天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

甘い利益供与があったことは明らかだが‼️

2019-11-24 19:25:54 | コラム



秘書の管理責任をとり内閣府特命担当大臣職を辞した甘利明議員であるが第4次安倍内閣では自由民主党税制調査会長に就任しており疑惑を払拭してこれからという矢先である。

安倍首相とも近しいベテラン議員であるだけに今回の女系天皇容認発言には空いた口が塞がらない。

日本会議、神道政治連盟、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会である彼の唯一の気に掛かっていたことが日韓議員連盟に所属していることだったが、いよいよ金銭授受疑惑問題で大臣職を辞した。

税制調査会長に返り咲いて復活の兆しが見えていただけに今回の発言は非常に残念である。

古希を迎え遂に痴呆とも思える症状なのかと残念を通り越して憐れみすら感じる。

國體を理解していないのか、一般人でもわかるような皇室、皇統の伝統に無関心では済まされない、これが日本の政治家のレベルなのかと閉口する。

少なくとも自民党内においては統一した見解として纏めるか、国益と尊厳を守る会に一任して欲しいものである。

バイトテロの素因

2019-02-11 08:00:56 | コラム




インスタ映え、バカッターなどと持て囃され仲間内での悪ふざけがSNSで拡散される。所謂炎上やバズると表現される閲覧数の驚異的な伸びは普通人から有名人へと数時間で到達可能なツールを小学生までが所持する時代となった。

目的は人気者になりたいという極単純なことに思えるし、嫌われる事を前提として行う者は皆無だと思う。謂わばIT革命の弊害とも言えるかも知れない。ゾゾタウンの社長がツイッターを辞めたようだが広告としての効力はオールドメディアを遥かに凌駕したと言ってもいいだろう。

予想通りこの弊害は当然ながら企業が雇うアルバイトにまで侵食され始め、その効力は誇大広告ならぬ逆誇大広告として企業イメージを毀損し始めたのだ。

これらの素因はなんであろうか。

日本人が戦後教育で齎した重篤な結果としての一面を表していると見ることが出来ないだろうか、つまり、国家観、愛国心を放棄しあまりにも個性を重視しすぎた結果と言える。

戦前の教育勅語が日本人の道徳心を育てる柱となり得たことを考えればそれを全否定し、個性を重視すれば結果は自ずと知れる。

要するに道徳心の欠落とIT化である。


くら寿司を例に挙げて短期的対策を考えて見よう。

今更ながらアルバイト教育を一から始めていては損失は補填出来ないだろう。では残る選択肢は二つである。

この従業員に賠償させ見せしめにするか、調理場を可視化するかである。

企業イメージを考えれば当然後者だろう。くら寿司は隠しカメラで客室と厨房を監視している筈である。にもかかわらず今回の事件が起きてしまったか疑問ものこるが、原因が道徳心とIT化であればもう厨房のライブ配信しかないだろう。総務部か広報部がこのブログを見ていたら御一考頂きたい。

ウォーキングデッドの残虐性

2018-11-20 20:11:01 | コラム



アメリカのテレビドラマシリーズで視聴率No.1を記録しているウォーキングデッドは死者がゾンビ(ウォーカー)となって人間を襲いパンデミックのように爆発的に増える中サバイバルする人間模様を描いているドラマだ。

ゾンビといっても元々人であり血も出る、その殺しかたも極めて残虐であるのは、ストーリー上のお約束があるからだ。つまり、死んだらみんなゾンビとなり、人を襲い、それを退治するには脳を破壊しなければならないというルールが存在し、自ずと残虐になってしまう。

自力でその存立を維持し、防衛することを自存自衛というが、まさにあの大戦で日本が米国と戦ったときと同じであり、米国もまた自存自衛で日本と戦ったのである。

要するに、日本も正義の戦いであり、米国も正義だった訳である。しかしながら、日本は侵略戦争とされ、南京事件で大虐殺を行ったとされた。米国は東京、広島、長崎の無辜の民をウォーカーのように虐殺したが、大虐殺とは呼ばれていない。

結果的にアメリカは正義の裏側に人種差別と残虐性を併せ持ち上手くバランスさせている。
ウォーカーとしてのお約束、「人を襲う」は日本人にとっての南京大虐殺する野蛮な民族だったのだろう。

猿の惑星は日本人をモデルにしたらしいが、ウォーキングデッドに日本人出演者はゾンビ役の女子大生だけだそうだ。ひょっとしたら少なからずウォーカーが日本人をモデルにしている可能性も否めないだろう。

猿からゾンビに出世したことを喜ぶ日本人はいないだろうが、ウォーキングデッドの残虐性にこんなことが頭をよぎった。

罰と罰

2017-12-17 12:53:05 | コラム
バツとバチである。

バツはとは、法令や特定集団における決まりごと、道徳などに違反したものに対する公もしくは集団が行う制裁行為である。刑法によって課される刑罰など罰を与えるのバツだ。

バチは罰が当たるであり、バツが人為的で事後に作用するのに対して、バチは抑止的な不確実性を含む曖昧さがある。

それを与えるのはバツのような人ではなく、神や鬼、天と言った不確実性の高い対象である。一見バチが幼児期の戒めなのに対し大人になればバツを確実に受け天罰などと揶揄されるのも興味深い現象である。

我々日本人は悪いことすればバチが当たると親から道徳的な躾として語り継いできた者が多いだろう。

従ってA級戦犯7名がバツとして処刑されたことに
漠然と戦争を始めた罪、悪い事であると勝手に変換されてしまっているのかもしれない。

其れまで国内法や国際法にすらなかった罪である。しかも、罪人はバツをうければ罪人では無くなる。それにもかかわらず靖国に合祀されたことが悪い事であるかのように分祀や天皇陛下も御親拝中断の理由と考える何者は日本人では無いのと同時に忘恩の徒である。

バチが当たるのはどちらなのかもう一度考えて欲しい。

レイプと慰安婦と女性の人権を考える

2017-05-31 11:06:09 | コラム


自ら実名と顔出しでレイプの被害者が記者会見をした。

強姦、婦女暴行をレイプと呼ぶが、事件の立証は同意の解釈とその有無から非常に困難を極める。
被害女性はレイプによる精神的苦痛やトラウマから記憶を呼び覚ます事が再び同等のダメージを受けるセカンドレイプにもなり得るので、裁判の証言時も細心の注意が求められる。この様な理由やその後の本人の生活を考えて通常実名顔出しは控える。

未成年のレイプは被害者の精神状態にダメージを与え、罪悪感、自傷行為、自殺に至る事例もあり、事件そのものを隠す傾向にある。
そんな中にあって実名、顔出しでのレイプ被害の会見は加害者への怒りと言うよりも、性犯罪全体、被害者全ての思いを代弁しているようにも感じる。

しかしながら一点だけ「共謀罪より優先して欲しい」の言葉だけが、政治的発言で、共謀罪阻止の為の政治利用とも取られかねない。この一言の為に実名顔出しの意味が全て政治的発言となってしまい、背景にあるものが性犯罪被害者ではなくなってしまうからだ。


再燃した慰安婦問題に関しても同様の違和感を感じていた。日本軍の慰安婦は圧倒的に日本人が多くその割に女性の人権被害者として名乗り出る者はいない。

そもそも戦時レイプを防止する為の慰安婦であり、現在の様に日本軍が悪では無かった時代の目的を持った慰安婦、しかも兵士の何倍もの給料を得ての慰安婦なので、恥じる気持ちが人権を超えているからであろう。

朝鮮人慰安婦を如何にすれば戦時売春婦から被害者となりうるか、それは強制的に慰安婦にさせられ、その主体が日本軍である事が必要条件である。つまり、「軍による強制性」が被害者となり得る慰安婦である。

歴史認識の軍国主義否定、悪の日本帝国軍の共通認識から現日本政府に対する賠償、謝罪の政治的目的に女性の人権を利用している。

あくまでも慰安婦問題を再燃したのは日本人であり、根底に女性の人権がある。

この伊藤詩織さんは山口氏を告発したが昨年7月に不起訴処分になっており、山口氏も今年4月からインターネットメディアに登場している。

通常不起訴に対し直ぐに不服申し立てをせずに何故今頃になって会見を開いたのか?との疑問を推測すると、TBSを退社したことが一つの理由で恐らく退社を社会的制裁と考え一旦は溜飲を下げたのだろう。

しかし、今年4月より山口氏の露出が増えそれを見るにつけ知名度もあがり沸々とした気持ちになったとの推測が可能だ。

もしこの被害を共謀罪との政治的な言葉を伊藤氏を利用して言わせたフィクサーがいるとすれば、被害的なレイプ犯罪はあまりにも犯罪性が疑われ慰安婦問題にも似た女性の人権を利用した政治的主張となってしまう。

しかも、性犯罪全体の代弁者から山口氏だけの憎悪という個人的動機での実名顔出しである。つまり、過去のTBS時代の山口氏の蛮行に「山口氏の強制性」があったとして現日本の司法に訴えるとの慰安婦と同じ構図が見えてくる。

要するに「顔出し」の効果は『少女像』と同じ実態を知らない者へ強烈に被害者の存在を知らしめ、「レイプ」の言葉は『性奴隷』のようにその被害性が一人歩きする。

しかしながら、慰安婦は職業であり、伊藤氏は犯罪である。現警察の性犯罪に対する捜査手法への不備をも訴えていることとなり、限りなく売春に近い風俗や性犯罪を抑止するという建前のAVや漫画が公然と営業され販売されている。

これらあまりにも女性の人権を軽視した現在の風俗産業は野放しのままであり、性犯罪は後を絶たない。私はこれこそが男尊女卑であり、女性蔑視、女性の人権の軽視であると考える。

伊藤氏の顔出しは1日でも早く、これらの法整備と人権保護が必要であると言っているように思えてならない。