『東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事』
は他でもない開戦の詔の中の開戦理由の部分の一節である。
続いて、
『各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。』とあり、
『更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている』
つまり平和的な共栄だけでなく我が国の存立までを脅かすのであるからとの言葉こそが自存自衛を物語っているのだ。
『進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。』
これは安倍談話の一節だが、これでは自存自衛の戦いは誤りであったとも取れるのである。
日本が負けたことは認めるが決して針路を誤ったのではない。
このように唯一の保守派の安倍政権でさえ戦後体制の影響を受け談話に反省を込めて靖国参拝も一度きりである。
私はこのダブルスタンダードや安倍政権を批判している訳ではない、その反省は戦後自民党が戦わずして『東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事』を実践してきたことを物語っているからである。
しかしながら開戦の詔の『帝国の生存に重大なる脅威』があったからこその開戦であり、現在のコロナウィルスはまさに「国民の生存に重大なる脅威」そのものなのである。
この期に及んで中国人の入国制限もせず、習近平の来日も拒絶しないことは国民の生命を守る意識が希薄であるとの誹りを受けて当然なのである。
安倍首相には開戦の詔を再読することを希望する。