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たけし 鈴木砂羽が土下座強要?演出家も映画監督もイビる伝統がある
『鈴木砂羽が、自分が演出する舞台の出演者に土下座を強要した、って話が話題になってるね。しかし演劇の演出家ってのは、なんであんなに厳しくやるのかな? 蜷川幸雄さんは灰皿投げつけるし、つかこうへいさんは怒鳴り散らして、土下座なんか平気でやらせていた。
唐十郎もムチャクチャなことやらせてたけど、何で新劇のヤツってのは、ああいうことを良しとしてるんだろ? 情熱の塊みたいに言っても、今の子に通用しない。土下座させたって、ヘタなものはヘタなんだから。
ああいったいろんな舞台の演出家って、学生運動のセクトに似てるよ。革マルとか中核派とか。「反省しろ」とか「自己批判しろ」とか「ナンセンス」なんて言って、みんなが「演劇革命を目指す!」なんて言ってるうちにケンカになっちゃう感じ。新宿の飲み屋でわめいてる全学連と頭の中は何も変わってない。
それで鈴木砂羽は、初日の2日前に代役立てて舞台やって、それを見た客が感動して泣いたなんてインチキくせえよ(笑い)。全然練習してねえだろ?

映画監督でブン殴ったりしてるのは崔洋一くらいかな? 役者を殴らないけど、スタッフが「崔さんはたまらない」って言ってるよね。オレが映画「血と骨」に出た時、「怒鳴ったり殴ったりしたらやめるよ!」って言ったら「絶対しない」って言っててさ。でも、オレがいない時は怒鳴ってるから、スタッフに「たけしさん、毎日来てくださいよ。昨日は監督、大変だったんですから」って泣きつかれたよ。
それでオレが失敗しても「怒鳴ったらやめる」って言ってるから怒鳴れないじゃん!? でも、マネジャーがトイレに行ったら、崔洋一が「たけしのバカヤロー!」って便所の中で怒鳴ってたって(笑い)。
「戦場のメリークリスマス」の大島渚さんも、オレと坂本龍一が「素人だから演技はできない」って言うと、「いや、怒らない。怒らないから」って言うから出たんだ。それで別の役者と一緒のシーンで、そいつがちょっと間違ったら「何だ貴様。お前がそれだから、たけしが演技できないんだ!」って、かわいそうに怒られちゃってさ。申し訳ないからウラでその役者に「すいません」って謝ったよ。
映画監督も昔の人はそんなのばっかり。山田洋次とかは、主役を怒らずに2番手の役者を徹底的に怒るし。結局、演出家も映画監督もイビる伝統があるよね。新劇のヤツもウラでは全く現代に合わないことをやってるんだ。』
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たけしが新劇、映画のいわゆる監督を取り上げ全学連の様、学生運動のセクトの様と揶揄している。
セクトとは元来、それぞれの宗教から派生した「 分派」のことを指すが、この場合中核派や革マル派、広い意味では共産党まで含む新左翼派閥で、その主体の目的は勿論革命である。
マスメディアや芸能界の関係者が革命家や独裁者のように感じる人物が多いのは安保闘争世代がこぞって流れ込んだからである。
そもそも安保闘争は、敗戦により成立した日米安保条約が不平等条約であったため、条約を改定して対等なものにすべきだとの考えから、岸信介首相が日米安保条約の改定に調印したことから、国民の中に反対運動が起きたことがきっかけだ。
安保条約の批准に対して国会で社会党が猛反発し、多くの市民がデモ行進に参加するようになり、やがて全学連主流派のデモ行進に変わり、赤軍派、日本赤軍、連合赤軍へと過激化した。
当時全学連中央執行委員をしていた西部邁は、
「総じて言えば60年安保闘争は安保反対の闘争ではなかった。闘争参加者のほとんどが、国際政治及び国際軍事に無知であり、無関心ですらあった」「安保反対と言って騒いでいた中に安保条約の中身を読んで反対していた人間はろくにいなかった」と公言している。
つまり、演出家、映画監督の類いは自己実現の手段が暴力革命的であり、芸能界の中に中国共産党にも似たセクトを創りだすのだ。
これら演出家、映画監督の類いが、総じて習近平に見え安倍政治を批判するのは祖父岸信介の時の闘争の幼児的焼増しでしかないのであり、単に利己的な反日日本人でしかない。
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