8.6の広島の平和運動の一端に触れて、その疲れで昨日一日、ベットの上で暑さにのた打ち回っていた。
TVで長崎祈念式典を一人見入っていた。 やはり形骸化した式典が、プログラム道理に進むだけで、原爆の悲惨さはどこからも見えてこない。 私の子供の頃は、ケロイドを隠すように、祈念式典に参加されていた被爆者の姿もあったが、現在は見かけることがなくなった。
長崎市長の政府に対する姿勢は、広島の市長とは大きく違い、はっきりと批判すべきところは批判し、内容が被爆者の気持ちに沿ったものであった。 高く評価したいと思う。
いずれにしても広島、長崎の平和運動が大きな転換点に差し掛かっていることだけは間違いない。 最年少被爆者として、今後の平和運動のあり方を今一度考えて見なくてはならない気持ちが大きくなった一日であった。
所で去る7日に改めて気づいたことがあった。
先日突然に現職のまま亡くなられた、市議会議員が中心となり、町の再開発をされた。
現在は3つの商業施設を中心に半径300m以内には、広島の中心地に負けない店舗が展開している。 その店舗の支援の下、駅前広場から各施設の清掃などのボランティア活動がなされ、電動車椅子等の無償貸し出しがなされている。 タクシーの無料電話の設置や、その充実振りは見事と言うほかない。
ボランティアスタッフは、歩道の清掃や花壇の手入れなど今では総勢60人を超えているそうである。
よき指導者の存在が街づくりに生かされた例としてご披露したい。
また彼も、68年前家族を原爆でなくされた方であった。