日本に牛島旅団ありとまで言われ支那で恐れられた牛島満中将が
沖縄戦では何故悪将とまで左翼に批判されるのでしょうか?
アメリカ軍事評論家のハンソン・ボールドウィンは
「太平洋戦争において日本の名将を二人あげるとするならば、陸の牛島・海の田中」
とまで讃えられています。
日本軍は悪魔であるそう思わせたい左翼はその軍の名将の粗を探し汚名を着せたいのでしょう。
確かに硫黄島の栗林中将は島民を避難させましたが沖縄に於いては間に合わなかったのです。
対馬丸の撃沈もありましたが
疎開したがらない県民性も手伝ったのです。
6月上旬に牛島中将は米軍に知念地区の非武装化を提案しています。
バックナー中将に軍使を送り、知念半島地区を非武装地域に指定する事を提案しました。
これにバックナー中将も同意したため、
牛島司令官は直ちに直属部隊で情報宣伝を主任務とする千早隊(指揮官広瀬大尉)
に命じて避難中の住民を知念半島に誘導すべく玉城村方面に行動させました。
また米軍も空中からその宗を記したビラを南部地域で配布しています。
ところが本件は、通信機器の損壊も加わって前線部隊に周知徹底されず、
千早隊の隊員が友軍にスパイの嫌疑をかけられ一時拘束されると言うハプニングも発生
では住民はどう行動したのでしょうか。
残念ながら第三十二軍や米軍の勧告に従わず大部分が摩文仁方面に移動して行ったのです。
逃げた方角?そうです左翼は結果だけを見て作戦を批判しているのです。
私は思う、牛島中将の対立する二人の部下がそのまま己の心の中の葛藤として存在していたと。
これだけの名将が迷う?牛島中将の写真を見て考えてみた
無骨と言うよりは穏やかで優しさが滲み出ている
俺は戦いにきたのではない沖縄県民を守りにきたのだ
と聞こえた気がした
最後に牛島満中将が自決したといわれる摩文仁の丘の洞窟にむかい県民と日本軍に合掌