藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

広島市は「中国管区指令室」を解放した。

2015-07-23 18:27:04 | しごとの思い出

 今、「NHK」のニュースを見ていた。 二十数年前から私が訴えていた、「中国管区司令部」の跡を是非とも解放してほしいと、地元市議会議員を通して訴えていたが、「今日」市民に解放された。 加えて八月六日当時の再現の展示もされているという。 NHKのニュースを見ながら涙が流れ始めた。 やっと、昭和二十年の八月六日の現状が再現され始めた。 

 皆さんには、是非とも「日本皇国軍」の、人権を無視した行動が伝われば良いと思っている。 幹部は、現在の安佐北区可部町の高等女学校を接収し、生徒を学徒として「広島城」の中にあった「地下司令室」に閉じ込め、作戦行動を行っていた。 だから、空襲警報の発令も遅れ、犠牲が多くなったことは事実である。 是非ともこの機会に、広島城の裏の姿を見てほしい。 正しい訴えはいつか行政も動かせる。

ちなみに地元議員とは、この地下壕に居て、命を取り留めた「米田十郎」議員である。 「原爆症」で鬼籍に行かれて、二十三年。 終戦七十年目で思いが天に通じた感がある。

 私は、涙が止まらない。地元議員 「米田十郎議員」との、思い出だけではない。 「気象台博物館」建設 「一小学区一館児童館」建設、「一中学校区一館公民館」の建設・・・・・・・。 思い出は尽きない。 その思いを受け継いでくれる若き議員も頑張ってくれている。

 この文章を書いている背中に、BS朝日が、昭和十七年夏の「甲子園」も、中等校選手権大会が開かれたことが、TVで流れてきた。 正式には「甲子園」大会ではないそうだ。 徳島商業が優勝したそうだが、正式の「甲子園」大会には認定されていないそうである。 幻の夏の「甲子園」大会優勝だそうである。

 戦争が、如何に「非人道的」社会を作っていったかを表現してくれた。 今こそマスメディアの出番が来た様に思う。 心して自らの使命を認識してほしい。 たとえ政府の権力の行使があろうとも市民は味方する。

 広島のお城の下に、今一つの原爆遺跡が有ることを一人でも多くの人に知ってほしい。


明日は小学校の同窓会≪昭和20年四月から21年三月生まれの同窓生≫

2015-07-23 10:08:07 | 日記・エッセイ・コラム

 先日来、体調不良である。 低気圧が来るとダメなようだ。 ブログの更新もままならないが、明日は万全を期して「同窓会」に参加するつもりである。 クラス仲間は四十二名居たが、現在連絡できるのが三十名だけである。 

 理由は簡単なのだ。 「被爆者」の多いい学年なのである。 産まれたばかりか、体内被曝か、はたまた家族の捜索に、親の背中にくくられて入市したための「被爆」かの差はあっても、何らかの原爆とのかかわりが存在する同級生なのである。 私の知る限り六名は「鬼籍」に行ってしまった。 療養中が四名。 いずれにしても少人数の同窓会になるだろう。

 私も今回が、最後の同窓会になることもありうる。 そんなことを思い出しながら、同級生の思い出を思い起こして昨夜は眠れなかった。 

 八月六日がやってくる。 八月十五日がやってくる。 終戦七十年、こんな年に「安倍総理」の「ど頭」は狂ってしまった様だ。 そんなこんなで、沖縄戦終結の日のことを思い出して、「さとうきび畑」の歌を思い出した。