天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

福島瑞穂学習院大学客員教授(怖)

2020-02-21 19:13:00 | 時事



平成10年から21年までの11年間客員教授として学習院大学にいたようである。

平成18年生まれの秋篠宮悠仁親王殿下が平成22年4月にお茶の水女子大学附属幼稚園に入園したのは秋篠宮妃紀子殿下が同大学を拠点に研究活動を行っていることからとされているが、後に東京オリンピックに一貫して反対を主張するような福島が教授であるとしか考えられないのである。

平成26年に佳子内親王殿下が学習院大学を中退されたことも学習院大学の変貌に起因していとも言えるのだ。

福島発言wiki
・平成21年、内田樹との対談の中で、「(自民党中心の)日本の政治は何かの法律が成立したり、在日米軍基地の条約ができるとそれをお土産のようにアメリカに報告しに行く。その姿は全く属国にしか見えない」と述べている。自民党に対しては「自民党は愛国心が足りない、自民党は『売国奴だ』(親米保守を批判した文脈で)」「(自民党と比較して)私の方がよほど愛国者だと思っている。」という批判を行っている。
・22年1月12日、東京都内で開かれた、在日本大韓民国民団(民団)中央本部の新年会で、「社民党も先頭に立って(永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案を)一緒に成立させたい」と発言した。
・同年4月17日、石原慎太郎が外国人参政権に関して「与党の党首や幹部は帰化した人の子孫が多い」と発言したことに対し、与党3党の内、国民新党の党首である亀井静香が外国人参政権に反対していることから、外国人参政権に賛成である福島はこれを自身への発言だったとして同4月19日の記者会見において帰化した朝鮮人ではないと否定し、名誉毀損だとして発言の撤回を求めた。これに対し在日韓国人の辛淑玉は、一緒に闘ってきたはずの仲間(福島)から「あなたたちと私は別」と差別されたように感じたと語っている。
・5月28日、普天間基地を辺野古へ移設するとした政府方針への署名を拒否し、大臣を罷免された。後の記者会見では「社民党、私は沖縄を裏切ることはできない。沖縄の人たちにこれ以上の負担を押し付けることに加担できない。署名はできない」と述べた。また「私を罷免することは、沖縄を切り捨てることだ。国民を裏切ることだ」と指摘した。同30日、政権離脱を決定し、その理由として「辺野古の沖に造らないということを国民の皆さん、沖縄の皆さんに約束してきた社民党としては、自分たちの言葉に責任を持つ政治をしっかりやっていかなければならないと考えた」と述べた。
・11月1日、尖閣諸島中国漁船衝突事件で海上保安庁が撮影したビデオ映像を視聴した後、「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ。(挑発行為は)離れてるし、分からなかった。反日デモがエスカレートしている状況だ。国民に公開することは慎重であるべき」との考えを示した。
・24年11月2日、参議院緊急質問において「復興予算が被災地以外で使われていることに、被災者が激怒しています。当然です」と発言。公費助成の根拠法である東日本大震災復興基本法は、東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする(法1条)と明記しており、いわゆる復興予算が震災からの復興だけに使われる物ではないことが示され、社民党も賛成し可決成立した。その後、23年6月から当該発言のあった同年11月にかけて、公的助成制度を活用した社民党本部の耐震診断費用850万円のうち約280万円が復興予算から出ていたことが明らかになり、又市征治幹事長は「復興予算から出ていたことは後から知った。法的には問題ないが復興予算とは別建てであるべきだ」として、復興予算相当分の280万円を被災地に寄付することを表明した。
・橋下徹が端を発した慰安婦の問題に対して、25年5月14日に社民党党首として当時の日本維新の会代表・橋下徹の従軍「慰安婦」必要発言についての談話を表明した。その中で福島は、以下のように語り、強く反発している。
かつて、従軍「慰安婦」はいなかった、従軍「慰安婦」制度はなかった、狭義の強制性はなかったなどと隠蔽発言して糾弾された保守政治家はいたが、従軍「慰安婦」制度自体を必要だったと肯定する発言は聞いたことがない。軍規律維持に慰安婦制度が必要ということは、当時の日本軍は戦地で暴行をするような軍隊だったと認めたに等しい

学習院大学を変えた人物、皇室の敵、この客員教授時代が猿馬見れんだろう大会だったのかも知れない。恐ろしい限りである。

731という反日プロパガンダ化

2020-02-07 19:17:00 | X
ヒロアカの問題がニュースになると押し並べて『集英社が謝罪』となり、共同通信を各社共有するか論調は殆ど類似している。

例えれば社旗が旭日旗や戦争を想起させ精神的苦痛を受けたとの諸外国の声に朝日新聞が謝罪をするのと同じである。

いや、それよりもっと話は複雑でこじ付けのような731部隊の反日プロパガンダ化を謝罪することで決定付けてしまったのである。







共同通信
集英社は7日、週刊少年ジャンプで連載中の人気漫画「僕のヒーローアカデミア」の登場人物名「志賀丸太」が、旧関東軍防疫給水部(731部隊)を想起させるとの批判を受け、「海外の読者の皆さまに不快な思いをさせてしまいました。深くおわび申し上げます」とする謝罪コメントをホームページで発表した。

 集英社は、外見の特徴などから命名したとした上で「事前に編集部が十全な検討を行うべきだった」とコメント。作者の堀越耕平さんも「読者のみなさんを傷つける意図は全くありませんでした。二度とこのようなことを繰り返さぬよう、努めてまいります」と謝罪した。
その中でもyahooニュースが

ヤフーニュース
同作に登場したキャラクター「志賀 丸太(しが まるた)」について、「過去の悲惨な歴史の記憶を想起させるとのご指摘を、中国をはじめとする海外の読者の方々から多くいただきました。『志賀(しが)』は他の登場人物名の一部から、『丸太(まるた)』はその外見から命名したもので、過去の歴史と重ね合わせる意図は全くありませんでした」と説明。

 その上で「しかしながら、『悪の組織の医師』というキャラクターの設定とこれらの名前が合わさった結果、中国をはじめとする海外の読者の皆様に不快な思いをさせてしまいました。事前に編集部が表現について十全な検討を行うべきでした。深くお詫び申し上げます」と謝罪した。

 今後に向けて「今回の問題を真摯に受け止め、当該キャラクター名を、紙版においてはコミックス収録時に、電子版においてはすみやかに変更いたします」と対応を明かし、「今後、このような事態を起こさないよう、様々な歴史と文化への理解を深める努力を続けるとともに、多くの人々の気持ちに寄り添いながら、皆様に愛される漫画をお届けしてまいります」とした。

 作者の堀越氏も「『志賀丸太』という名前について、大勢の方に大変不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません。『志賀(しが)』は、彼がかつての『敵連合(ヴィラン連合)』のボス『オール・フォー・ワン』に心酔し、自らその存在に近づきたいと思ったことから、その本名『死柄木(しがらき)』の一部をとって『志賀(しが)』と名乗ることにしたもので、『丸太』は『丸々と太った』感じを表せればと名付けたものです」と意図を自ら説明。

 続けて「いずれも偶然で、読者のみなさんを傷つける意図は全くありませんでした。心からお詫びいたします」と謝罪し、「今後、二度とこのようなことを繰り返さぬよう、努めてまいります」と決意を新たにした。

 同作については、“志賀丸太”という名前が、第2次世界対戦中の「731部隊」や捕虜を意味する“マルタ”を連想させるとSNSで批判があり、ジャンプ編集部は3日、コミックス収録時に名前を変更すると発表していた。

ツイッターでは早くもプロパガンダに加勢する下記のようなツイートも見られる。
今日はこのツイートに感じる疑義をいくつかあげてみたい。






731部隊の話は「祖国の恥を教えるな!」みたいな右派の主張とは別に「敗戦後も計画を主導した医師や官僚がまったく裁かれず、それどころかアメリカは彼らに高額の報酬を払って生態実験データを持ち帰ってBC兵器の礎とした」という結末があまりにも暗黒すぎて子供にどう教えていいかわからなくなるよな
生徒「じゃあ生体実験をやった731部隊員は戦後も身を隠して一般人として生きていたんだね」
先生「身を隠すどころか、ミドリ十字や大手製薬会社や大学や病院の重職として戦後の日本を主導したんだぞ〜」
生徒「アメリカえぐい…」
先生「どうだ731部隊がハリウッド映画にならん理由がわかったか〜」

①731部隊を『祖国の恥』とする右派の主張など聞いたことがない。

②確かに戦後裁かれることはなかったが、『高額な報酬を払って』『BC兵器の礎』とデータを売って、兵器化したとも取れる記載があるが、殆ど妄想に近いソース不明のデマである。

③このツイートに続くスレッドで先生と生徒の会話形式であることが分かり、フィクションを匂わせる手法

④赤旗の「悪魔の飽食」森村誠一同様に関東軍防疫給水部を最初から悪魔の部隊とするような言説は単に731部隊を反日プロパガンダとする者達に無批判に加担することでしかないのである。

したがって集英社の謝罪は『731部隊は悪魔の部隊』を史実とし、このツイートとなんら変わらない反日プロパガンダへの加担でしかない。

それを各社がこぞって南京、慰安婦路線へと同化させていくのだ。

ヒロアカ

2020-02-05 16:34:00 | 時事
僕のヒーローアカデミア』(ぼくのヒーローアカデミア、My Hero Academia)は、堀越耕平による漫画作品。略称は『ヒロアカ』。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて2014年32号より連載中。「“無個性”」だった主人公が最高のヒーローを目指して成長していくヒーロー漫画作品。堀越耕平にとって3作目の連載作品となる。『赤マルジャンプ』2008 WINTERに掲載された読切『僕のヒーロー』を基に構想された
堀越はデビュー翌年に『赤マルジャンプ』2008 WINTERにて読切漫画『僕のヒーロー』を発表。その後も『逢魔ヶ刻動物園』や『戦星のバルジ』を連載する。しかし『戦星のバルジ』は短期間で連載が終わり、堀越は精神的に落ち込んで創作活動が停滞してしまう。そこで過去の読切作品の中から、思い入れがあり、1番書きやすかった『僕のヒーロー』を元に本作の構想が練られた。堀越はヒーロー物が好きなので感性を込めて描けそうだったことが決め手になったという。『僕のヒーロー』から「ヒーローが日常にいる」という設定などを引き継ぎ、新たに『僕のヒーローアカデミア』という作品が生まれた。

また、出久のキャラクターは『戦星のバルジ』2巻に描下ろされたあとがき漫画『獄宴編』の主人公が元になっている。それを見た堀越の担当編集者は「君は悟空やルフィのような主人公は描けなかったが、こういうオタクっぽい奴なら描ける」と評価していた。

連載当初は公式な略称は定まっておらず『ヒロアカ』『僕アカ』などいくつか存在していたが、アニメのテレビシリーズ開始以降は公式な場での略称は『ヒロアカ』で統一されている。




「僕のヒーローアカデミア」をヒロアカとする世代ではない、つまりコアな読者どころか一度も見たことがない筆者であるが、
下記の描写が炎上しているようだ。


丸太が731と重なるとのクレームのようであるが、集英社がこのように反応している。


考えられるのは①作者が意図的に書いたか、②偶然であるが、どちらにせよ人物名を変更したことは事実である。

炎上したのは集英社がクレームにより名前を変更したからであり、問題は論争のある731部隊の人体実験のマルタを『史実』と表記しているからであろう。

このことから作者が意図的にネーミングしていたとすると、日本軍を貶めるため、ポリコレを誘発する為に意図的に炎上を狙ったと考えられるので、まず無いだろう。

しかし、もう一度写真を見て頂きたい。この丸太との人物は病院の創設者であり理事長との肩書である。

731部隊出身でミドリ十字の創設者とも言える人物が三人もいるのである。この中には政界ジープ事件で懲役刑まで受けた元犯罪者が存在することも事実である。

後のエイズ血液製剤の事件も絡んでいて731部隊の印象を悪に捉えていれば、ヒロアカの作者が丸太とネーミングするのも可能性としては十分考えられるのだ。

いずれにせよ集英社が名前を差し替えたことからも、戦後の反日プロパガンダに付け入る隙を与えてしまったことに変わりはないのである。

クレームの対応としては最悪で、とんでもない方へジャンプしてしまったようだ。

センポ オオムラ メモリアル

2020-02-02 08:43:00 | 時事
大村知事にブロックされたメモリアルとしてこの記事を捧げる。

杉原千畝は平成になってから名誉回復がなされ、平成の世も終わろうとする平成27年に映画化、平成30年には愛知県にセンボスギハラメモリアルなる顕彰施設が建てられている。




愛知県の大村秀章知事は「一人でも多くの方が施設を見て、世界平和や人道の価値を伝えていただきたい」と薄っぺらいありきたりなコメントで愛知アピールに余念がないが、杉原一人の名誉回復と顕彰には不自然さや蟠りがある。

杉原の名誉回復、顕彰は次にあげる3名を隠蔽するためのカモフラージュに思えてならない。杉原よりも多く、二万人近いユダヤ人を救出しているにもかかわらずである。

表現しない自由を最大限に行使してセンポオオムラをはじめ日本が隠蔽しようとしているユダヤ人救出の元祖をここに記す。

犬塚 惟重(いぬづか これしげ)
海軍大佐
昭和40年2月19日(77歳没)



安江 仙弘(やすえ のりひろ)
陸軍大佐

昭和25年8月14日(62歳没)



樋口 季一郎(ひぐち きいちろう)
陸軍中将
昭和45年10月11日(82歳没)



そもそも昭和15年センボ スギハラのリトアニア日本領事館の元に何故ユダヤ人が押し寄せたのだろうか。

その2年前となる昭和13年樋口季一郎陸軍中将、安江仙弘陸軍大佐、犬塚惟重海軍大佐が2万人に上る大規模なユダヤ人救出を行なっていたからである。

少し日本軍とユダヤ人の関係性について触れながらユダヤ人救出を時系列で見ていこう。

日露戦争で、米国のユダヤ金融家のシフが資金不足の日本の戦時外債を購入しており、このため日本軍部はユダヤ人に深く恩義を感じていたことがベースにある。

大正6年にロシアで共産革命が起こると共産軍に対抗してウラジオストックに各国の軍隊が集結している。

日本軍参謀本部はユダヤ民族がロシアの共産党、反革命軍、諸外国の軍隊に広く分布している現状に専門家を派遣し研究を始めるが、それが【安江大佐と犬塚大佐】である。

このとき、ロシア共産党の支配を逃れて約5千人のユダヤ人が【満洲】に逃亡し、極東ユダヤ人協会を設立している。

昭和8年、ヒトラーが政権を取ると、ユダヤ人迫害が始まり、ユダヤ系ドイツ人は海外脱出を望むようになるが、米英は偏見から受け入れを拒否している。

このため、ユダヤ人は当時唯一上陸可能な支那事変中の上海租界への移住を考え、彼らはベルリンとウィーンの日本領事館から日本通過ビザを取得し、欧州発シベリア鉄道でソ連ウラジオ港へ到達し、敦賀、神戸経由で上海到着を計画したのである。

昭和13年3月8日、ユダヤ人が満洲ソ連国境のオトポール駅に到着すると、KGBは極寒の中、彼らを近くのユダヤ人居留区に収容するために下車を命じたのだ。

しかし、ユダヤ人は、断固拒否し、満州国内の極東ユダヤ人協会経由で満洲国政府に通過の許可を嘆願した。これを【樋口中将と安江大佐】が上申し、【東條英機関東軍参謀長】が決裁したので満洲通過が許可されたのである。

これによりユダヤ人は満州を南下し大連、敦賀、神戸経由で上海に到達することができたのである。

樋口中将は欧州駐在経験から残酷なユダヤ人迫害の事情を熟知しており、上海では日本海軍のユダヤ人問題対策機関「犬塚機関」が専門にユダヤ人難民を受け入れ、支那事変の物資不足の中でユダヤ教会建設にセメントを提供し、日本人学校の空き校舎を貸与するなどの支援までしている。

ユダヤ人の多くは、日本海軍の管理する共同租界の虹口地区に多く居住した。

米国ルーズベルト政権の中にユダヤ系高官が複数おり、厳しい反日敵視政策の緩和に
その政治的目的もあったと言われるが、敗戦まで上海や満洲におけるユダヤ人難民の保護は続けたことは、人道政策と言ってもよいだろう。

上海ユダヤ人協会は犬塚大佐に対し難民救済金が限界に達したので、ビザの発行停止を要望し、日本外務省は了解した。このときまでの上海のユダヤ人人口は1万9千人に達していた。

昭和14年9月のノモンハン事件講和直後、独ソのポーランド侵略と分割が発生、独ソの秘密警察は、ポーランドのユダヤ教の教会や学校を破壊し教師、生徒たちを捕らえ処刑した。

このため神学生数百人が緩衝地帯であった隣国のリトアニアに逃亡し隠れたのだ。

昭和15年7月犬塚機関事務所を上海ユダヤ人協会の会長が来訪し、犬塚大佐にユダヤ教の伝統を守るためリトアニアの神学生をぜひ救いたいと伝え、日本通過ビザの再発行を嘆願した。

犬塚大佐が上海総領事経由で外務省に問い合わせたところすぐに許可された。この知らせが上海のユダヤ協会から現地に急報され、リトアニア日本領事館に殺到した。

これを見て驚いた杉原は外務省に訓令を仰いだところ、外務省はすぐに発給を許可した。そこで7月29日から、杉原はビザ給付を開始、ソ連のリトアニア占領により杉原が9月上旬に領事館を退去するまで続き、約1500通のビザを給付している。

このユダヤ人は、今度は満洲を通らずソ連経由で日本の敦賀に上陸し、神戸経由で上海へ移住した。しかし、昭和16年6月の独ソ戦の勃発によりソ連経由の脱出は終わった。昭和20年の終戦には上海のユダヤ人口は2万5千人になっていた。

この6千人の差が杉原ビザの救った数と言われているが、実態はソ連の満洲侵略を逃れて在満ユダヤ人5千人の相当数が上海に脱出していたとも言われ定かではない。

【樋口中将】は、終戦直後千島防衛司令官として来襲してきたソ連軍に大打撃を与えて撃退したため、戦後ソ連はGHQに戦犯として身柄引渡を要求したがGHQは拒否している。

【安江大佐】は、昭和25年ソ連軍の大連収容所で虐待され死亡した。昭和29年にユダヤ人により葬儀が行われている。

【犬塚大佐】は戦犯容疑者として収監されたが上海時代米国ユダヤ協会から贈られた銀のシガレットケースの写真を提示すると、1週間で釈放されている。