美術はほとんどない。
ここでは眼についた19世紀の作品について、印象派の前のロマン主義の作家の作品、次に印象派からポスト印象派までの作家の作品を示す。
1.ロマン主義派等の作品
ロマン主義は、フランスのロココや新古典派に対抗した自由な活動だから、諸国で運動が起こり、アメリカとしても集めやすかったのだろう。かなりの作品がある。
(1)ヨハン・クリスチャン・ダール 「クリスチャニア近くのヴァケロからの眺め」
以前会議であったノルウェーの人と、ノルウェーの美術について話したことがあった。彼は国の画家ではムンクが国際的に有名すぎて、その精神的な暗さをノルウェー人のイメージとしてみる人がいるけれども、寧ろ国内では、ダールが国民的作家です。とてもロマンチックなので是非見てください、私たちもロマンチックなのですと言った。
それで今回 意識して見に行ったら本当にロマンチック。
明るい月夜の中のカップルが描かれている。中東なら月の砂漠というところだが、ノルウェーでは、帆船、干網、輝く水路の中に二人の未来がある。
(2)ジョゼフ・マロード・ウィリアムス・ターナー 「月光により石炭の中で働くはしけ乗組員」
<はしけ部分の拡大>
イギリスのターナー。ロマン主義どころか一人で印象派も乗り越えて抽象画まで到達してしまった人。
この絵は最初見た時、戦争関連の絵かと思った。しかしこれは産業革命の頃の下層労働者を描いた絵なのだそうだ。右側は石炭を積んで川を下ってきたはしけで、はしけの乗組員が
左にある船へと、トーチの火の明かりの中で石炭を積み替える作業を実施している。
右に過酷な労働があり、左に世界への夢がある。そのギャップを月光の大洪水が浄化している。彼は労働者階級出身だから、きっと産業革命に伴って階級格差がいっそう厳しくなったことを認識していただろう。
(3)ジャスパー・フランシス・クロプシー 「ハドソン川の秋」
19世紀にアメリカで イギリス留学等によってロマン主義の影響を受けた人たちが、その頃アメリカの美しい自然を忠実にというよりも、憧れを持った美しさで描いた。その描いた対象が、ハドソン川の流域が多かったので、ハドソンリバー派と呼ばれる。アメリカの多くの美術館でこのグループの美しい具象画が見られる。
この美術館では、アメリカ美術の源流がこの19世紀につくられたとして大事にしているようである。そしてこの写実重視がアメリカン・リアリズムの基盤になっていると思う。
この中でクロプシーは、北米の秋を鮮やかに描く画家として有名である。
以前、この作家の錦秋の絵を観たことがあるが、これはまだ初秋を描いた幅が約3mの大作。柔らかい陽射し、左手前の木の斜め下にハンターが3人寝そべって談笑をしている。それを囲む大自然。アメリカにとって夢の記憶がここに記録されている。
2.印象派
印象派はロマン主義や写実の精神をもっと推し進めたもので、その頃の美術の中心のフランスに始まり、諸国家に伝播した。反アカデミズムで始まったので、フランス国内の作品でさえフランスが作品を優先的に集めることなく、諸国で蒐集されている。日本ですら松方コレクションなどの成果を得ている。
この美術館では、印象派のきっかけのマネ、先日掲載した印象派そのもののモネ、そしてそれを展開したセザンヌという、骨格をなすコレクションを持ち、いっそうの広がりを見せたゴッホ、ゴーギャン、ロートレックなどを多彩に持っている。 そしてアメリカ人のカサットなどの活動もアピールしている。
(1)エドーアル・マネ
① 老音楽師
<老音楽師と子供の顔 拡大>
マネは色を混ぜずに並列にタッチとしておくことで、視覚的に混色としてみるようにする技法をはじめ、モネとルノアールに影響を与えた。その技法でこの絵も描かれている。
多分ジプシーの小汚い老音楽師と家族の少女や子供を、普通の人達が嫌そうに見ている。
でも家族の上の空は青空だし、老音楽師の顔は優しくって明るい。なんといっても眼がいい。
きっと子供たちを幸せな世界へ連れて行ってくれそう。
②鉄道
この絵はガイドブックの口絵に使われ、この美術館の看板の絵となっている。そして上の絵が印象派のリーダーたちに影響を与えた絵であるのに対し、この絵は若い印象派の画家たちから、マネがテーマ設定や蒸気の扱い方などで影響を受けて描かれたものとされている。
女性2人の対比が主題で、白に縁どられた青の服を着てこちらを見据える大人の女性と、白の服に青のアクセントのリボンのベルトを着け向こうを眺めている子供の女性が並置されている。髪も一方は流されているし、もう一方は束ねられている。大人の女性の眼は鋭く射すくめられて身動きができない。でもそこから子供が抜け出して、少女の隣ではしゃぎながら機関車の動きを眺めてみたい。
<大人の女性の鋭いまなざし>
(2)ポール・セザンヌ
セザンヌは印象派からキュビズム等の20世紀美術への橋渡しをした人である。静物や風景などの連作が知られているが、私は意志を持った人間を徹底的に物体として描こうとした絵に興味を持っている。ここにあった2点を紹介する。
① 赤いチョッキの少年
これは昔からの絵画教育に使う彫像のように少年をポーズさせて、それを描いた作品。過去の絵画に対する自分の到達点を示そうと思ったのか。
人形のように無表情で、全体を見ても感情のキーになるものはなく、そこにドンと立っているのみである(と思う)。 でもだからこそ、こちらのどんな感情をぶつけても、クールになって自分で整理をはじめ出すことができるように思う。
② ハーレクイン
この絵は①の絵と同様に描かれた絵だが、道化師という固有の記号の持つ理解されない寂しさとか孤独を強く感じさせる。後ろの壁は、実は霧がギシッと押し固められたもので、いよいよとなったらそこを通り抜けることもできるし、すうーっと拡散して絵画の中を覆ってしまうかもしれない。
(3)ゴッホ
ずっと絵を描いてきたが、いきなり独自の美に開眼し、その後たった10年間で輝き切ってしまった人。この美術館は約10点保有している。
①緑の麦畑
ガイドブックの口絵に取り上げられている絵。
ゴッホは黄色やオレンジでガリガリ描いた麦畑をたくさん残している。それに比べてこの緑のものは一見やさしいなと思った。でも緑の草原のタッチも空のタッチも、他の作品と同様に激しいもの。やっぱりここには強風が舞っている。そして見る人の気持ちを一瞬に爽やかにする。この緑のものも気に入った。
②自画像
<髭の部分拡大>
ゴッホが死亡直前に描いた自画像のうちの1枚。
以前は輝いていた金色の髪や髭が色あせ、星月夜よりも深い藍が頭を締め付けようとしている。眼の輝きも鈍い。
(4)ポール ゴーギャン 「悪魔の言葉」
<女性の顔と悪魔の顔>
ゴーギャンは未開のタヒチに憧れ、そして溺れた。やはり10点ほどある作品の中から、きっとそこで囁かれていただろう言葉を描いたこの絵に、惹かれた。
蠱惑的な女性の後ろに控えている悪魔? ここの悪魔は西洋の悪魔のように残虐そうではなく、一瞬に命を奪ってしまうようなものではない。むしろちょっと見、素っ頓狂な顔をしている。でもだからこそ、いつの間にかからめとられてしまい、生きながらに操られてしまうという、一層の怖さを持っていると感じたのだろう。
(5)メアリー・カサット 「青い椅子の上の少女」
カサットは印象派の3大女性画家とされるアメリカ女性である。描く対象は母と子、女性などである。実力が認識された女性としてアメリカでは、フェミニズムの先頭に立たされた。
この絵では、犬と遊んでいただろうお転婆な娘が、疲れてでもつまらなさそうに生意気な格好で椅子に寝ころんでいる。犬の方が疲労困憊している雰囲気である。とても微笑ましく
楽しくなってくる。青い鮮やかな
椅子が高級そうな質感を持っていると思ったら、ものすごく勢いのある粗いタッチで描かれている。
画面全体としては、見守る優しい女性の視点を感じるのに、それを表している画風はなかなか力強いことに不思議に思う。
こういった感じで美術の歴史の中にアメリカ人を組み込み、20世紀はアメリカ人の大活躍に誘導するようなとおもったけれども、残念ながら前述のようにその部分の展示を観ることができなかった。
そう簡単にワシントンは行けないし、コロナ渦もあるけれど、機会が生まれれば行ってみたい。
前回書いたように、東館と彫刻庭園については以前書いていたので、これでワシントンナショナルギャラリーに関する記事は終わりにします。
カサットは私の好みの絵を描いているので好きな画家です。
ここではアメリカの画家を非常に大事にしていました。カサットは結婚していないのの子供や、母子の絵に見られる眼の優しさがありますね。