八月十日 ブログ更新後、 「志村建世」氏のブログを拝読後に、大きな壁が見えた。
氏は1933年生まれ、今年80歳を迎えられた。 終戦の年は12歳か13歳の小学生で、「教育勅語」の教育を受けられた方である。 氏のその終戦時の経験は私にはない。 あるが認識がない。
1945年生まれの私は、最年少被爆者の一人ではあるが生後四ヶ月。
目には原爆の悲惨さが入ったであろうが記憶にはない。
あるのは戦後の闇市からである。
闇市の群集の中には、「原爆ケロイド」を纏った被爆者が多く存在したし、傷痍軍人の姿も多かった。
私の同級生の叔母さんは、「原爆症」で病院通いの毎日を過ごし、結婚もされずその後亡くなられた。
その同級生は、体内被曝者で一昨年の同窓会で「被爆者手帳」を取得していないことを知り、「被爆者手帳」の取得を勧めた。 福岡県から「被爆者手帳」が交付されたのは昨年である。
この様な経緯から、次世代への「原爆」の齎した悲惨さを継承して行くべき方法がこれでよいのか疑問に思い始め、二週間の間 「脱原発」 「護憲」 「被爆者証言」 「再軍備推進」 とあらゆる考えの方々のブログを読み漁ってみた。
しかしながらその中には「答え」は見つからなかった。
「百聞は一見に如かず」 「志村建世」氏の様な体験に基づく「ブログ」は少ない事が解っただけである。
「笹森恵子のロスアンゼルス生活~在米被爆者からの平和」
http://ameblo.jp/shigekons/
それもそのはず、いずれも高齢者で今日のような一台のPCで世界と繋がる事など考えも及ばなかった世代の方たちである。
その中で、是非とも皆様で訪れていただきたいのが前記のブログである。
彼女は戦後、「原爆乙女」として渡米、「ケロイド」の整形手術や原爆症の治療を受けられ、平和活動家で、作家の「ノーマン・カズンズ」氏の幼女となり、アメリカで核廃絶運動家として活動されている。
「笹森恵子」で検索していただき、彼女の活動や経歴を是非とも御覧頂きたい。