天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

文在寅の戯言

2021-04-09 04:38:00 | 解説





文在寅大統領は、日本の植民地支配から解放されたことを記念する光復節(8月15日)の演説で次のような戯言を抜かした。

戦前の日本帝国主義による侵略と36年間の植民地支配は、韓国の人々から国を奪い、人間の尊厳を奪い、言葉や名前すら奪いました

韓国国民の中にその傷痕と怒りは今も消えていません。日韓関係を改善するうえで、加害者である日本が過去の植民地支配にどう向き合うかは決定的です。



戯言1.光復節という戯言

因みにこの日北朝鮮では金日成の抗日革命闘争の勝利としているが、まだまともである。
つまり日本のポツダム宣言受諾によっての終戦は日本人を辞めた日であり、その後3年間は米国によって占領されるのである。

従って戦争からの解放の喜びが、この浮かれ気分の根源となり、日本からの植民地支配解放が単に独立した現象であるにもかかわらず、8月15日としている。

例えるなら、日が沈んで朝日が昇る時間を祝うようなものだろう。

戯言2.植民地支配という戯言

このようにただの現象であることは流石に自覚としてあるのだろう。つまり、喜びを増幅させるためのフィクションを自ら創り出すのである。
侵略され、国、尊厳、名前を奪われたと。
従って日本が悪ければ悪いほど、解放の喜びは大きくなる、知らんけど。


戯言3.加害者である日本という戯言

アイドルまで投入してこの日を祝うことは確実に若い世代への教育として教科書よりも休日に効果があることは理解できる。しかし、一体いつまで
我々は被害者なんだよと子々孫々継承するつもりなのだろうか。単に独立記念日としたほうが人として精神衛生上良いのではなかろうか。

この国と未だに国交があることが、光復節よりも不思議である。

韓国古墳埋め戻す訳

2021-04-03 21:01:00 | 解説

朝鮮半島最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は





記事の答えは任那日本府の存在を日本の右派が騒ぐからだそうだ。


私の場合別角度から考察しようと思う。

まず次の写真を見てもらいたい



韓国メディアが伝えたのが、「世界初の飛行機を作ったのは韓国」だそうだ。

なんとライト兄弟の400年前というから想像を絶する。

韓国は取り敢えず世界で一番に何が何でもなりたいのである。彼等の悲願の障壁となるのが我が国なのだ。

古代の墓などに興味があるとも思えないのはこの写真を見ればわかる。


日本人の墓を階段にリノベーションするのだ。

ここで❶一番になりたいと、❷日本を恨む
という願望が二つ存在していることがわかる。つまり、二兎追うものは一兎も得ずである。

古代の墓にしても最初から興味がなく、日本を意識し過ぎるあまりワンチャン日本の古墳の起源かもとの欲がでてしまい、結局日本の右派を意識して埋め戻すのである。メンヘラかw

したがって韓国はまず反日感情を捨て去ることが世界一になる条件となるのだが、どちらも無理だろう。






沖タイ嘆きの左翼記事

2021-04-02 04:36:00 | 解説








【フリー素材】

写真一枚目赤線部分

沖縄住民もよく協力しましたが、


沖縄戦を殉国美談調に紹介 旧日本軍の加害性に触れず 教科書の記述が短くなり継承に不安


『本年度の検定で合格した高校や中学の社会科系科目は、各社の編集方針の違いが鮮明になった。自由社など一部の教科書に「殉国美談」や国家主義的と受け取られかねない記述があるほか、沖縄戦の記述は全体的に少なめ。高校「歴史総合」は新科目のため従来の日本史と単純比較はできないが、「歴史の継承」に懸念を残した。』


非常に短な無料部分であるが、沖縄タイムスの悲鳴のような嘆きの記事を目にしたのでコピペした。
 
これまでの沖縄戦の教科書記述が如何に異常で本土との分断の要因となっていたことが伺えるのだが、鉄の暴風や日本軍に殺された、捨て石にされた等のいわゆる被害者としての視点から痛々しく教えることが主流となってきたことがわかる。

古くは皇太子に火炎瓶を投げつけたり、慰霊の日に首相が訪れると帰れと罵倒される県である。沖縄住民がよく協力したことを殉国美談としているが、そもそも本土も大空襲や原爆の被害性は甚大で敵はアメリカなはずだ。

旧日本軍の加害性を一体いつまで強調したいのか、継承に不安とあるが、こんな独立を臭わす左翼新聞社こそ継承するのに無理が生じているのである。

沖縄孔子廟判決を考える

2021-03-02 09:27:00 | 解説



沖縄の金城テルさんをはじめとする住民が7年前から原告となり、那覇市を相手取り孔子廟の公園の土地使用料年額576万や建設費などの免除は憲法20条政教分離の原則に反するのではないかと訴えを起こした。

最高裁判決は原告全面勝訴の違憲判決をだし金城テルさんの完全勝利となった。






沖縄孔子廟の裁判のニュースはこんな感じであるが、問題は那覇市長と新聞の反応だ。

翁長前知事と同級生で元教師、共産系の支持という彼女は『違和感のある判決』と判決に明確な不快感を示している。

ところが沖縄タイムズは社説ですんなり最高裁判決を受け入れ解消を那覇市に諭している。

『かつて国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられたのだ。公有地の無償提供という自治体の行為が、司法の場で憲法の禁じる「宗教的活動」と認定された意味は重い。那覇市は違憲状態の解消に努めるべきだ。』

このオール沖縄のねじれ現象をどう受けとめれば良いのだろうか。寧ろ沖タイは違憲判決を喜んでいるかのようにも感じるのである。

沖タイから抜粋した社説には
かつて国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚しとある。

つまり"国家が宗教と密接に繋がると戦争になるというロジック"を確立したいが為に、この政教分離の目的効果基準の厳格化を歓迎している様にも思えるのだ。


【筆者推論】
これらのことから、問題は戦後今まで宗教施設でありながら一般社団法人の名の下に無賃状態と違憲状態が継続してきた事実とかたや首相の靖国神社参拝が政教分離に抵触するとして問題視されてきた過去なのである。

したがって本判決はイメージとして靖国神社へ首相が益々参拝し辛い方へ向かうだろうことは容易に想像できるのだ。

つまり金城テルさんの勝利は嬉しいが、今後の靖国神社参拝の動きを危惧するという保守のねじれ現象のほうがより深刻なのである。

山崎雅弘の侵略

2020-10-11 01:34:00 | 解説





以前の記事『「侵略」北原発言を捏造する新聞とデマ崎雅弘』で取り上げた山崎雅弘氏のツイートを今一度取り上げて以前より詳細な解説を加えたい。

『歴史を見る目歪める「北岡発言」 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子(産経)首相とその周辺による「侵略の定義は定まっていない」という論法で、戦中の日本による周辺諸国への侵略行為を正当化するレトリックの典型。もっともらしい詭弁を展開している。
長谷川三千子氏は、侵略の定義として外交分野における「アグレッション」のみを取り上げ、戦勝国と敗戦国、つまり大国同士の関係性の中でのみ存在する概念であるかのように、受け手をミスリードしている。戦勝国にも侵略的行動があったのだから、敗戦国の侵略だけ問題視するのはおかしい、と誘導する。

しかし現実には、軍事力を用いて他国の主権を侵害し、相手国の領土や資源を自国のものとする社会的現象を指す言葉として「インベージョン(Invasion)」があり、一般的に「侵略」の意味としてはこちらの方が多く用いられる。「アグレッション」だけで侵略を定義するのは、詭弁術に他ならない。
「インベージョン」の使用例。英ガーディアン紙と英インデペンデント紙は、昨年3月の記事の見出しで、当時まだウクライナの支配下だった、クリミア半島に対するロシアの(「自警団」に擬装した)露骨な軍事的介入を「インベージョン」と表現していた。
外交分野における「アグレッション」の議論は、主に「他国を侵略する能力のある大国間の問題」として行われるが、「インベージョン」は他国に「侵略される側の視点」も含んでいる。首相周辺は巧妙に、先の戦争における日本軍の侵略についての議論で後者の視点を排し、前者だけに限定しようとしている。
侵略の定義として外交分野における「アグレッション」のみを取り上げ、「侵略」という概念の定義は実はあやふやで、戦中の日本にこれを適用するのは正しくない、という一見もっともらしい詭弁を展開する本は、書店にも多く並んでいる。そうした本はどれも「日本に侵略された側の視点」が欠落している。
長谷川三千子「なぜなら『侵略戦争』という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです」「つまり、『侵略』という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し
今もその本質は変わっていないというわけなのです」この論理展開が示す通り、長谷川三千子氏の「侵略の定義」についての論考には、「日本に侵略された側の視点」が完全に欠落している。それどころか、「侵略」という言葉を使うことは「国際社会において、『法の支配』ではなく『力の支配』を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念」であるから「決して使ってはならない」と論理をねじ曲げ、北岡伸一氏を「本来の学識者としての良識を発揮していただきたい」と侮辱している。詭弁に詭弁を重ねて日本の戦争責任回避を図る長谷川氏に「学識者としての良識」はあるのか。』


以前の論評】
恐らく長谷川三千子教授はこんなツイートなど見てもいないだろうし、目にしても反論したり、取り上げはしないだろう。しかしながらこのままデマ崎の暴論を捨て置くことは長谷川ファンとして収まりがつかないのでブログ化した。
デマ崎の文章には「詭弁」との言葉を多用している。
「詭弁」とは道理に合わない、言いくるめの議論、ごまかしの議論のことであり、論理学で相手の思考の混乱や感情につけ入って相手をだます、見掛け上は正しそうな、虚偽の推論のことであり、デマ崎氏は大分混乱が伺え感情につけ入られているようだ。
日本人の殆んどが英訳と聞いただけでたじろぐ中
アグレッションやインベージョンと聞いてもサッパリである。デマ崎氏はインベージョンも侵略の意味合いで使われるとするが、通常はアグレッションを「侵略」、インベージョンを「侵攻」と訳すだろう。
つまりデマ崎氏は「侵略の定義」が定まっていないの論法を単なる言葉遊びと解して混乱し感情的につけ入られた訳なのである。
長谷川教授は戦勝国史観、東京裁判史観は戦勝国、つまり米国の定義付けした「侵略」のままの歴史観は問題がある。と言いたいのだが、それをデマ崎氏は侵略を正当化するレトリックの典型と変換して貶めているのであり、詭弁であるとまで言っている。
要するに戦勝国の歴史観を正当化して、その例題にまた戦勝国の言葉の解釈を加えているのだ。
とどのつまり「侵略された側の視点」の欠落を言いたいのであるが、中国も戦勝国であり、侵略された側の視点で日本は戦後、戦争の反省として中韓にどれだけのことをしてきたか、がデマ崎氏には欠落しており、侵略された側の視点とはそのまま日本の視点に等しいことも言おうとはしない。
実は連発しているが、詭弁をたれているのはデマ崎氏であり、『日本が侵略した』という一文で思考が混乱し感情的に付け入る隙を戦後の日本は許してきたのである。
大日本帝國が侵略戦争をして、悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺して、誠に申し訳ないということが米国が日本に言わせた詭弁だからである。つまり、長谷川教授の「侵略」という言葉を使うことは「国際社会において、『法の支配』ではなく『力の支配』を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念」であるから「決して使ってはならない」との正論を北岡氏に投げかけている行為を「学者としての良識」はあるのかと締めくくるが、デマ崎氏や共産党員に日本人としての良識は欠片も残っていないに違いない。

今回の解説】
今回はインベージョンとアグレッションの言葉の意味から解説したいと思う。

【invasion】
名詞不可算名詞 [具体的には 可算名詞]
1侵入、侵略
用例
  • make an invasion upon… …に侵入する, …を襲う

2権利などの侵害 〔of〕.
用例
  • invasion of privacy プライバシーの侵害


【aggression】
名詞不可算名詞 [具体的には 可算名詞]
用例
  • an act of aggression 侵略行為


インベージョンはインベーダーの『他国からの移民者』の意味合いが強く、アグレッションはアグレッシブの積極的、攻撃的な意味合いが強く侵略は通常『アグレッション』を使う。

山崎は『「侵略の定義は定まっていない」の論法で日本による周辺諸国への侵略行為を正当化するレトリックの典型とまで誇張しているが、現在では侵略の定義は定まっており、政府見解はこの定義付けに法的拘束力が欠落していることから「定まっていない」との表現を長谷川教授は敢えて使っているのであり、侵略行為を正当化するなど微塵も考えていない。

つまり、これが山崎の詭弁なのである。『日本に侵略された側の視点が完全に欠落』が言いたいが為にこじ付けのような『侵略の訳』を使いズレた視点で【日本が侵略した】と確定させたいだけなのだ。

『侵略という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていない』という長谷川教授の力の支配である東京裁判史観こそが未だに日本の国益を毀損している、その本質が【日本が侵略戦争をした】
という中韓の日本に侵略されてもいない側の被害者的視点をこじ付け捏造したい『反日左翼共産主義的日本人山崎雅弘』の詭弁でしかない。