遠く「呉娑々宇連峰」が望まれる。 この麓には嘗て「安芸の国の国府」が有った。 現在の府中町である。
その国府跡地には嘗て町役場があったが今は無い。
この町に自動車メーカー「マツダ」の本社が存在する。
よって、広島市には合併していない。 税収が十分なのだ。 この連峰の主峰には、岩倉が存在し、古代から広島の地の中心地であった。 この連峰の麓には、種々の神社が点在している。 この山の遥か南西に「宮島」 厳島神社が存在する。
この山の東側は、「畑賀」と呼ばれる地区が存在し、「秦氏」の嘗ての勢力地域であった事が知れている。
本日は私一人ののんびり散歩。 散歩しながら考えていた。 山本 太郎 参議院議員が、秋の園遊会で直接天皇陛下に手紙を手渡した。
国会議員や、マスコミが騒ぐ事なのだろうか。 騒ぐ理由が理解できない。
嘗て豊臣秀吉は、「醍醐の花見」を開催し、その内容は園遊会と変わるところは無いように思えてならない。 その時の逸話は今日まで語り継がれている。
天皇陛下が、親しく国民と親睦を深める場であるはずだが、その場で手紙を手渡してどこがいけないのか?。 どうも戦前の「神聖」なるお人にして置きたい人々が騒いでいるとしか思えない。 ロンドンオリンピックでの、エリザベス女王の様な国民の側に立った行動が出来ないのであろうか。 いや、両陛下はそうしたいと思っておられるのではなかろうか。
天皇皇后両陛下が、福島に足を運ばれ、親しく避難民と交流されている姿を、マスコミは見てきたはずである。 全ての園遊会参加者と、言葉を交わす事は不可能であろう。 ならば、手紙を手渡す行動があっても良いではないか。 福島では子供から「絵」を手渡され、にこやかに受け取られた陛下の姿は見ていて心温まった。
「国民の象徴」たる天皇陛下が、バリケードの向こうに行くと戦前の「神国日本思想」が頭を擡げてくる。
心して、現状を見ていかなくてはならないようである。